朝イチの飛行機で着いたら、まずはクラネタリウムで有名な加茂水族館へ。
デカい水槽を独り占め。
しかるのちお城や致道館を巡り、藤沢周平記念館をゆっくり見学。
ランチは鳥海山を望むワイナリーで。
午後は土門拳記念館。
水田テラスで美味しい晩ごはんと温泉を楽しみました。
杜若の美しい季節が最高ですが、蛙の鳴き声が苦手な方に露天風呂は厳しいかな。
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2025/12/06 19:40
藤沢周平と鶴岡 (2022/05/24 訪問)
朝イチの飛行機で着いたら、まずはクラネタリウムで有名な加茂水族館へ。
デカい水槽を独り占め。
しかるのちお城や致道館を巡り、藤沢周平記念館をゆっくり見学。
ランチは鳥海山を望むワイナリーで。
午後は土門拳記念館。
水田テラスで美味しい晩ごはんと温泉を楽しみました。
杜若の美しい季節が最高ですが、蛙の鳴き声が苦手な方に露天風呂は厳しいかな。
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2025/11/29 23:07
いつ来ても楽しい鶴岡市① (2025/10/23 訪問)
永年病気一つせず過ごしてきましたが、今年は7月から二回の入院と手術。なんとか持ち堪え、この週末は心配をかけてしまった家内と自分へのご褒美に鶴岡市に温泉旅行でした。
とは言え今回も旅のテーマは、芭蕉おくのほそ道出羽路と戊辰戦争で庄内藩で活躍した「江戸のお巡りさん」こと新徴組の足跡をたどります。
新庄をあとにした芭蕉は本合海から舟に乗り最上川を下ります。途中仙人堂や白糸の滝を経て清川で船を降り、出羽三山に向いました。私もその行程をたどって羽黒山に向うのですが、羽黒手向町の随身門からの2,446段の石の階段は病み上がりの身にはきつく、有料道路で羽黒山山頂に登り、出羽三山神社に詣でることができました。
この日の宿は、鶴岡市湯田川温泉の隼人旅館です。江戸で活躍のあと新徴組は庄内藩に召し抱えられ、庄内に移動して戊辰戦争では庄内藩の一隊として大いに貢献します。その際この隼人旅館に本部を置き、隊員は湯田川の旅館や民家に滞在したといわれています。
隼人旅館の源泉かけ流しの温泉はいつ入っても適温で、新徴組関連の展示コーナーでは資料を読み、ゆっくりすることができました。
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2025/08/29 00:14
2025/08/01 13:56
新徴組を訪ねて (2025/07/26 訪問)
東北地方も猛暑日が続いている週末、ここ数年続けている山形県庄内地方を訪問しました。午前中は遊佐町の知人を訪ね、午後からは鶴岡市内でチョいと歴史探訪。何度も訪れている鶴岡市ですが、今回は「江戸のお巡りさん」の異名をとり、鶴岡に移住後は庄内藩の戊辰戦争でも活躍した新徴組に関わる場所を訪ねました。
先ずは鶴岡の奥座敷と云われる湯田川温泉へ。新徴組は元治元年(1864)に幕命で庄内藩士となり江戸市中取締りにあたりますが、慶応4年(1868)の庄内藩の江戸屋敷引き払いに伴い、組士136人とその家族311人が鶴岡の湯田川の温泉宿や民家に移住します。温泉街の西の山際に新徴組の墓地があります。ここには湯田川在任中に亡くなった組士と家族20名の墓があります。
次に、松ヶ丘開墾場跡へ。戊辰戦争の後、旧庄内藩は殖産興業策として蚕糸業を起こします。明治五年(1872)に旧藩士3,000人が刀を鍬に持ち替え、月山山麓の後田山で開墾にあたり、明治七年には311ヘクタールの桑園を完成させます。ここでは松ヶ丘本陣や大蚕室、開墾が始まってから大宝寺より移築された新徴組屋敷を観ることができました。
暑いさかりの時間でしたが、大蚕室を利用した開墾記念館は涼しく、幕末の動乱、そして戊辰戦争の時代をたくましく生き抜いた新徴組士や庄内藩士に思いを寄せることができました。
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| 城地種類 | 輪郭式平城 |
|---|---|
| 築城年代 | 鎌倉時代前期 |
| 築城者 | 大泉氏(武藤氏) |
| 主要城主 | 武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏 |
| 文化財史跡区分 | 国史跡(藩校)、国の名勝(三の丸庭園) |
| 近年の主な復元・整備 | 直江兼続、最上義光、酒井忠勝 |
| 主な関連施設 | 石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、藩校、庭園 |
| 住所 | 山形県鶴岡市馬場町 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 鶴岡市観光連盟 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0235-25-2111 |