紫波町からの帰路、奥州市衣川の接待館跡に立ち寄りました。ここは平成22年2月に国指定史跡「柳之御所・平泉遺跡群」としてに追加指定されています。この館には過去に二度来ているのですが、遺構の再確認をと思い立ち寄りました。この地はかつては仙台藩領であり、藩の官選地誌『風土記御用書出』には安永6(1777)年、膽澤郡下膽澤下衣川村の古館の項に「セツタヤ(接待)館 東西三拾壹間 東西六拾四間 秀衡朝臣御母公居館之由申傳候當時畑ニ罷成居候事」と記載されています。平泉藤原氏三代秀衡の母の館であったと伝わり、安永6年当時は畑地となっていたようです。
奥州市教育委員会のパンフを参考にすれば、館は中尊寺の北の衣川の対岸に位置し、東西120m、南北65mの楕円形、河に向ってコの字型に堀で区画された平場で構成され、さらにその中ほどには東西40m、南北20mの溝で囲まれた曲輪がある。堀跡、溝跡からは12世紀後半のかわらけが大量に出土しており、儀礼や宴会が行われた場所であることが判っています。また発掘調査の結果区画外の東側には12世紀の四面庇の掘立柱建物跡が1棟確認されていますが、区画内部には建物跡や井戸跡は無いことから、「館の可能性は低い」とのこと。しかし残された遺構を見れば、館の南側は衣川で、北、東、西側は柳之御所に匹敵する規模の堀、土塁で防御しており館の要件は充分満たしていると感じます。
近隣には平泉藤原氏以前の安倍氏に関連する史跡もあることから、安倍氏の政庁跡、また源義経が自害した藤原基成の屋敷「衣川館」の可能性も指摘されているようです。
この日は館跡に立ち、南の中尊寺の山を見ながら、平泉前史に想像をめぐらせることが出来ました。奥州平泉の遺跡群を訪問される機会があればぜひ立ち寄っていただきたいと考えます。
東北自動車道 平泉前沢ICより5分、平泉スマートICからは25分。
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