応仁の乱で名を上げ一気に越前国主の地位に登り詰めた朝倉氏の本拠地。京都からも公家や文化人が集まり戦国時代を通じて平和と繁栄を極めたが、織田信長の侵攻によって灰燼に帰した。その上、信長から越前を任せられた柴田勝家は拠点を北ノ庄に置いたので一乗谷の存在は忘れ去られ、いつしか田畑に埋もれてしまった。しかし、そのために遺構が現代まで良好な状態で残ることになったのだから世の中分からないものである。
いまだ至る所で発掘が行われている段階であり、すべて復元されたら壮大な歴史遺構になると思う。谷全体が一つの城であり街であり、当時の朝倉氏の軍事面・文化面での栄華が感じられる。
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