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まーやん

長岡天神参詣のついでに… (2019/01/24 訪問)

長岡天神駐車場から車で坂を下り、そのままアゼリア通りを東へ真っ直ぐ進むと、阪急電鉄の踏切にあたる手前、南側に開田城土塁公園は位置する。
方形で土塁で囲まれた城だったらしく、遺構の一部が見れる。
開田城は西岡衆(にしのおかしゅう)という国人衆の一つ中小路氏の城だったらしい。同氏は長岡天満宮の宮司を務める家系だそうな。今も続いているのかな。
神社に関係あるからか、土塁内に巨大な楠が植わっており神々しい。
長岡天神は梅、桜、ツツジが有名な学問と花の神社で、阪急長岡天神駅からも然程遠くないので城址と併せて見ておきたい。

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まーやん

茶々の淀城はこちら (2019/01/24 訪問)

淀城の後に淀古城へ行ってみた‼️
ここは、桂、宇治、木津の三川合流地点の北側に位置する天然の要害。元々歴史が古い城で、応仁の乱、三好、信長、秀吉と絡みがある。
足利義昭とともに内藤ジョアンも滞在したのかなと想像してみる。今は妙教寺に石碑が残っている程度。寺横の水路が堀だったみたいだけど、時間がなく確認出来なかった。納所小学校側かな?
茶々のことを淀殿と呼ぶきっかけとなった城とか言われているが、女性に殿とは徳川の印象操作かもと好きになれない話。
石碑には、鳥羽伏見の戦いの時、砲弾が貫通したともある。どこの部分だろう…
敷地内には東軍の戦没者慰霊碑もあった。
今更ながら、乙訓も伏見も、都に近いだけあって結構色んな歴史があるんだなぁと「城びと」情報を元に周って改めて思う。

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織田晃司

南曲輪と北曲輪 (2019/01/26 訪問)

巨岩と磨崖仏で構成された南曲輪と土で構成された北曲輪

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じゅんじん

竪堀 (2010/03/10 訪問)

ここの見どころは何といっても竪堀の多さ。

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ヒロケン

畝堀(障子堀) (2019/01/04 訪問)

河村城は、標高225mにある山城です。酒匂川との比高は、約130mとなり「川村城址歴史公園」として整備されています。
平安時代末期に、藤原秀郷の一族である波多野遠義の子・河村秀高が河村城を築いたと考えられており、戸張城・猫山城とも呼ばれています。

戦国期に入り、韮山城主・北条早雲が小田原城を手に入れると、川村城も北条家の支配下とされますが、1569年に足柄城・深沢城と共に武田氏の前に落城した模様です。しかし、1570年に北条氏康が奪還し1573年まで改修工事が行われました。
1590年豊臣秀吉の小田原攻めに於いて、河村城で戦闘があったのか不明ですが開城し、徳川家康が関東に入ると河村城は廃城となりました。

河村城を訪ねた日は、小田原城・石垣山城に訪問しており、最後に河村城に訪問しました。
小田原城・石垣山城と立て続けにビックネームのお城に訪問しており、「疲れたから河村城に訪問するのを止めようか」と思っていたほどでした。自分は、車2台分駐車できるお城の北側に駐車しました。(河村城大手付近に駐車スペースもあるそうです)駐車場から本郭まで約10分で行くことが出来ます。
まず、馬出廓・西廓・北廓を見学し、本郭に到達。「フーン(-ω-)、こんなもんか」と城址碑と社の周りをうろうろしていた時に、目に飛び込んできたのが、茶臼廓と小廓でした。
茶臼廓と小廓・本郭の間にある障子堀(畝堀)が見事で、しかも堀が深い、「山中か〜」と独り言を言いながら堀を上り下りしながら写真をパシャパシャ。じっくり堪能したあと、蔵部・近藤廓・大場廓をたっぷり楽しみ(障子堀を見たあとなので物足りなさが残った)帰路に着きました。

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カルビン

小笠原氏城跡群の1つ (2019/01/21 訪問)

前日岐阜県攻めしてきたので、たまには出かけずに体を休めようと思っていましたが・・・
朝6:00頃に目覚めた事で、何故かあずさ号に乗って松本まで来ていましたw

目的は松本城ではなく、松本駅から西側にある小笠原氏城跡群・・・城びとに掲載されているのはそのうちの1ヶ所・井川城のみでした。
(東にある林大・小城はタイミング会ったら攻めてみようと思います)

国指定史跡との事ですが、実際には田畑で開けた中に小丘がぽつーーーーんとあるのが井川城で、遺構は無いと言って良いでしょう。
たまに国指定史跡なのに~・・・ってツッコミたくなるお城有りますが、ここはその1例となりますw
一応周辺はお城の名残として地名等にお城関係の名前が使われているっちゃ使われていましたが。。。それだけですなw


ここから更に西に行くと同じ小笠原氏城跡である渚城と荒井城があります。
どちらも遺構は無いですが解説は有りますので、もし行くとしたら井川城とまとめて松本城のついでに行ってみる・・・くらいで十分かと思います。

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小城小次郎

宇和島城

天守ばかりに注目が集まりがちなお城にあって、苔むした野趣溢れる石垣は規模雄大にして迫力満点の隠れた見どころとなっている。

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小城小次郎

甲府城

甲府にあっても武田氏とは関係なく、豊臣系大名が作り上げたのに徳川直系の親藩が代々藩主を務めているのは不思議と言えば不思議。現在は建物復元スピート加速中。

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わき☆れーじ

青空の天守台 (2019/01/26 訪問)

天気もよく、天守台はとても気持ちがよかったです。

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10Q-Nobu

町に埋もれた城址 (2019/01/14 訪問)

沼津駅から商店街を歩いている途中、立ち寄りました。公園に碑が立っているのみで遺構はありません。
周囲の町名から昔の城下を妄想するのみです。

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10Q-Nobu

多目的レジャー城址 (2019/01/26 訪問)

山頂までいくつかコースありますが、鎖場のあるコースは普通に登山する気持ちが必要になります。
津久井湖もあり、ダムも見れ、公園も整備されているので、お城以外も楽しめます。

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愛犬おじさん

風が強い日の訪城 (2019/01/14 訪問)

風が強くて寒かったので、帰り道に東栄温泉に入って帰りました。

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todo94

トンネルの上 (2019/01/19 訪問)

設楽ヶ原での敗戦後、武田勝頼がここまで退かざるを得なかった城と云うことで、ずっと行きたいと思っていた城ですが、駆けつけてみて吃驚。国道153号のトンネルの上が武節城でした。飯田市に居住していた頃から、幾度となくくぐっていたトンネルだったのに全く城と認識しておりませんでした。

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にのまる

三大山城制覇 (2019/01/13 訪問)

前日までは壷阪寺までバスで行くつもりだったのですが、夢創館でスタンプゲット後のバスの待ち時間がもったいなかったのと、散策マップに「ハイキングコース」と書いてあったので大丈夫な気がして、北回りで歩いて登城してしまいました。
武家屋敷の残る城下町を抜け、冬の朝の澄んだ空気の中、川のせせらぎを聞きながらのどかな風景の広がる道を進みます。道路は舗装されていて、道に迷うこともありません。「最強の城 高取城」の幟が励ましてくれます。砂防ダムを見て、宗泉寺にも寄り道しました。
…が、実は宗泉寺がハイキングコースのスタート地点でした(゚д゚)!
黒門跡から山道です。崩れた石垣や瓦の欠片が目に飛び込んできました。七曲り(もっと曲がった気がする)を過ぎると、一升坂。築城の際に一升加増されるほど大変な坂だったことからそう呼ばれるようになったという解説を読んで力が抜けました。
ご褒美はないけれど登るしかありません…。
ただ、恐怖を感じる崖っぷちはあまりなく、ロープやクサリ場もありません。きっついだけです。
そしてようやく猿石とご対面。写真のタイムスタンプを見ると夢創館から猿石まで1時間13分でした。猿石の先には、山城にして豊かに水を湛える幻想的な水堀。
二の門を抜けると侍屋敷が並んでいたそうで、瓦の欠片だらけでした。大きな屋敷跡には石垣が巡らされていました。矢場門の手前を右に折れると国見櫓。ここからの眺め、素晴らしかったです。国見櫓だけに国が一望できます。一升坂を登ったご褒美はこれだったのか!疲れも吹っ飛びました。(翌々日に筋肉痛きましたが。)
松の門から宇陀門、千早門、大手門、そして二の丸、本丸、天守台と続くアンビリバボーな石垣の連続。ちょうど日差しが出てきて、青空に映えて最高でした!本丸石垣の周りを一周してみたのですが、複雑すぎる面と優美な曲線を描く面との違いが印象に残りました。地元の達人さんに教えていただいた七つ井戸方面から見上げた石垣の姿も映え映えでした。
帰りは壺阪寺の方の道を一気に下り、結局全行程歩き通してしまいました。次は今回行かなかった吉野口門にも行ってみたいです。そのまま吉野方面に抜けられたらいいのだけれどどうなんだろ…。

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くろもり

不思議な景観 (2013/12/29 訪問)

北の二ノ丸跡に大型複合商業施設のリバーウォーク北九州が建っている関係で、南側から天守を見ると赤い大きな建物や高いビルが後ろに見えて、何とも不思議な景観になります。

天守と周囲の景色の異質さは、築城主の細川忠興のイメージに合ってる様な気がしますが、城址を散策してみると、茶筅塚(ちゃせんづか)や筆塚や花塚等、細川氏の後に小倉城主となった小笠原氏由来の塚があり、小笠原氏の文化的な面を感じることができました。

土塁が好きな方には、小倉城の西側にある思栄中学校の西側に三ノ丸の土塁が残っていますが、高さは2mあるかないかくらいでした。

小倉城の北東の紫川に常盤橋が木で復元されていますが、往時より川幅が広げられているので、往時の姿と同じというわけにはいかないようです。常盤橋の詳細な説明を読むと、九州の各街道がこの橋に連なっていたので、九州における日本橋のような所だったとのことでした。また、伊能忠敬先生が九州の測量をこの常盤橋から開始したそうで、測量記念碑もありました。九州測定開始の時、伊能先生は御年64歳だったそうです。

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スミヤキ

過ぎたるものは二つあり… (2019/01/17 訪問)

 「過ぎたるもの」で有名なのは、徳川家康さんの「唐の頭に本多平八」と 石田三成さんの「島の左近と佐和山の城」でしょうか。
 茨城県の城下町土浦にも「土浦に過ぎたるものは二つあり、刻(とき)の太鼓に關(せき)の鉄砲」という里謡があったようです。
 関の鉄砲とは、藩士関家の関流砲術の事でもともとの久留里藩土屋宗家が改易後、分家の土浦藩土屋家に移り、明治維新そして今日までしっかり継承されています。土浦城に隣接されている土浦市立博物館に鉄砲が展示され、映像で見ることも出来ます。公開演武も在るようです。
 刻の太鼓とは、城内の櫓門の楼上で明六つ(午前6時)と暮六つ(午後6時)に太鼓を打って、城下に時刻を知らせていたと言われています。1656年に改築された櫓門(太鼓櫓)と1770年に制作された太鼓が揃って現存しています。その太鼓は、1998年に復元された東櫓で見ることが可能です。毎年、時の記念日に復活しているそうです。朝の目覚ましがわりに太鼓の音色、いかがですか!

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課長

高石垣 (2018/06/02 訪問)

伊賀上野城の代名詞だが撮影スポットが限られるのが惜しい!

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こるまろ

尼子十旗 白鹿城 (2019/01/24 訪問)

ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42443217/

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カルビン

入れませんでしたorz (2019/01/20 訪問)

名鉄線明智駅で2城見学して時間切れと思っていたら、もう1ヶ所訪問できる時間があったので、犬山に寄るかこの先に行くか・・・
電車が来る方にしようと思ったら先に進む御嵩行の電車が来たので、1つ先・隣の顔戸(ごうど)駅にある顔戸城に行ってみました。

解説石碑があるくらいとは聞いていたので、そんなに期待していなかったのですが・・・


駅から10分もしないで到着した顔戸城、実は居館タイプで外周を意外と深い堀で囲まれたお城でした。

残念ながら中心及び堀に面した場所の大部分が私有地だった為に、一部の外周からしか遺構が見る事が出来ませんでした。。。

唯一中心に入れそうだった土橋が竹が倒れていて塞がれていましたので(><;)

見れる範囲で確認できた遺構だけでも侮れなかったで、全貌が解らず残念でした・・・


頑張って整備すれば、廃線が危ぶまれている名鉄線広見線の新可児駅から御嵩駅間にも少しは乗客が増えるのではないでしょうか?

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まっく

雪中行軍の登城 (2019/01/25 訪問)

二の丸も本丸も真っ白。土産物屋も閉まっていました。

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