よこちじょう

横地城

静岡県菊川市

別名 : 金寿城、横地氏城館

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横地氏一族の墓
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姫街道

横地城の楽しみ方 (2020/06/14 訪問)

 「菊川城館遺跡群」の一部として国指定を受けてる横地城。二回目の登城だ。横地城は全長が1.5kmあり、一気に回ろうとすると雑になってしまうので、西端から横地城を攻略していくのがお勧めだと感じた。スタートである城の西端は見所満載。三光寺跡や横地氏一族の墓からはじまり、横地氏最後の若君の屋敷跡である「藤丸館」や「斯波武衛邸宅跡」が並ぶ。今は茶畑になっているが、広い曲輪が形成されており、当時をしのばせる。
「東の城」・「中の城」・「西の城」がある山城は、それら居館の詰め城のごとく尾根伝いに連なっている。平安時代からある城であり、標高も100m前後と高くないが、自然の地形を巧みに活かして400年近くこの地に君臨した巨城だ。不思議なのは、戦後時代に武田軍が勝俣城は活用したが、この横地城を活用したという話を聞かない事だ。新野・朝比奈・比木とあった武田軍の高天神城へのルートに対して、新野ルートの一山北の位置関係といったところで、大軍が陣を張るには十分な規模だと思うが…
1476年に今川との戦で陥落して以来、主役の座を新野郷に取られてしまった感じだ。

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姫街道

遠州随一の広さを誇るであろう魅力的な山城 (2020/01/29 訪問)

菊川水系の山城は起伏が激しく、堅固な山城が築けて魅力的だ。横地城は、地形が破壊される事が少なかったのか、非常に大規模な山城として保存状態も良いです。
さて、攻城は二つの池の間からスタート。険しい山道を登ると、パッとメインストリートに出ます(笑)そのメインストリートは今まで見た事ない長さの一騎掛けで、西の城〜中の城〜東の城をつないでいます。
しかも、西の城のさらに西には詰めの城。東の城のさらに東には石原峰と、いわば詰めの城〜石原峰が1本の一騎掛けでつながっていたのではなかろうかと思うほど、東西の長い尾根上をメインに城が構築されてます。
構造的には本丸があった東の城から堀切に向かっては何重にも曲輪があり感嘆の声が出てしまうほど見事で、見晴らしは全周。ニの丸がある西の城は象の鼻と呼ばれる土塁と壕が防御を固め、見晴らしは北側。中の城は、千枚敷を備える。見晴らしは南側。
今回、東端は石原峰の手前で行く手を遮られ、西端は詰め城までで、三光寺跡までは攻めなかった。次回は、石原峰や三光寺跡へも行ってみたい。

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カズサン

源義家ご落胤東遠中世大城郭 (2017/01/28 訪問)

 大河ドラマ「直虎」ブームで東遠江の城廻り、横地城は以前より認知はしてましたが山城探訪の私としてのタイミングに成って無く今回まで未踏のままでしたしたが新野氏遺跡巡りの中で初登城、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんに依り上池東のトイレの有る駐車場に停める。
 駐車場より千畳敷に至る急峻な登城路を登ると千畳敷、西の城、中の城、本丸金寿城と探訪しました。小笠原丘陵の入り組んだ丘陵を使った城郭を堪能し、駐車場に戻って上池と丑池の間の離合困難な登城路を登り西の城の西に至り非常に狭い道を西に進み、武藤館、藤丸館、隠し井戸、横地氏一族の墓を廻って広い県道245号線に降りる、対向車が無く無事下城。

 源義家から繋がり今川氏との攻防により約400年の東遠州の名門も衰退しました。

 

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さわ5540

横地城 (2019/03/02 訪問)

横地姓の発祥地です。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 横地家長
築城年 室町時代前期
主な城主 横地氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(菊川城館遺跡群)
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県菊川市東横地
問い合わせ先 菊川市教育文化部社会教育課
問い合わせ先電話番号 0537-73-1114