箕輪城は木曾氏の末裔箕輪氏によって室町時代に築かれたとされ、戦国期のおわりごろに福与城主藤澤頼親の養子左衛門尉重時が入りましたが、天正10年(1582)に滅亡したとあります。天正10年というと織田信長の信濃攻めのころですが、そういうことですか‥。城跡は養泰寺の西の小高い丘地に築かれていて、現状墓地になっています。西と南に高い土塁が残り、南を堀切で遮断しています。城跡に向かって歩いていると先方の空気が不穏です。どうも強風を伴って雪が降って来ているようです。なんか天気予報と違いますが、まるで小規模なブリザードのようです。ゲリラ雪と言ったところでしょうか。とにかく進むしかありません。強烈な風と雪に抗いながら遺構をしっかり見て回ります。まだ秋だったんじゃなかったっけ?
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