山形県内では、唯一の、藩政期からの現存建築物です。庄内藩の支藩です。「ほんま様には及びもないがせめてなりてや殿様に」で、有名な、酒田の大豪商 本間家が、関係している大手門です。
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2023/09/19 00:58
2023/05/26 20:50
2022/03/25 15:03
山形県唯一現存大手門 (2010/05/02 訪問)
数拾年前から日本城郭写真で出羽松山城のガイド写真は現存の大手櫓門が代表掲載されて居ました、やっと願いが叶い出羽松山城大手門との初対面を果たしました。
久保田城を終えて秋田道、日本海東北道を出来てる所まで走り後は国道7号線を南下、途中に象潟の名勝地を下車して眺め、山形県に入って国道7号線から遊佐町山手側の道を走る、途中に水の入った田圃越しに鳥海山がスッキリと観え富士山を眺めてる様に美しい景観でした。
出羽松山城到着は夕方の5時半ごろ、車は近くの駐車場を利用したようですが記憶に有りません、早速初対面の出羽松山城大手櫓門を見学観察撮影、大手門は山形県で唯一の城郭現存建造物で二階櫓部分が白漆喰塗り屋根に鯱が載ってる立派な櫓門です、大手門の前に水堀、馬出の土塁跡が残っている。だんだん暗く成り20分程で終了。
松山藩は庄内藩の支藩として庄内藩主初代酒井忠勝の3男忠恒が正保4年(1647年)2万石を文知され立藩、松山藩3代藩主忠休が若年寄に昇進し5000石を加増、城持ち大名を許され城門に鯱を上げる事も認可された。城門は落雷で焼失し寛政4年(1792年)再建され現在に残る。
駐車場はグーグルマップで確認すると現在松山歴史公園と整備され松山文化伝承館東に有ります。
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2021/07/03 09:20
「城主大名」の夢の跡 陸奥松山城 (2021/06/22 訪問)
松山城は酒田市(旧松山町)にある鶴岡藩酒井家の支藩松山藩の城。松山藩三代藩主忠休は長年幕府の要職を勤め、その功により築城を許された。城は本丸を中心に北・東・南側を二の丸が、さらに西・南側を三の丸が囲み、土塁・水掘りで区画する縄張であった。
築城は天明元年(1781)に始まり、翌年には三の丸櫓門(大手門)が完成するが、本丸は藩主忠休の死去、藩の財政難や凶作・飢饉により着工されないまま天明七年に終了したと云う。まさに天明の大飢饉(1783~88)が日本全土に及んだ時期であり納得できる。
城址はほとんど市街化されているが、かつての三の丸の一部が「松山歴史公園」となっており大手門と堀、土塁の一部を見ることができる。蛇足ながら「富原文庫蔵陸軍省城絵図」(2017戎光祥出版)には「松嶺城」として三の丸絵図が掲載されており、堀に囲まれ、大手門の正面に馬出、土塁上には白塀、横矢かかりなど廃城以前の姿が判りやすく描かれているのでご覧いただきたい。
駐車場は「松山文化伝承館」駐車場が利用できる。
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分類・構造 | 輪郭式平城 |
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築城主 | 酒井忠休 |
築城年 | 天明元年(1781) |
主な城主 | 酒井氏 |
遺構 | 大手門、横堀、土塁 |
指定文化財 | 県有形文化財(庄内松山城大手門)、市史跡(松山城本丸の土手) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 山形県酒田市松山町山田 |
問い合わせ先 | 酒田市教育委員会社会教育課 |
問い合わせ先電話番号 | 0234-24-2994 |