淀殿の淀城ではなくて、徳川の淀城です。
天守台前の『淀城の由来』に
〈天守台の石垣解体修理に伴い発掘調査が行われ、大小の礎石を含む石蔵が発見された。これは四隅に櫓を持つ白亜五層の天守閣の地下室と基礎であり、宝暦6年(1756年)の雷火で炎上する以前の雄姿を偲ばせるものである。〉
と記されていました。
〈白亜五層の天守閣〉は大和郡山城→二条城→淀城と移築されたのだそうです。古の姿を想像し享受できる幸せを感じます。
勝野武士さんの長文がとてもとてもわかりやすかったです。ありがとうございます。
石垣の上に上がるとすぐそばを京阪電車が走っていました。三原城にはかないませんが、福山城より近いです。
公園の反対側から出ると、矢穴石のベンチや水堀越しに見上げるフォトジェニックな石垣もあり、規模は大きくありませんが見どころたくさんの城址でした。
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