涌谷城は江合川に面した丘陵上に築かれています。大崎氏の庶流・涌谷氏の居城で涌谷神社のある場所が本丸とされています。豊臣秀吉によって大崎氏が改易されると亘理重宗が入り、以後277年の間、涌谷要害として維持されました。
亘理重宗は伊達政宗の庶子・宗根に末娘を嫁がせて婿養子とし亘理氏の名跡を継がせました。その代わりに重宗の嫡男・定宗には伊達氏を名乗ることが許され、これが涌谷伊達氏の始まりとされています。涌谷伊達家は江戸時代を通して涌谷要害を中心に2万2600石を有していました。
涌谷伊達家二代目の伊達宗重は、伊達家内部で専横を行っていた伊達一門の伊達宗勝の不正を幕府に訴えました。追い詰められた宗勝の家老・原田宗輔は江戸の大老・酒井忠清邸にて宗重を斬りつけ殺害します。原田もその場で殺され原田家は改易されました。
これらの騒動が「伊達騒動」と呼ばれ江戸の三大お家騒動とされますが、宗重は藩内で忠臣として評価をされています。
城址南部は公園となっていて、模擬天守風の資料館が建っていますが、冬季は閉館しているようです。また寄れる機会があったら、寄って見たいものです。伊達騒動に関わる展示もあるのかな?
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