しんじょうじょう

新庄城

山形県新庄市

別名 : 沼田城、鵜沼城
旧国名 : 出羽

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にのまる

城の香りの残るまち (2024/06/23 訪問)

山形城、米沢城、上山城と、山形新幹線沿線のお城を訪問した際、新庄城にも行けないものかと時刻表と睨めっこしたことはあったのですが、タイトな行程になりそうで見送っていました。
しかし〈いつか〉は向こうからはやってきてくれないもの。気になるところは行ける時に行っておこうという気持ちと山形新幹線完乗目的もあり出かけてきました。

 狙いはこの春デビューのE 8系でしたが満席だったのでE 3系で出発。帰りは臨時快速の陸羽東線で仙台経由で帰ることにしたので新庄滞在時間は1時間半。この規模のお城の見学時間としてはギリギリ最低ラインといったところです。
それなのに!新庄駅に着いたら先に出たE8が待機していて、E3と並んだ姿があまりにかわいくて離れがたくなり…。写真を撮ったり秋田方面へ向かう奥羽本線を見送ったりしているとどんどん時間が過ぎていってしまいました😱

新庄駅から新庄城までは徒歩10分強。大通りをまっすぐです。途中に三の堀跡、二の堀跡の標柱があり、本丸へ向かっているのを実感できました。標柱がなかったらただ通り抜けていただろうと思うので、ありがたいです。

三の丸と二の丸の間にある少し広めの交差点が鉤型になっていて、思わず足を止めてしまいました。ほかの町でも何度も見てきたこの感じ…。古地図で確認してみると大手口と一致しそうです。
実に感慨深い…。行きも帰りも立ち尽くして車の往来をしばし眺めておりました。
初めて訪れる町の静かな通りをワクワクしながら眺め歩くこのひととき。人生の忘れられない時間、大切な思い出になります。

新庄城は〈最上公園〉として整備公開されていました。しっとりと雨に濡れる紫陽花は町のシンボルでもあります。
園内は水堀に土塁、表御門石垣と城の痕跡がしっかりとありました。土塁の上、隅櫓跡の窪みは二層の武器櫓があった名残り。ここがいちばんリアリティがあり、印象深かったです。
二の丸跡から水堀沿いを歩き、北側の裏御門、大納戸跡の方へ行ってみました。方形の近世城郭を思い描きながら歩いていると往時の姿が浮かび上がってきます。

駅へ戻りつつ市役所へまわってみると「新庄開府400年」の大看板が掲げられていました。来年が400年の記念の年だそうです。通りの地面に敷かれた町の伝統を表現したタイルなどからも歴史を大切に守っていこうとしていることが伝わってきました。

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朝田 辰兵衛

CF,残念な結果となりましたが… (2024/04/06 訪問)

CF,残念な結果となり悔しいですが,みなさん頑張ったと思います。大変にお疲れさまでした。関係者やスタッフ以外で,奔走された方もいたかと推察します。「応援コメント」で盛り上がればと思い,積極的に「いいね」のリアクションをされた方もいらっしゃいました。
スタートダッシュがイマイチだった時の私の投稿で,「最●の城」や「博●ちゃん」で宣伝されれば…と提案しましたが,実現には至りませんでした。難しい側面もあったかと思いますが,ちょっとそれが心残りです。
昨年の姫路と横浜で,かるたの今後の見通しを伺ったことにより,このCFでの展開は不思議でも何でもありませんでした。どちらかというと,「一緒に戦うか!」とスイッチが入りました。
ま,結果は結果なんで受け止めざるを得ないです。まずは,今夜はゆっくりとお休みください。明日以降,前を向いて考えていきましょう。
私からの提案は,先日の投稿で「仙台城」の絵札と読み札が並んだカード紹介がありましたが,そのフォーマットで全カード紹介をしてみてはいかがでしょうか…?

この悔しさは,戦った者だけの特権です。傍観者にはわかりませんョ。戦った者は胸を張ってください。あなたは「英雄」です!

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しんちゃん

かつての城跡としての雰囲気を良く残す。 (2021/05/03 訪問)

新庄城は新庄盆地の中央に位置し現在は新庄八幡宮の境内になっています。戸沢藩初代戸沢政盛によって寛永3年3月に築城がなされたとのことです。かつては本丸を中心に二重の堀を配し指首野川を天然の外堀としていたようです。今でも八幡宮の周囲に堀が残り各所に残された櫓跡の標識が往時をしのばせます。

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ぎりょう

戊辰戦争で落城した戸沢氏六万石の居城 (2021/11/03 訪問)

コロナの新規感染者数も落ち着きを見せてきた祝日、地元鳴子峡の紅葉が見頃との情報でドライブに。例年この時期は道路の渋滞などで大変混み合うため早朝に出発し午前8時には到着できたが駐車場は既にほぼ満車の状態だった。きれいな景色にしばし見とれた後はもちろん城址探訪となるわけだが、山形県側に足を延ばして新庄城を目指した。
新庄市は戸沢家6万石の旧城下町。元和8年(1622)に山形の最上家改易により戸沢政盛がこの地に入封し、当初は真室城(鮭延城)に入るが手狭であったため、最上家家臣日野将監の居館を拡張整備して築城したという。
残された絵図によれば縄張は本丸を中心に南側に二の丸を設け、それを三の丸が囲む近世の平城。本丸には三重の天守と三つの隅櫓を、東側と北側には桝形の櫓門を構えていた。天守は寛永13年(1636)に火災により焼失し、その後は再建されなかったらしい。
慶応4年(1868)の戊辰戦争において新庄藩は、総督府軍(新政府軍)および秋田藩と奥羽越列藩同盟の庄内藩の間に在って御家存続のための活動を続けるが庄内藩軍の攻撃を受け7月14日に落城。城は新庄の街と共に戦火により消失したという。
現在、城址は最上公園となり本丸の堀、土塁、櫓跡、石垣などが残る。旧三の丸にある「新庄ふるさと歴史センター」の観覧もおすすめしたい。

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城郭情報

分類・構造 輪郭式平城
天守構造 不明
築城主 戸澤政盛
築城年 寛永2年(1625)
主な改修者 戸澤政盛
主な城主 戸澤氏
廃城年 明治元年(1868)
遺構 曲輪、石垣、土塁、櫓台、横堀(水堀)
指定文化財 市史跡
再建造物 碑、説明板
住所 山形県新庄市堀端町6
問い合わせ先 新庄市商工観光課観光交流室
問い合わせ先電話番号 0233-22-2111