松永久秀が大和国支配のために築いた城で、多聞櫓の発祥の城であり、瓦葺きの屋根、漆喰塗りの白壁、そして天守の先駆けとも言われる四階建の高矢倉など、後世の築城に大きな影響を与えた画期的な城でしたが、久秀が織田信長に反旗を翻すも敗れて開城した後は破城となり、主殿は京都に、高矢倉は安土に、石材は筒井城に運ばれました。
本丸部分は現在では若草中学校の敷地になっており、遺構の多くは失われましたが、中学校の西側、西丸付近には土塁や櫓台がみられる…ようです。きちんと許可をとれば学内に立ち入って見学できるとのことですが、日曜の朝だったからか、門を入ったところの建物には教職員の姿はなく、無断でずかずか入り込むのは気が引けるので、この日は周辺を散策するにとどめました。
中学校の門から少し下って、西に向かうと佐保山南陵(聖武天皇陵)と佐保山東陵(光明皇后陵)があり、南陵の西側をまわって北側の狭い路地に入ると、南陵と東陵の間に設けられた堀切に行き着きます。天皇(皇后)陵のため立ち入り禁止ですが、それだけに往時の姿が残っていると思われます。
中学校の北側を切岸を見上げながら東に進むと、本丸と善鐘寺山(中学校のグラウンド)の間の堀切が切通道として残っています。この切通道から見ると東大寺などの社寺はすぐそこで、南都に睨みを利かせる城だということを実感します。
なお、中学校の門から南に下って、堀代わりとされた佐保川を渡ったところの若草公民館には、多聞山城についてのパネルや地形の模型が展示されているほか、資料もいただけるので登城前後にぜひ。
また、少し(かなり)離れていますが、生駒郡安堵町の旧石田家住宅(重文・中家住宅の西隣)には、多聞山城から移築されたとされる長屋門が残っています。…今にも倒壊しそうですが。
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