元弘の頃に名和氏に協力した荒松氏が築いてこの地の防備にあたったと伝えられている。
室町時代は福頼左衛門尉の居城だったが、大永4年(1524)に廃城となる。
富長神社東の鳥居前スペース(1台)<35.499761,133.476392>に駐車、脇に城址標柱、
案内板はありません。本殿に向かう石段を上がると、両側に高土塁が迫ります。
約100m四方の広い境内(曲輪)を高土塁が巡っていますが、夏草とヤブ蚊に阻まれて
全ては確認できず。西にも開口部(虎口)があり、両側は立派な高土塁が固めてます。
日本海に面していますが、望めません。
猛暑日で山城は不可なので、平城に登城しましたが、ヤブ蚊で退散です。木陰の多い
(登城路であれば)山城の方がマシかも知れません。
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