おぐらやまじょう

小倉山城

広島県山県郡

別名 : 小倉城、小蔵山城、紅葉山城
旧国名 : 安芸

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南郭 掘立柱建物跡
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しんしんちゃん

下品でゴメン (2024/01/03 訪問)

小倉山城の遺構は素晴らしかったですよ。御座所→二の丸→南郭→本丸と散策し、北側の郭を見たあとは三の丸かな~と思っていたら、行きたくなってきたんですね、トイレに‥しかもでかいほう(下品ですみません)
これが山城めぐりのウイークポイントで、なかなかコントロールが難しい。これは判断を間違えると大変です。三の丸は見たかったけど
「もういい‥私はよく戦った。私の戦いは終わったのだ」まるで劇場版のデスラー総統みたいなことを言ってますが、ようはトイレに行って〇〇〇をしたいわけです。迷わず帰ります。そして南の駐車場の施設のトイレは当然のように施錠されているのでありました。
(近場のコンビニまで我慢しました)

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しんしんちゃん

天文19年までの吉川氏の本城 (2024/01/03 訪問)

ぴーかるさんがオススメしてくれた尼子十旗の城は白鹿城、赤穴瀬戸山城、三沢城の三城ですね。私も島根県を訪問した際には、それらの三城は是非訪問したいです。(他の七城は?‥)
それらの三城は是非、訪れたいですね。(他の‥‥)
私も山城の遺構は好きです。空を飛べたらいいのになあ。ドラえもんはいいから、タケコプターだけでも欲しいなあ。そしたら、熊に会っても飛んで逃げれるべ。
いかんいかん、現実に戻ってと‥小倉山城です。私はこの城を訪問するのを楽しみにしてました。吉川氏が駿河丸城に続いて居城とした山城で天文19年(1550)に日野山城に居城を移すまでの間、吉川氏の本城として機能していたようです。見事な山城の遺構で御座所から二の丸と本丸に道が続いていていて、二の丸には土塁が残っています。本丸に向かっていく高低差が十分にあり、いかにも山城といった感じでわくわくしてきます。二段構造になっていて本丸周辺に曲輪が配され、そこからさらに上がった高所に本丸があります。

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ぴーかる

小倉山城 (2023/04/09 訪問)

【小倉山城】
<駐車場他>小倉山城跡駐車場は大駐車場です。100台くらい駐車できます。
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸・曲輪
<感想>第2弾安芸高田・北広島の山城攻めの旅2日目7城目。小倉山城はそれまで駿河丸城を拠点としていた吉川氏が南北朝時代末期に時の当主の吉川経見が小倉山城を築いて移転しました。1550年に吉川元春が日野山城に拠点を移すまでの約160年間くらい吉川氏の拠点となります。
 比高はそんなに高くないので登城口から城跡になります。城跡は大きく二の丸と半方円状に付属する段曲輪群と谷を広く削平した御座所跡(居館曲輪かと思う)、四方に腰曲輪が付く比較的狭い主郭、主郭北東方向に伸びる段曲輪が三の丸となります。城跡は草刈りが施されて非常に綺麗に整備され遺構がくっきり広くダイナミックに見えて見応えがあります。夏場でも十分見学できると思います。こっちに整備力を入れすぎず、大規模城郭の同じ国史跡日野山城をもっと整備して欲しいかと。

<満足度>◆◆◇

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くらのり

小倉山城 (2022/08/28 訪問)

1313年(正和2年)吉川経高が駿河国吉川邑から安芸国大朝庄に移住し、当初駿河丸城を居城にしていたが南北朝末期に吉川経見が近隣に小倉山城を築いた。
以後「鬼吉川」と呼ばれた安芸吉川氏の拠点として栄えた。毛利元就夫人の妙玖(吉川国経の娘)もここで誕生している。吉川元春が1550年(天文19年)に日野山城を築き、居城を移すと小倉山城はその役割を終えた。
建築物はないものの現在も多くの遺構が残っており、1986年(昭和61年)8月28日に吉川氏にかかわる六遺跡が「吉川氏城館跡」として史跡指定した。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 吉川経見
築城年 南北朝時代後期
主な城主 吉川氏
廃城年 天文19年(1550)
遺構 曲輪、礎石、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(吉川氏城館跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県山県郡北広島町新庄字小倉山
問い合わせ先 北広島町教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 050-5812-1864