岐阜県多治見市にある屋敷跡ですが、遺構や説明は特になく遺址碑がありました。
多治見国長(正応2年-正中元年・1289-1324)は、美濃国(岐阜県南部)の守護・土岐頼貞(ときよりさだ)の同族。後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐計画に参加するも、一族の妻の密告により計画が発覚します。国長公の京都の宿所は六波羅探題の軍勢三千余騎により包囲されますが、わずか20人で勇敢に戦った末に非業な最期をとげました。これを「正中の変」といい、「太平記」などにも記されています。
現在も「ぎんざ商店街」の一角に残る「多治見国長公遺址」。かつては国長公の屋敷がここから西南に縦横100m程あったといわれています。明治13年の明治天皇巡幸の際に、遺跡として保存するために小さなほこらを建てて、霊を祭ったそうです。
以上、多治見市観光協会のHPより。
多治見国長公は後醍醐天皇の呼びかけに応じて京に上るも、武運つたなく討たれてしまったので、1905年11月18日に正四位を追贈されたそうです。また、毎年11月3日に開催される多治見まつりでは、市長扮する国長公の他、土岐一族も揃っての武者行列で市内を練り歩いたり、土岐川に架かる橋は「国長橋」と名付けられているようです。地元の武将を大切にしているなんて、多治見素敵やん。
近くに駐車場がなかったので、すぐ近くの「中華天国」さんの駐車場に止めてお昼を頂いて(ご当地グルメの「たじみそ焼きそば」が食べられます!)カミさんに会計まかせてる間にささっと写真をとりました。観光協会のHPによると「中華天国」さん辺りも屋敷跡の一部だったようです。多治見駅からだと1kmで徒歩15分程のようです。
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