落ち込む気持ちを海鮮丼で!
(2023/11/06 訪問)
鶴岡・酒田の旅、二日目は酒田方面に。庄内藩の本城鶴ヶ岡城の他に城として認められていた亀ヶ崎城跡を訪れた。この城は、最上川が現在より東側を流れていた時代、新井田川との合流地点に三重の堀と土塁によって築かれた平城。本丸と二の丸が並んで配置され(かつては一つの曲輪とも)、その外側を三の丸が囲む珍しい縄張だったようだ。中世から「東禅寺城」として国人領主の拠点としての歴史があるようだが詳細は不明のようだ。天正以降は上杉氏、最上氏の支配となるが、最上氏改易後に酒井氏が庄内に入部すると城代が置かれ、幕末まで続いたという。
明治五年の全国城郭存廃調査記録である「陸軍省城絵図」には「亀崎城絵図」として本丸・二の丸・三の丸の堀と土塁、本丸御殿、二の丸城代屋敷、土蔵、長屋、三ノ丸には内舛形の大手門、各曲輪をつなぐ橋と門が描かれており、廃城前の有様が判る。また、現在は旧二の丸跡西外側に位置する八幡宮が往時は二の丸内の東北隅に祀られていたようだ。
城址は現在酒田東高校の敷地となり、旧二の丸には校舎が建ち、旧本丸はグランドとして使われている。旧三の丸もすべて住宅が建ち並び堀はすべて埋め立てられている。ただ、旧二の丸西側に土塁が一部残っており往時を偲ばせてくれる。また、酒田市吉田伊勢塚の円通寺に廃城時に移設された旧搦手門が残っている。ただし、市街地からはずれ、城址から車で15分6.5kmほどの距離。
訪問前に見た亀ヶ崎城の投稿写真が皆さん同じだったので、なにか目新らしい場所をと意気込んでいたのだが、場所が学校で登校日であり、周囲を一回りするにも個人宅が取り囲んでいるため断念。残念でしたが早々に退散、「さかた海鮮市場」に向かい鮮度のよい海鮮丼に舌鼓でした(笑)
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