松山城は庄内藩の師範松山藩の城で松山藩三代・酒井忠安によって築城がなされました。大手は西につき、三の丸の東に本丸が置かれ、周囲を二の丸で囲む構造でした。土塁・堀が一部残り、建築物としては唯一大手門が残っています。この大手門じつに立派で唯一の建造物遺構ということもあり、この城址の中での存在感は抜群です。城址中心は松山歴史公園として整備され、松山文化伝承館で松山藩時代の展示を見ることが出来ます。
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2023/12/16 23:07
大手門の存在感は抜群である。 (2021/05/03 訪問)
松山城は庄内藩の師範松山藩の城で松山藩三代・酒井忠安によって築城がなされました。大手は西につき、三の丸の東に本丸が置かれ、周囲を二の丸で囲む構造でした。土塁・堀が一部残り、建築物としては唯一大手門が残っています。この大手門じつに立派で唯一の建造物遺構ということもあり、この城址の中での存在感は抜群です。城址中心は松山歴史公園として整備され、松山文化伝承館で松山藩時代の展示を見ることが出来ます。
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2023/12/08 22:20
鳩酸草家紋のある軒瓦に鯱があがる櫓門が現存
庄内藩支藩として出羽松山藩ができ、酒井忠勝三男の忠恒が藩主としてこの地を分与され、中山陣屋が構えられた。その後、松山と改め、加増により城主格となり、天明元年(1781)築城、時の城主酒井忠休は若年寄を歴任した。大手門は落雷焼失して寛政4年(1792)に再建されたもの。維新時庄内藩に従い奥羽越列藩同盟に与し、戊辰戦争で明治政府軍に降伏した。城の建物は取り壊されたが大手門は残った。櫓門、入母屋造、総欅白壁造、桟瓦葺、高さ12.75m。山形県内で唯一の現存城郭建築となった。
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2023/09/19 00:58
分類・構造 | 輪郭式平城 |
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築城主 | 酒井忠休 |
築城年 | 天明元年(1781) |
主な城主 | 酒井氏 |
遺構 | 大手門、横堀、土塁 |
指定文化財 | 県有形文化財(庄内松山城大手門)、市史跡(松山城本丸の土手) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 山形県酒田市松山町山田 |
問い合わせ先 | 酒田市教育委員会社会教育課 |
問い合わせ先電話番号 | 0234-24-2994 |