東北地方も猛暑日が続いている週末、ここ数年続けている山形県庄内地方を訪問しました。午前中は遊佐町の知人を訪ね、午後からは鶴岡市内でチョいと歴史探訪。何度も訪れている鶴岡市ですが、今回は「江戸のお巡りさん」の異名をとり、鶴岡に移住後は庄内藩の戊辰戦争でも活躍した新徴組に関わる場所を訪ねました。
先ずは鶴岡の奥座敷と云われる湯田川温泉へ。新徴組は元治元年(1864)に幕命で庄内藩士となり江戸市中取締りにあたりますが、慶応4年(1868)の庄内藩の江戸屋敷引き払いに伴い、組士136人とその家族311人が鶴岡の湯田川の温泉宿や民家に移住します。温泉街の西の山際に新徴組の墓地があります。ここには湯田川在任中に亡くなった組士と家族20名の墓があります。
次に、松ヶ丘開墾場跡へ。戊辰戦争の後、旧庄内藩は殖産興業策として蚕糸業を起こします。明治五年(1872)に旧藩士3,000人が刀を鍬に持ち替え、月山山麓の後田山で開墾にあたり、明治七年には311ヘクタールの桑園を完成させます。ここでは松ヶ丘本陣や大蚕室、開墾が始まってから大宝寺より移築された新徴組屋敷を観ることができました。
暑いさかりの時間でしたが、大蚕室を利用した開墾記念館は涼しく、幕末の動乱、そして戊辰戦争の時代をたくましく生き抜いた新徴組士や庄内藩士に思いを寄せることができました。
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