みのわじょう

箕輪城

長野県上伊那郡


旧国名 : 信濃

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いきなりのブリザード
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しんしんちゃん

いきなりの風と雪。とにかく遺構を見る。 (2023/11/18 訪問)

箕輪城は木曾氏の末裔箕輪氏によって室町時代に築かれたとされ、戦国期のおわりごろに福与城主藤澤頼親の養子左衛門尉重時が入りましたが、天正10年(1582)に滅亡したとあります。天正10年というと織田信長の信濃攻めのころですが、そういうことですか‥。城跡は養泰寺の西の小高い丘地に築かれていて、現状墓地になっています。西と南に高い土塁が残り、南を堀切で遮断しています。城跡に向かって歩いていると先方の空気が不穏です。どうも強風を伴って雪が降って来ているようです。なんか天気予報と違いますが、まるで小規模なブリザードのようです。ゲリラ雪と言ったところでしょうか。とにかく進むしかありません。強烈な風と雪に抗いながら遺構をしっかり見て回ります。まだ秋だったんじゃなかったっけ?

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todo94

県内の城めぐり・その15 (2021/10/09 訪問)

福与城と同じ箕輪町の町内に所在する箕輪城。Googleマップでみると住宅街の中にある城のようでさほど期待をしていなかったのですが、墓地を土塁と空堀が取り巻いていてかなり見応えがあり、十分に満足できました。

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赤い城

福与城の支城 (2021/09/26 訪問)

養泰寺裏手の墓地が主郭。
養泰寺の駐車場に車を留め登城しました。
墓地を高い土塁が囲んでいてさらに外堀に深い堀。
よく残っていました。
とりあえず堀底は歩いてみました。
単郭の城のようで三方が堀で囲まれています。
西側の深い部分は養泰寺に向けて落ちています。
室町期は箕輪氏の居城でしたが戦国期には長沢氏のものとなり武田信玄の信濃攻めにより落城した城です。
福与城に訪れた際にはセットでの登城がお勧めです。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目:箕輪城 (2021/06/29 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の4城目は箕輪城です。
上ノ平城から転戦。養泰寺駐車場(35.900965、137.983192)に駐車し、養泰寺西側の城跡標識(35.900952、137.982176)に向かいました。
当初は上ノ平城➡大出城➡松島城➡箕輪城の順で攻城する予定でしたが、千沢城での脱輪影響で大出城と松島城は城びと未登録でパスしました。

箕輪城は木曽氏の一族である箕輪氏代々の居城です。
戦国時代には福与城の支城として木下総蔵が城主を務めましたが、木下氏が下伊那に移ると福与城主・藤沢頼親の養子である藤沢左衛門尉重時が城主となりました。
その後、1545年(天文14年)の武田信玄による伊那進攻により落城すると、頼親らは伊奈の地を追われています。

現在城址は養泰寺の墓地になっていますが、周囲に土塁と空堀を確認することができます。
堀と土塁が良く残っています。 お墓なので踏み荒らさないよう気を付けましょう。
攻城時間は15分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 箕輪氏
築城年 不明
主な城主 箕輪氏、木下総蔵、藤沢氏
廃城年 天正10年(1582)
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 町史跡
住所 長野県上伊那郡箕輪町中箕輪13823