おぐらやまじょう

小倉山城

広島県山県郡

別名 : 小倉城、小蔵山城、紅葉山城
旧国名 : 安芸

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主郭
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ぴーかる

小倉山城 (2023/04/09 訪問)

【小倉山城】
<駐車場他>小倉山城跡駐車場は大駐車場です。100台くらい駐車できます。
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸・曲輪
<感想>第2弾安芸高田・北広島の山城攻めの旅2日目7城目。小倉山城はそれまで駿河丸城を拠点としていた吉川氏が南北朝時代末期に時の当主の吉川経見が小倉山城を築いて移転しました。1550年に吉川元春が日野山城に拠点を移すまでの約160年間くらい吉川氏の拠点となります。
 比高はそんなに高くないので登城口から城跡になります。城跡は大きく二の丸と半方円状に付属する段曲輪群と谷を広く削平した御座所跡(居館曲輪かと思う)、四方に腰曲輪が付く比較的狭い主郭、主郭北東方向に伸びる段曲輪が三の丸となります。城跡は草刈りが施されて非常に綺麗に整備され遺構がくっきり広くダイナミックに見えて見応えがあります。夏場でも十分見学できると思います。こっちに整備力を入れすぎず、大規模城郭の同じ国史跡日野山城をもっと整備して欲しいかと。

<満足度>◆◆◇

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くらのり

小倉山城 (2022/08/28 訪問)

1313年(正和2年)吉川経高が駿河国吉川邑から安芸国大朝庄に移住し、当初駿河丸城を居城にしていたが南北朝末期に吉川経見が近隣に小倉山城を築いた。
以後「鬼吉川」と呼ばれた安芸吉川氏の拠点として栄えた。毛利元就夫人の妙玖(吉川国経の娘)もここで誕生している。吉川元春が1550年(天文19年)に日野山城を築き、居城を移すと小倉山城はその役割を終えた。
建築物はないものの現在も多くの遺構が残っており、1986年(昭和61年)8月28日に吉川氏にかかわる六遺跡が「吉川氏城館跡」として史跡指定した。

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小倉山城跡歴史公園 (2022/04/28 訪問)

 吉川氏の居城でよく整備されて歩きやすかった。北側駐車場から登城しました。堀切や土塁が残っています。小倉山城跡歴史公園散策案内の図を見ると東側にピンク色で描かれた登城路と書かれた所があります。行ってみると入口に、二重堀かと思われる構造を見ることができます。ここがそれぞれ通路なのですが、おもしろい遺構だと思いました。

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higekam

『三本の矢』で訓示を受けたひとり、吉川元春をたどる(その一) (2021/12/12 訪問)

元春が養子に出た吉川家が代々居城としたこの城をまず訪問。
格別の技巧が施されてる城ではないが、山城の雰囲気を存分に味わうことが出来た。御座所の存在もあるが、まずは地元の方々の行き届いた手入れに深謝だ。
今回は北から登城した。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 吉川経見
築城年 南北朝時代後期
主な城主 吉川氏
廃城年 天文19年(1550)
遺構 曲輪、礎石、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(吉川氏城館跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県山県郡北広島町新庄字小倉山
問い合わせ先 北広島町教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 050-5812-1864