おおはらじょう

大原城

兵庫県三田市


旧国名 : 摂津

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堀切
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ぴーかる

大原城 (2022/09/11 訪問)

【大原城】
<駐車場他>登城口前<34.901334, 135.216094>古紙回収BOXの所に駐車可能
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>日帰り西摂津東播磨ちょこ城巡りの旅3城目。大原城の築城年・築城者は定かではない。大原氏が城主の時に荒木村重の摂津進攻の際に落城しました。
 城の立地は東側からの山の扇状地の先端部分に築かれた丘城で駐車場所から主郭まで3分で行けます。城跡は現在、主郭と思われる曲輪に姫山神社の社殿があり東側に堀切を挟んで副郭があります。副郭内部は竹藪になっていて、副郭のさらに東側は切岸になっておりその下に畑やら民家があります。この辺りも曲輪だったように思います。主郭の周りに帯曲輪があり、主郭内部は東側堀切手前に大土塁があり、当時からのものと思いたい小さな五輪塔や石仏が集められています。曲輪内部に、これまた礎石または城で使用されたと思いたい巨石が残されています。

<満足度>◆◆◇

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三田(サンダ)盆地を行く (2022/02/26 訪問)

三田盆地あたりは約3500万年前に古神戸湖であり、その後に平な湖底が隆起し、武庫川等が浸食した地形です。福知山線三田〜新三田間の盆地西側には、数十mの段丘崖が見られ、その上に三田ニュータウンが載っています。この段丘の南端を利用して九鬼氏の三田城(陣屋)があります。
大原城は、武庫川東側の段丘がさらに南北を浸食されて舌状に伸びた比高20mほどの高まりを利用して縄張りされています。本郭と二ノ丸と帯郭群からなる比較的小さい城ですが良い感じの土の城です。本郭から大手口の間の帯郭は、果樹があるためか、草刈りされており、藪こぎせずに到達できました。大手口の下(外)は私有地です。かつての湖底であるため、城にある小石は丸っこい礫です。

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勝野武士

武庫川を望む小さな丘城。 (2019/05/05 訪問)

小浜宿を見たついでに寄ってみました。

JR新三田駅近く、国道176号線の大原交差点から東に入るとすぐそれとわかる地形に出くわします。
なぜか案内板も説明板もありませんが、その場所こそが大原城跡です。

比高約20m程の小高い丘陵の突端にあり、主郭の東に二の郭が並び、それを帯曲輪と水堀(空堀?)で囲んだという小さなお城です。
南西には武庫川が流れています。

この城の主であったという大原氏は、大原村と川除村の二か村を所領していた豪族であったそうです。
天正年間の初め頃に、摂津の平定を目指していた荒木村重によって攻められ落城した、ということ以外詳しいことはあまりわかっていないようです。

正直、あまり期待せずに行ってみたら、まずそのいかにも城跡って感じの雰囲気にまず驚きでした。
大半が竹藪と化してはいるものの、登城道の下には帯曲輪のような地形がしっかり残っていました。
そして主郭と二の郭を分けるように大堀切があって思わず「お~」と声が出てしまいましたw
そして主郭まで登ってみると、小さな神社があって、そんなに敷地自体は広くはないが櫓台のような高まりや土塁がしっかり残っていて、思ってた以上に良好に遺構が残っていました。
土塁の一部が凹んでいたのですが、おそらく大堀切の上を木橋が架けられていて二の郭と行き来出来るようになっていて、凹んでいる部分がおそらく門があったのかなぁなんて想像を巡らせる事が容易に出来ます。

どこへ行くにしても、正直行ってみないと実感なんて湧かないものなのですが、やはり行ってみないとわからないもんですね。
予想以上の収穫といいますか、一日の最後に充実感を得ることができた、そんな大原城跡でした。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 大原氏
遺構 曲輪、土塁、枡形虎口
指定文化財 市史跡
住所 兵庫県三田市大原字堀切