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ひで

お城と桜 (2019/03/14 訪問)

先日に桜を見に掛川城に行ってきました🌸🏯

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宗春

上田城 (2019/03/21 訪問)

天気が心配されましたが、なんとか雨に打たれずに済みました。

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上泉伊勢守章綱

一直線の登城路? (2019/03/17 訪問)

登城路?というより登り土塁かな。使用目的は何だったのだろうか?

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くろもり

宇喜多・小早川・池田 (2014/12/28 訪問)

宇喜多氏、小早川氏、池田氏の有力大名が城主を務めた城ですが、個人的に宇喜多秀家公は好きな武将(徳川家康と本気で喧嘩しようとしてた所なんか特に)の一人なので、秀家公と豪姫がいた城のイメージでした。

宇喜多氏・小早川氏・池田氏それぞれの時代の石垣が遺構として残っているので、それぞれのファンの方楽しめると思います。

市街地と化した所にも石垣が多く残っており、個人宅の駐車場の奥に大きな石垣(西の丸のものと思われます)が残っている所もありました。

訪問時は西の丸西手櫓の前を工事していたのですが、BUGTIさんの投稿で駐車場にする為だったのを知ることができました。ありがとうございます。

城主の一人である小早川秀秋公は、関ヶ原の裏切り者の印象で世間からあまり評価されていませんが、秀秋公に関するおもしろい動画をニコニコ動画で見つけたので、秀秋公に興味がある方はどうぞ。秀秋公の生涯を歌っているのですが、歌詞が秀逸で感心してしまいました。『怨念が晴らせない ~KinGO!~』でGoogleで検索または、ニコニコ動画から検索すると出てきます。

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宗春

松本城 (2018/08/14 訪問)

帰省の途中で立ち寄りました。

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宗春

鉢形城 (2019/01/19 訪問)

天気が良くて良かったです。

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ブラタヌシ

金ヶ崎の退き口 (2019/03/02 訪問)

金ヶ崎城跡(福井県敦賀市)
ついに来たぞ❗️あの伝説の退き口、信長が調子に乗って朝倉攻めをやってるうちに、包囲網が敷かれお市さんからの袋のネズミで状況を把握し京へ逃げることになったとされる場所。
私が行ったときは、逃げ去った後のような感じでした✌️😁(勝手な個人の妄想です)

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カルビン

【平成27年】荒砥城とちょい被る (2015/12/18 訪問)

この日は愛知県北東部のお城巡りの為に、例の如く夜中に出発してガラガラの高速道路をマイペースで進み、丁度明るくなった頃から登城を開始しました。
松平氏館→松平城→大給城→古瀬間城→丸根城と回ってたどり着いた足助城。


車で山を登り、突当りの駐車場に車を停め、入場料300円を払っていざ出陣。
・・・そういえば同じような雰囲気だった長野県の荒砥城も入場料300円でしたねw

順路に沿って見学する訳なんですが、良く見る山城・平山城とは違って建造物が建ち、柵が建ち、整地され・・・実はこの足助城の風景が当時の山城のあり方を忠実に再現しているんだろうな・・・と感心しきりでw

入場料必要ではありますが、間違いなくそれ以上の価値あると思います。


見学途中までは全然気付かなかったのですが、途中で突然高い所にいると言う事に気付かされます。
高い所が苦手な方はご注意を(突然気付かされ、背筋がぞーーーっとしました(冷汗))

しかし最初から最後まで雰囲気が荒砥城そっくりでした(笑)

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チェブ

御嶽神社or能徳寺 (2019/02/17 訪問)

「磯部城」に行きました。
現在の御嶽神社説と能徳寺近辺説があるようです。
住所入力するとナビは能徳寺近辺に案内してくれました。
長尾 景春の乱の際、景春方が「磯部城」を築城しましが太田 道灌にやっつけられてしまいました。

能徳寺ではお城の手掛かりが見つかりませんでした。
少し先に相模川があります。
磯部頭首工公園に駐車場、その先に遊歩道があります。能徳寺の裏手になるので散策しました。
が、土塁はあるらしいのですが、眉間にシワを寄せて見ましたが見えてきませんでした。
「磯部の渡し」の石碑を見つけました。
江戸時代、大山参りの人々が利用していたそうです。
いやいや、どーも。遺構探しのコツがつかめません。

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三河のかづ

吉田城 (2019/03/16 訪問)

続100名城のスタンプを押すため訪れました。

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石垣人

熊本城 (2018/08/19 訪問)

復旧中の熊本城。

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にのまる

慰霊遠足 (2019/03/13 訪問)

今年も無事、景徳院に勝頼くんのお参りに行くことができました。合わせて行くお城は岩殿城。(行っちゃダメなとこですが、近いので。)
稚児落とし方面に曲がったところに短い鎖があり、ここを降りるだけなら行けるなと思ったのですが小山田トラップがあるかもしれないのでやめて、一気に山頂を目指しました。
山頂の味気ない本丸の先は通行止めのままでしたが、大きな空堀は上から眺めるだけで充分でした。
前回登城時に見逃した井戸(飲用と水浴び用)は水が湧きそこだけ羊歯が青々と茂っていて、この中が天正10年に繋がってたらどうしよう…と少女マンガみたいなことを考えてしまいました。
富士山はあいにく雲の中でした。

遠足にはおやつが必要なので、大月駅前の「桔梗屋東治郎」に寄っていろいろ仕入れてから景徳院へ向かいました。姫ヶ淵のレリーフからして泣けますが、多くの敵兵もここで命を落としており、勝頼くん♡とか言ってる場合じゃないなとここでは思ってしまいます。
この日のいちばんの目的であった「武田勝頼公廟所」の御朱印をいただき、景徳院を後にしました。次回はもう少し先へ進み、竜門峡遊歩道を歩いて天目山温泉に行ってみようかと考え中です。

続いて、理慶尼の墓参に大善寺に行きました。「理慶尼記」は涙なしには、そして訳文なしには読めません。保田與重郎全集の「理慶尼の記ー武田勝頼滅亡記」で読みました。
大善寺では国宝の薬師堂を案内していただき拝観しました。併設の民宿にお泊まりもできるのだそうです。
すぐ近くに勝沼氏館がありますが、今回は寄らずに、勝沼ワイナリー「ぶどうの丘」をこの日の締めにしました。見晴らしのいい素敵なところでしたが、ワインの知識はゼロなのでワインカーヴは見学(無料。試飲は有料)だけして「甲州葡萄のお酢」をお土産(←自分への)にしました。

最後に三人の辞世の句を。

朧なる 月のほのかに 雲かすみ
晴て行衛の 西の山の端(勝頼)

黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき
思に消る 露の玉の緒(北条夫人)

あだに見よ 誰もあらしの 桜花
咲ちるほどは 春の夜の夢(信勝)

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todo94

国史跡・圧巻の城壁 (2019/03/16 訪問)

11年ぶりの再訪です。その時も彷徨って闘牛場の方に行ってしまったのですが、闘牛場側から見える圧巻の城壁は見逃してしまっていました。再訪して本当に良かったです。この石垣があれば、国史跡に指定されているのも十分に納得できます。

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くろもり

旧松代藩鐘楼 (2014/10/18 訪問)

松代城の南東に旧松代藩の鐘楼が残っており、往時は火の見櫓として使われていたようです。

かなり大きかったので、最初は復元したものかと思いましたが、現存建造物だそうでとても驚きました。

松代城から徒歩10分もかからない所にあったので、時間に余裕のある方は是非。

川中島古戦場巡りの際に訪れたので、海津城(松代城)からの妻女山の眺めが特に印象に残りました。

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小城小次郎

高松城

徳川光圀の直系が代々藩主を務めたお城だけに、格調の高さでは群を抜く。海水を引き込んだ堀には鯉の代わりに鯛が泳ぐ。そんなところにも高級感が漂っている。

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摂津と丹波を繋ぐ摂丹街道を見下ろす (2019/03/19 訪問)

害獣対策の電気柵と鉄柵を越えて、送電鉄塔までの道表示あり。登山道、城域は、草刈り、枝打ちされている。堀切、虎口、土塁や石垣も良く認識できた。
山麓の摂丹街道から西に入る道があり、700mほど行ったところに、地元のおばさんたちによる、蕎麦屋季楽あり、手打ち蕎麦をいただきました。
山麓の田んぼに鹿対策の電気柵を張り巡らしているが、鹿が侵入した痕跡あり。鹿による農作物被害は大問題です。

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チェブ

古墳か館か? (2019/02/24 訪問)

埼玉県の「箕田館」に行きました。
氷川神社でした。小さな祠があります。
ただ、「箕田館」ではなく「箕田古墳郡 箕田二号墳」の説明板があるだけで館跡にいるのか不安になりました。
住所はここなのですが、、、。
一応、伝箕田館跡でした。伝、ですけど。
土塁ではない古墳を見上げ退陣しました。

バス停のある通りに氷川八幡神社があります。
私は「箕田館」に関係ないと思ってしまい、チラ見しただけで通り過ぎました。
そちらには「氷川八幡神社と箕田源氏」という説明板があるようです。
いずれにしても、遺構もありませんので悪しからずご容赦ください。

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カルビン

【平成25年】お城巡り3番目の訪問地 (2013/11/28 訪問)

2013年の9月、躑躅ヶ崎館が自分のお城巡りのデビューの地。
その1ヶ月後に忍城へ登城し、更に1ヶ月後・3番目に登城したのが太田金山城でした。

実は群馬県太田市には仕事の関係で約9ヶ月だけ住んでいた事があり、太田金山城の存在も知っていたので3番目に選んだという経緯があります。

この時は山の上の方に駐車場がある事を知らず、麓の金龍寺に参拝を兼ねて駐車させて頂き、そこから山登り西城経由で金山城に向かいました。
地味に登りキツかった記憶が。。。でも自分当時は今より10kgは肥えてたからなぁwww


石垣が見えた頃から「あ~お城来たんだ~」と40代にしてはしゃいでいた訳ですが(笑)、更にその奥にあった虎口の先の石垣の段曲輪群を見て、どこぞのテーマパークに来たんだ?(・`ω´・;)?って感覚になりましたw

現存では無いのがちょっと残念ですが(ずいぶん後で知りました・・・うそ~ん・・・ってw)、初心者を満足させるのに十分なインパクトがあります。

お城の事が解ってくると、その更に先にある新田神社の裏手の石垣遺構とか、知らずに最初通過した西城遺構等、お城の遺構を知るうえでは杉山城同様、とても勉強になる場所です。

自分もなんだかんだでもう4回太田金山城訪問しておりますが、行く度に新発見出来て飽きが来ません。


石垣群だけ見るのであれば訪問の季節は問いませんが、舗装されていない場所の遺構を見学するのであればやはり冬季の訪問が良いと思います。

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そーへー

典型的層塔型天守 (2019/03/16 訪問)

初めて登城しました。
素晴らしく典型的な層塔型天守ですね。
私は断然望楼型天守派ですがここまで分かりやすく層塔型だと少し興奮しました笑

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独眼竜

立派な巨石 (2019/02/17 訪問)

安芸熊谷氏当主・熊谷高直によって、高直自らの居城である三入高松城の城地であった
高松山の麓に建てたようです。熊谷氏の日常の生活はこの土居屋敷にて営われていたとのこと。
吉川元春屋敷のような巨石が残っています。背後には三入高松城があります。

道路を挟んで反対側には熊谷氏の菩提寺であった
観音寺跡があります。

場所はマンションの裏手にあり少し分かりずらい場所にありますが、
グーグルマップでたどり着けます。
駐車場はありませんでした。

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