安芸吉川氏の本拠として凡そ150年の歴史を刻む北広島町新庄エリアは、小倉山城を軸とする中世的景観を色濃く残す貴重な場所。お城自体、この地域のモデルケースと呼んでもよいだろう。見学もしやすい貴重な城だ。
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2019/06/26 23:17
小倉山城
安芸吉川氏の本拠として凡そ150年の歴史を刻む北広島町新庄エリアは、小倉山城を軸とする中世的景観を色濃く残す貴重な場所。お城自体、この地域のモデルケースと呼んでもよいだろう。見学もしやすい貴重な城だ。
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2019/06/26 22:28
日帰りで行く所ではなかった・・・ (2019/06/22 訪問)
公共交通機関で日帰りできる未訪問の元祖・続100名城がほぼ無くなっている中、ここなら行けるか?と言う事で土曜日に行ってきました新高山城。
三原城はスタンプ欲しかったのでタイアップで寄りましたが、できれば高山城も行きたかった。。。
流石に東京から広島は遠かった・・・新幹線とはいえ片道の移動だけで1山城攻略したくらい疲れまして・・・
更に涼しいと予想されていた天気(曇り予報)・気温(最高27℃)にも裏切られ(晴れ+30℃超え)・・・
季節が季節なら道幅も広く、とても登りやすいだろうと思われる新高山城でしたが、この時期暑さもそうですが、なにより虫(藪蝦等)が顔の周りにまとわりついて来て、ものすごく不快な登り下りとなりまして。
そして傾斜自体はそれ程では無いものの、とにかく長いんです・・・息つく間が無く、地味に登りがきつかった。。。
更に登城口のかなり手前から自動販売機等飲料水を入手する場所が無く、準備出来ずに脱水症状寸前になってしまいました。。。危ない危ない(汗)
運動不足・準備不足等重なって、当初駅からお城攻略して高山城回って3時間半程度(新高山城2時間、高山城1時間半)予定していたものの
新高山城だけで予定時間で半分程度しか見れませんでした。
しかも蓄積疲労と暑さで高山城攻略は断念・・・新高山城の詰郭でほぼ同じ標高の高山城見て心が折れましたorz
とにかく登りの辛いイメージが強く残った新高山城ですが、主郭から大手を経て2段程下にあった井戸曲輪は特に圧巻でした。
(井戸が多く、更に家臣団の居館礎の石垣・石積みが満載)
最低限ここを見れたので、とりあえず今回は満足してます。
涼しくなって何かの機会で近くに行けたら、高山城と新高山城の未攻略遺構を見に是非再訪したいものです。
でも次来るなら絶対に泊まりで(東京から広島日帰りは無茶でしたorz)
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2019/06/26 21:17
2019/06/26 20:08
2019/06/26 20:04
コウモリ台場。 (2019/05/11 訪問)
北条 早雲さんが活躍した時代の「権現山城」の後に「神奈川台場」に行きました。
幕末、江戸城無血開城に一役買った勝 海舟さんが設計しました。
時代背景が「権現山城」「神奈川台場」かなり違いますので、悪しからず。
横浜のタワーマンションが見える「台場公園」でした。ちっちゃく「神奈川」も書いてあります。
お台場と間違えないようにの配慮でしょうか?
「神奈川台場」は羽をひろげたコウモリに似ているので「コウモリ台場」とも言われたそうです。
どうも、軍事目的よりも外国人使節団が来た時の礼砲や天皇誕生日の祝砲に使われたらしく平和的です。
現在、神奈川台場地域活性推進協会の方々が保全活動をしてくれているそうです。
ありがとうございます。
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2019/06/26 20:01
又兵衛桜(宇陀松山城近く) (2019/04/06 訪問)
【又兵衛桜】
<駐車場他>桜時期は500円および入場料一人100円
<交通手段>車
<感想>続百名城の多気北畠氏館跡に行く途中に、1月に行った宇陀松山城道の駅宇陀で買った農産物とお米がとても美味しかったので、ちょっと寄り道して購入として又兵衛桜に気付いた。前回はこの宇陀が後藤又兵衛終焉の伝説がある土地とは知らずに又兵衛桜の看板を見てその後調べてそのことを知り、今回は偶然桜の季節に宇陀に立寄ったので「これ幸運、一見しておこう」と思い見た。
駐車場代はちょっと高いが、樹齢300年の桜は見応え十分です。また後藤又兵衛の屋敷跡と伝わる石垣にあるのもすごくいいです。木蓮や桃?もちょうど満開なので楽しめました。
宇陀松山城未登城の方は時期を合わせて行かれるといいと思います。
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2019/06/26 18:34
狭山藩北条氏 (2019/06/16 訪問)
豊臣秀吉の小田原攻めにより関東を追われた北条氏ですが、1万石あまりの小藩ながら氏政の同母弟・氏規の子孫が明治に至るまで狭山の地を治めました。
陣屋跡は宅地化されていますが、上屋敷藩主御殿跡付近の府道198号線沿いの小さな公園に石碑と説明版が建てられているほか、上屋敷跡の西側には水堀代わりの下池が残り、堺市の本願寺堺別院には大手門が移築されています。また、下屋敷跡には昭和13年にさやま遊園が造られましたが、平成12年に閉園した後は住宅地と公園になっています。
狭山陣屋は、日本最古のダム式ため池である狭山池の東畔に築かれましたが、狭山池の北側にある大阪府立狭山池博物館に併設の大阪狭山市立郷土資料館には狭山藩北条氏関連の展示があるようなので、ついでに行ってみました。郷土資料館はあまり大きくなく、狭山藩関連の常設展示もそれなりでしたが、狭山池博物館のほうは、狭山池北堤の断面の移設展示(底幅62m、高さ15.4m!)などなかなか見応えがあり、安藤忠雄設計の建物自体も、通路脇を水が滝状に流れ落ちていたり、迷宮のように何度も曲がったり上り下りさせられるなど、いろいろと趣向が凝らされていて、入館までの道のりも楽しませてもらいました。…急いでいたり疲れていたりすると、イラっとさせられるかも知れませんが(笑)
それにしても、子供の頃、夏はリバープール(流水プール)、冬は屋内スケートリンクとよく訪れていたさやま遊園が狭山陣屋の下屋敷跡であり、人々のために有効利用してほしいと北条氏から寄贈されたことによるものだったとは…。これまであまり馴染みがなかった(好きでも嫌いでもなかった)北条氏に一気に親しみを感じるようになりました。楽しい思い出をありがとう、北条さん!
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2019/06/26 13:00
置塩登山口 (2019/06/22 訪問)
置塩城は標高約370mにある山城。後期赤松氏の本城でした。
文永元年(1469年)に赤松政則よって築城されたと伝えられています。
その後五代目城主則房が羽柴秀吉に服して開城するまで、約110年間城郭が存在した。
(以上 置塩城跡 ガイドブックより)
英賀城の西側を流れる夢前川の上流にある山城 置塩城に初めて行きました。
今回は登山せず、山麓を探索して終わりました。
まずは登山口の北側にある櫃蔵神社(置宮981)へ、大きな銀杏の木がありました。
そして隣の大きな看板から城山を眺めて、登山口の西にある駐車スペースに駐車。
登山口入り口には獣害防護柵が設置されています。
また道沿いの立て看板横には竹の杖があり、それなりの装備が必要かと思います。
入り口にガイドブックが置いてありましたので貰って来ました。
近くには姫路の奥座敷で有名な塩田温泉があります。
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2019/06/26 07:40
英賀本丸、英賀神社、大木之濠跡 (2019/06/22 訪問)
東は水尾川、西は夢前川、南は播磨灘に囲まれた地に築いた平城。
英賀の戦い天正5年(1577年)の地。
黒田官兵衛が率いる500の軍勢で、毛利5000の水軍を撃ち破った。
まずは英賀本丸跡(中浜町2丁目42)は、石碑の前に車を駐車して撮影する。
次に英賀神社(英賀宮町2丁目70)へ、神社入り口の路上に駐車して探索開始した。
此処は何度かきているので、まずは東側に回った。
本殿は工事中で柵の外から撮影する。
西側に回って行くと何とか工事柵内に入ることでき、土塁跡を撮影した。
工事が休みで良かった。次に英賀神社の外へ出る。
外から撮影し、隣の公園にある模擬石垣を写し、車に戻る。
最後は英賀五差路の大木之濠跡に向かう。
北側にあるカメラのキタムラに留めて濠跡へ行く。
石碑と北側を流れる水路(濠跡)を撮影した。
次回機会があれば、水路を巡って見たい。
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2019/06/26 06:38
2019/06/26 05:53
2019/06/26 02:38
2019/06/26 00:08
2019/06/26 00:02
2019/06/25 23:58
2019/06/25 22:38
神秘のベールに包まれた大城塞 (2015/10/12 訪問)
埴原城は松本市の東南に位置し、信濃守護小笠原氏の居城林城の南の守りを司っていました。築城時期など詳細は不明。在地の埴原氏(村井氏)の城だったようですが戦国時代甲斐の武田信玄が信濃へ侵攻した際、埴原城を攻撃し落城させています。そして埴原城落城を受けて、林城、桐原城など小笠原系の城砦が戦わずして自落しました。
埴原城の凄さは、尾根先から山頂部にかけて城の守りを厳重にしている点です。城の西側には中山砦(現・中山霊園)があり、そこからは松本平が一望できます。つまり、こちら方面からの敵の侵攻は容易に見つける事ができ鉢伏山など2000m近い山を背後にしている敵が攻めにくい東側に対する防御が完璧なのです。主郭から東へ二の曲輪と続き、大堀切で一本進路を切っておいてさらにその先に畝状の竪堀を配すると言う念の入れよう・・・。埴原城の見どころは主郭から東側のこのくどいほどの土木量にあります。主郭の石積みは長野県の山城に多く見られる比較的平らな石をそのまま積んだもので、二段構えの構造は埴原城内屈指の遺構と言えます。
登城口の蓮華寺から歩道伝いに登れるので難易度的には初心者でも安心して登れる山城です。また、蓮華寺周辺は埴原氏の屋敷などがあったと推定されています。麓の屋敷跡から山城の奥の院まで、これ程の規模でしっかり造り込まれている埴原城の遺構は一見の価値大です。
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2019/06/25 22:16
駿河丸城
安芸と石見の国境近くに「駿河」の名を持つ城があった。駿河にルーツを持つ吉川氏が最初に本拠地にしたとの伝承を持つ、小さなお城だった。
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2019/06/25 22:09
被させて頂きます。 (2015/05/17 訪問)
数年前に小さい「長崎館跡」の石柱があったゴルフ練習場も今は無くなったとの情報が数多く挙げられているので、自分も被せてupさせて頂きます(ーωー;)
自分の訪問した2015年5月にはまだゴルフ練習場健在で、しかも綺麗だったので・・・まさかすぐに閉鎖になるとは夢にも思っていなかったです。
・・・セレブの方々の住むようなエリアだっただけに近所のお客様多そうだったので尚更(汗)
ちなみに瀬田城(長崎館)の主・長崎伊予守重光が開祖となる行善寺がすぐ近くにあります(入口にはその旨が書かれた解説も)
(同じ道沿いにあるので、坂を下らぬように・・・疲れますのでw)
周辺は瀬田遺跡でもあったとの事なので、よく古墳がお城に利用されるのと同様、ここ瀬田城も同じような経緯で築城されたのかもしれません。
いずれにしても長崎館跡の石柱が無くなった今、行善寺の解説が長崎氏の名前が残る唯一の手掛かりになってしまったのかも。。。ま、行善寺附近も城址ともされているので、わざわざ遠くから行く必要は無いものの、お城好きな方なら付近を訪問された際には立ち寄っても損までは無いかと。
地形的な雰囲気は最低限味わえますので。
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2019/06/25 21:59
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