みのわじょう

箕輪城

長野県上伊那郡


旧国名 : 信濃

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にのまる

飯田線城めぐり (2026/08/31 訪問)

高遠城見学後、時間の余裕がまだあったので木ノ下で途中下車して箕輪城に行くことにしました。
以前、福与城に行った際に駅の反対側に箕輪城があるのに気がつかず(城めぐアプリの3,000城には登録されていない)、よりによって飯田線でこんなミスをするなんて😢と残念な気持ちになったことがありました。

箕輪城は養泰寺の後背の墓地で、養泰寺の史跡碑には「木下陣屋跡城山」とあります。
墓地の入口に箕輪城の案内が立っていたので入らせていただくと、墓地を囲むように土塁と堀跡がありました。一旦外に出てぐるりとまわると大きな堀に入ることができ、かなり驚きました。現在でも墓地を守るという役割を持った現役の堀と土塁でした。

で、このあと飯田線で帰途についたのですが、辰野〜川岸間で倒木が確認されたため、乗っていた列車が辰野で打ち切りになりました。時間的、情報的に、箕輪城に寄らなかったら乗っていたはずの列車の運転士さんが倒木を発見されたと思われます。(当該列車の運休なし)
この状況、都市部だとちょっとした騒ぎやパニックになるかと思うのですが、乗っていたお客さん、誰一人騒がず、みなさん“仕方ないよね”という雰囲気。辰野はJR東海と東日本の境界駅で(駅管理は東日本)、東海の情報が入らない中でも駅員さんに詰め寄る人はいません。
岡谷行きの代行バスを用意してくださったのですが乗車定員が限られており、駅員さんの「あずさの特急券を持っている方優先にご協力ください」の呼びかけにも、我れ先にという人はおらず譲り合い。飯田線の客層、どれだけいい人たちなんでしょう!
私はというと、1時間ちょっと待てば辰野支線が来るから塩尻まわりで帰ればいいかぁとのんびり。何年か前にわざわざ大八廻りをしに来て以来の辰野支線ぐるりで帰りました。

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しんちゃん

いきなりの風と雪。とにかく遺構を見る。 (2023/11/18 訪問)

箕輪城は木曾氏の末裔箕輪氏によって室町時代に築かれたとされ、戦国期のおわりごろに福与城主藤澤頼親の養子左衛門尉重時が入りましたが、天正10年(1582)に滅亡したとあります。天正10年というと織田信長の信濃攻めのころですが、そういうことですか‥。城跡は養泰寺の西の小高い丘地に築かれていて、現状墓地になっています。西と南に高い土塁が残り、南を堀切で遮断しています。城跡に向かって歩いていると先方の空気が不穏です。どうも強風を伴って雪が降って来ているようです。なんか天気予報と違いますが、まるで小規模なブリザードのようです。ゲリラ雪と言ったところでしょうか。とにかく進むしかありません。強烈な風と雪に抗いながら遺構をしっかり見て回ります。まだ秋だったんじゃなかったっけ?

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todo94

県内の城めぐり・その15 (2021/10/09 訪問)

福与城と同じ箕輪町の町内に所在する箕輪城。Googleマップでみると住宅街の中にある城のようでさほど期待をしていなかったのですが、墓地を土塁と空堀が取り巻いていてかなり見応えがあり、十分に満足できました。

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赤い城

福与城の支城 (2021/09/26 訪問)

養泰寺裏手の墓地が主郭。
養泰寺の駐車場に車を留め登城しました。
墓地を高い土塁が囲んでいてさらに外堀に深い堀。
よく残っていました。
とりあえず堀底は歩いてみました。
単郭の城のようで三方が堀で囲まれています。
西側の深い部分は養泰寺に向けて落ちています。
室町期は箕輪氏の居城でしたが戦国期には長沢氏のものとなり武田信玄の信濃攻めにより落城した城です。
福与城に訪れた際にはセットでの登城がお勧めです。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 箕輪氏
築城年 不明
主な城主 箕輪氏、木下総蔵、藤沢氏
廃城年 天正10年(1582)
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 町史跡
住所 長野県上伊那郡箕輪町中箕輪13823