GWの名古屋旅行で行けなかった犬山城へ。
まさかまさかの修理中。
GW無理矢理にでも行くべきだったな〜。
それでも木曽川越しに見る犬山城が美しい。
晴れて輝く木曽川と天守の姿があまりに美しいので
遠回りして駅まで歩いた。
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2019/10/27 13:03
犬山城 (2019/10/27 訪問)
GWの名古屋旅行で行けなかった犬山城へ。
まさかまさかの修理中。
GW無理矢理にでも行くべきだったな〜。
それでも木曽川越しに見る犬山城が美しい。
晴れて輝く木曽川と天守の姿があまりに美しいので
遠回りして駅まで歩いた。
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2019/10/27 05:11
国境の城 (2019/10/26 訪問)
越中と加賀の国境にあり小原道という街道が近くを通り、交通の要衝を抑える目的で作られた城です。城址公園として主な場所は整備されていて歩きやすい。ただ笹などが多くの横堀や竪堀を隠してしまっていて十分見ることができないので、もう少し整備していただくよより良い城址になると思います。また絵図で大堀切と書かれている所に舗装された道路が通っていて面影があまりないことが残念です。
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2019/10/27 04:57
2019/10/27 04:44
雨中の散策 (2019/10/25 訪問)
神通川と支流である土川の間の台地に築かれた連郭式の城址で北東西は断崖絶壁で囲まれています。圧巻は本丸を囲む大空堀です。登城口から入って本丸に向かうとすぐに見ることができます。大手口へ行き、その後各曲輪や竪堀、空堀、井戸跡などを見ながら城生口へ出て来ました。かなり見ごたえにある城址です。非常に楽しみにしていた城址ですが、訪れたときは気合の入った雨が降っていて傘を差しながらの見学になったのが痛恨の極みです。撮った写真を見てみると傘を持って雨中に撮ったためだと思われますがボケている写真が多く悲しかった。最後に腰曲輪に行きましたが、一人が通ることが何とかできる程度の道を進みます。片側は急峻な崖になっていてかなり怖かった。
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2019/10/27 01:34
根知城散策 2/2(上城山城,栗山城)を。 (2019/10/26 訪問)
根小屋城,詰城の上城山城,館城の栗山城(ウツグラ館)を総称して根知城と呼称しています。
信濃・葛尾城主だった村上義清が武田信玄に領地を奪われ,上杉謙信に救援を求め越後へ。謙信は,村上義清をこの根知城の城主として,信濃国境監視に当たらせました。栗山城(ウツグラ館)登城ルートからちょっと外れたところに,村上義清の墓所もあります。
なお,子の国清は,不動山城を越えた先の徳合城の城主に命じられています。さすがの謙信も,親子で領地が隣接していると良からぬと考えたか…?
上城山城は,標高:527m,比高:420m。根小屋城の南側尾根伝いに徒歩約20分。
登城タイミングが早かったせいか,主郭の標柱を発見できず…<泣>。
しかし,眺望から主郭であると判断しました。
上城山城から栗山城へ抜けるルートも存在してますが,ちょっと危険と判断。ひとまず下山してから栗山城を目指しました。
栗山城は,標高:170m,比高:70m。栗山城の植物の生長ぶりは,土塁の形状も見事に覆いつくしていました。取れ高が少ないのはそのせいだと思ってください。
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2019/10/27 01:20
根知城散策 1/2(根小屋城)を。 (2019/10/26 訪問)
根小屋城,詰城の上城山城,館城の栗山城(ウツグラ館)を総称して根知城と呼称しています。
信濃・葛尾城主だった村上義清が武田信玄に領地を奪われ,上杉謙信に救援を求め越後へ。謙信は,村上義清をこの根知城の城主として,信濃国境監視に当たらせました。栗山城(ウツグラ館)登城ルートからちょっと外れたところに,村上義清の墓所もあります。
なお,子の国清は,不動山城を越えた先の徳合城の城主に命じられています。さすがの謙信も,親子で領地が隣接していると良からぬと考えたか…?
根小屋城は,標高:370m,比高:270m。勝蓮寺の南側に登城口アリ。JR根知駅から徒歩約20分で登城口。登城口から主郭までは徒歩約100分。
私の登城タイミングは,少し早かったな…と感じました。しかし,週末貴重な登城日和に恵まれた上越地方に呼ばれてる気がしたもので…<笑>。
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2019/10/26 23:32
2019/10/26 22:54
勝興寺 (2019/10/24 訪問)
勝興寺付近が城址です。
櫓かと思う鼓堂が印象的です。外から回ると土塁や空堀が良好に残っていることを確認できるようですが、今回は確認できていいません。
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2019/10/26 22:47
神保氏の城 (2019/10/24 訪問)
射水市立放生津小学校が跡地です。北側に案内板があります。土塁がありましたが当時ものではなく、遺構は地下に眠っているようです。
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2019/10/26 22:42
2019/10/26 22:33
2019/10/26 22:26
2019/10/26 22:19
良好な遺構 (2019/10/24 訪問)
かんり広い城域があり遺構も見ごたえがあります。主な場所は道も整備されていて歩きやすかった。
初めに搦手へ行き食違い虎口、堀切などを見て、引き返し主郭へ向かいました。牛ヶ窪から百間馬場日向かう途中に左手にいくつもの堀切を確認できます。本丸および二ノ丸周囲にも一部石垣を見ました。カンジャ屋敷から金戸山へ行こうとしましたが倒木などで行くことができませんでした。野崎屋敷の先にある二重堀切等の遺構はすばらしく、この城址の見所の一つでしょう。展望台先にも二重堀切はありましが、西念寺へ降りて行く道から確認できます。ただ西念寺方面へ向かって森寺集落に降りて行くと30分近くかかりました。
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2019/10/26 20:26
尼子十旗めぐり 3城目 (2019/10/26 訪問)
熊野城は尼子十旗の一つとして富田城攻防の重要拠点であった。城主熊野氏。永禄6年(1563)9月、白鹿城を包囲していた毛利元成は、後方から牽制する熊野久忠を討つため、熊野城を攻撃したが撃退された。元亀元年(1570)布部合戦の後、
牛尾城の落城を見て開城した。かわって富田城の城督だった天野隆重が入城。【須谷地区公園 案内板より】
所在地 松江市八雲町熊野
標 高 280m 比高 180m
熊野城・三笠城・高麻城と三城まわる予定だったか、熊野城主郭でいきなりの雨。今回は熊野城だけになりました。
登山道は、最近草刈りがなされており気持ちよく登れました。曲輪は竹藪になっています。マムシ注意の標識がありました。流石にもういないだろうと思っていましたが、雨に降られ下山中に出くわしてしまいました。蛇が大の苦手な私は、思わず叫んでしまいました。
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2019/10/26 19:04
干潮時を調べて (2019/10/26 訪問)
舟隠しの内部を見に行こう
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2019/10/26 18:39
2019/10/26 15:28
🚻古代の水洗トイレ🚻 (2019/08/12 訪問)
夏休みの秋田旅行の2日目。この日は久保田城を見たあと近くの秋田城に行きました。僕は秋田城に何があるのか分からないまま行ったので、正直はやく見終わるんじゃないかなと思っていました。でも、行ってみたらかなり魅力あるお城でした。
まずお城に到着。駐車場の近くにある史跡公園管理棟でスタンプを押し、いざ向かいます。
最初に見えてくるのは東門です。見てすぐにあ~古代って感じだな~と思いました。赤と白のコントラストはとても綺麗でした。また、横に連なる築地塀も現存してるっぽく復元されていました。
さて、ここで少し歴史を紹介します。秋田城は奈良~平安にかけての城柵で出羽(山形県)北部の行政などの中心地だったそうです。ちなみに秋田城は朝廷によって設置された城柵の中で最北にある城柵だそうです「Wikipedia引用」
そうして東門をくぐり秋田城の中へ。池があったり、建物跡があったりきちんと整備されていて非常に見学しやすかったです。
そして、一番といっていい見所古代の水洗トイレを見学!(勝手に一番と言っています😅)初めて見た感想は個室がデカイ!ってところです。なんか今のトイレとは全然違って興味深かったです。今は水を流す体験はできますが、実際にしては行けませんww
そんな感じで魅力ある秋田城でした。
今回は時間がなく秋田城跡歴史資料館は見れなかったのでまた次来たいです。
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2019/10/26 12:55
吉田城 鉄櫓 (2019/10/23 訪問)
石垣が素敵な城。
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2019/10/26 09:43
墨俣城 (2010/11/17 訪問)
墨俣(現在の岐阜県大垣市墨俣町墨俣)は、美濃と尾張の国境で、長良川沿いに位置しています。
ここに城を築けば、岐阜城(当時は稲葉山城)まで、船で簡単にアクセスできるので、美濃攻めを目論む織田信長にとって喉から手が出るほどほしい土地ででもありました。
それゆえ、美濃側はこの地に築城することをけっして許さず、信長家臣の佐久間信盛、柴田勝家が試みるもあいつい失敗しました。
しかし、木下藤吉郎が名乗りを上げ、一夜にして見事に築き上げ、後の出世の出発点となったという伝説が残っています。
しかし、この立派な天守閣、そして太閤出世橋。一夜では出来んでしょ?
屋根にはしっかり金のシャチまでのっているし・・・・・!
バブル景気の最中、竹下内閣は「ふるさと創生資金」と銘打って全国の各市町村に1億円ずつバラ撒かれたことがありました。
このときに、史実に基づかない城を立てた自治体もいくつかありました。
墨俣町(当時)も、墨俣城の整備にその資金があてがわれたのでした。
かくして歴史にそぐわないデザイン・規模の天守閣のような建設物は作られ、反対した議員名は瓦に記されたとか・・・・(ニュースで聞いた覚えがあります)
このようないきさつもあり、墨俣城はマニアの間では酷評なのです。
天守閣に見える建物は、大垣市墨俣歴史資料館となっています。
歴史資料館は「墨俣の歴史」「墨俣築城」「豊臣秀吉について」などがわかりやすく展示され、これ自身はなかなかよいものでした。
史実に基づかない天守閣ではなく、地元ゆかりの建築デザイナーなどに設計した建物にすればよかったとおもいます。
資料館によると墨俣城は一夜ではなく数日の昼夜突貫工事で作られたと考えられているそうです。
秀吉が成功した秘訣は、
① 木曽で木を切り出し、木曽川を下降しながら製材・加工・蓄材を
それぞれ別の場所で行い、現地では組み立てるだけのプレハブ工法を用いた。
② 美濃側に「北勢攻めの準備をしている」とのウソの情報を流した。
③ 失敗に終わった前任者は土塁で敵襲を防ごうとしたが、
秀吉はまず馬防柵を張り巡らせた。
ことがあげられるようです。
けっきょく、現地で一番史実に基づいているのがこの馬防柵ということでしょうか。
最上階から金華山を臨みました。山頂に岐阜城が確認できます(山麓の建物は岐阜県庁です)。
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