登福寺東側の尾根に位置する中世の山城です。現在神社が建てられている頂上が「本曲輪」、
手前を「二の曲輪」、曲輪の南北尾根を縦掘で削り防御のための「掘切」をしています。
一、石上城築城、年月詳ならず。
一、石上城は南北朝時代、徳山城(川根本町)の支城なり。
一、1353年(天平8)、今川範氏に攻められ2月14日ころに落城、その後、今川の支配下となる。
一、1570年、武田氏の支配下となる。
一、1575年(天正3)、二股城(浜松市)の守衛として赴いた石上城主の石上菟角之助(とかくのすけ)は
徳川氏との戦いで討死し、後に廃城になったと考えられる。(案内板より)
案内板がある石上公民館前スペース<35.010708, 138.146526>を利用、麓の登福寺奥の登城口から本曲輪まで
良く整備された登城路で約10分、小さい城跡ながら遺構はシッカリ残されており、期待以上でした。
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