ころもがわのさく

衣川柵

岩手県奥州市

別名 : 並木衣川館、並木屋敷
旧国名 : 陸奥

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道路沿いの案内板、手前に路駐
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カズサン

衣川柵初登城 (2024/05/23 訪問)

 接待館を終えて、前の道を西に約800mで衣川柵案内板に着きます。衣川柵初登城です。

 駐車場:無し、交通量は少なく案内板前に幅寄せして一時路駐。
 参考資料:グーグルマップに依る。

 衣川柵と聞くと安倍貞任と源義家の騎馬による歌合せ古代の武士の戦いは優雅だったのでしょうか?小学生の頃の日本史絵本が甦ってきます。
 事前に案内板だけと聞き及んでいましたので案内板と周辺、少し北奥を眺めて終了。

 案内板によると
 永承元年(1045年)安倍頼時が当時一帯に本拠を構えた、康平5年(1062年)9月安倍貞任撤退まで18年間安倍氏の政庁であった。その翌年の康平6年(1063年)から永保3年(1083年)までの20年間は安倍氏に替って奥六郡を支配した清原氏三代の政庁もしくは居館であったと言われる。
 

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にのまる

伝・並木屋敷跡。長者原廃寺跡も行きました。 (2022/11/27 訪問)

接待館から徒歩10分くらい。「並木屋敷(伝)」の説明板がありました。
抑えておきたかった場所なので、“伝”であっても、目に見える遺構がなくても満足度は高かったです。(写真①~③)

このあと長者原廃寺跡に行きました。(写真④~⑦)歩いて10分くらいです。
“遺構がなくても満足”の前言撤回するわけではないですが、目に見える遺構や復元された姿を目に出来るのはとてもありがたいし幸せです。
現地説明板に〈源頼朝も目にしたかった礎石群〉とありました。
「頼朝も城柵好きの礎石マニアだったか(゚д゚)!」
と急に親近感を感じ、帰宅後、吾妻鏡の現代語訳(吉川弘文館)を借りてみました。
文治5年(1189)9月27日の頁。
“草に覆われ礎石の場所もわからず……”
頼朝さんも藪漕ぎしたのかな( *´艸`)

ここまで歩いてきたので平泉駅まで戻るのがすごく面倒で、やっぱりレンタサイクル借りればよかったかなぁと思いつつ中尊寺から平泉駅までのバス便を検索してみたら一ノ関行きだったのでそのまま新幹線で帰れました。なんかよかったです。

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並木屋敷 (2020/09/19 訪問)

 畑となっていて遺構はありません。並木屋敷の案内板があります。

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todo94

安倍氏の本拠地 (2019/05/02 訪問)

高橋克彦の「炎立つ」を読了した2003年、ここを訪れようとしたはずですが、今回が初攻城のようです。畑の前に説明板が建っていました。

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城郭情報

分類・構造 古代城柵
天守構造 なし
築城主 安倍頼時
築城年 永承元年(1046)頃
主な城主 安倍氏、清原氏
遺構 消滅
再建造物 石碑、説明板
住所 岩手県奥州市衣川並木前
問い合わせ先 奥州市衣川総合支所農林商工観光課
問い合わせ先電話番号 0197-52-3111