やしろやまじょう

社山城

静岡県磐田市

別名 : 八代山城、水巻城
旧国名 : 遠江

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大堀切南方向、本曲輪二の曲輪間
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カズサン

社山城-3/3 二の曲輪編 (2026/02/14 訪問)

 社山城の二の曲輪は本曲輪(南北約70m東西約25m)山頂部と幅約10mの堀切を挟んでL字に東尾根に連なっり本曲輪と同規模です。西側に大土塁が並び南北に2分割に成っており間が本曲輪との堀切に架かる木橋跡?であったと23日の歴史シンポジウム加藤理事の講演。縄張図に本曲輪と二の曲輪間北部に虎口の表示が有り、北の曲輪尾根筋と東の尾根筋の谷筋が往時の大手道と記されている、本曲輪と二の曲輪間の堀切北が大手虎口の様です。
 二の曲輪の中間点に堀切、竪堀が有り、南に虎口がある、土橋で二の曲輪東部へ、東の尾根筋、南の尾根筋に小曲輪が尾根上、斜面上に並んでいる。東部、下部の小曲輪には樹木も茂って居り踏み込んで居ません。社山城全体に樹木、草木が茂って鬱蒼としている。
 今回23日の歴史シンポジウムイベントで本曲輪北西部の一部樹木伐採が景観が開いた唯一の試みでした。今後の景観整備、登城路整備が益々待たれます。
 下城して西側の豊岡小学校西を流れる一雲済川西土手より社山城西部を眺める、磐田台地北端の隘路北の一本高い木が目立つ所が本曲輪です、一雲済川は信玄が遠州を西侵攻し磐田台地西側を北上して社山城を過ぎて在陣した合代嶋を流れて居り社山城から北へ約1km程で合代島です、現在豊岡中学校辺りが字名で「合代島」と成っています。グーグルマップをよくよく眺めても史跡マークで「合代島」は検出されません。
 23日の歴史シンポジウムで、御城印は集めていないし興味も無いのですが、磐田市の3城「社山城、中泉御殿、城之崎城」御城印3枚セット1,000円で販売して居ましたので募金と記念に購入しました。
 
 地理的に少し不便ですが車でのお越しがベターかと思います。磐田市文化財課も力を入れ始めていましたので少しずつですが環境整備も進むでしょう。
 社山城3編に渡って長らくご覧頂きありがとうございました。
   

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カズサン

社山城-2/3 本曲輪編 (2026/02/14 訪問)

 社山城は天竜川の東河岸段丘、磐田台地の北端隘路の北、独立丘陵標高136m頂上に本曲輪を構えています、本曲輪北側に堀切と横堀が北から西に廻り込み、本曲輪南まで繋がっております。横堀が見所の様ですが北の堀と切岸を眺めて奥には入り込みませんでした。東崖側には竪堀で落ち込んでいます、竪堀上に架橋されて本曲輪虎口へ。
 本曲輪に八幡神社が北側に鎮座、神社の奥北側に土塁が残って居る、北側の土塁西側の樹木が伐採されて西天竜川方向、浜松方向の見晴らしが開けていました、今回のイベント歴史シンポジウム「いざ、遠州やしろやまじょう!」の社山城歴史見学会、春風亭昇太師匠社山城探訪見学の為のおもてなしでしょうか? 
 蘇鉄が一本植栽されて居る600年前に今川氏の命で匂坂氏が社山城を構築し3本の蘇鉄を植えた、匂坂氏城主交替により蘇鉄は匂坂城へ移植されたが信玄侵攻で匂坂城は焼失、蘇鉄は移植されて残った。その蘇鉄の株分けして故事を記念して社山城に里帰りさせたと。(平成17年2月)
 本曲輪には案内板が新しく成っており、関口宏行氏作成縄張図付き解説板(令和5年5月)大変見易く成っています。
 二の曲輪がL字型で折れて東尾根に約10mの堀切で離れて構築されている。(二の曲輪で投稿します)

 23日の歴史シンポジウムの加藤理文氏の解説講演で本曲輪の北から西側の南端までの横堀が見所素晴しいそうですので、降りるポイントを探して何時か探訪したいと思っています。
 

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カズサン

社山城-1/3 北の曲輪と登城路編 (2026/02/14 訪問)

 2月23日の歴史シンポジウムいざ遠州社山城!の参加聴講前に社山城へ5年振り3度目の事前探訪へ、参加はしませんでしたが前日に磐田市文化財課職員案内の30名限定社山城跡見学会が有るので、景観整備草刈樹木伐採されているかもとの期待感も有っての登城でした。
 駐車場:北西麓の慈眼寺(静岡県磐田市上神増99)参拝者駐車場を利用させて頂く。

 慈眼寺さんより東坂道を峠へ案内指示板があり南へ、民家の前に社山城跡散策路図と案内指示板、更に南に登って徒歩860m約10~15分で登城口へ、尾根に登ると茶畑です、登城口前にギリギリ1台駐車可能エリア、既に1台駐車あり。
 登城口から5分程登ると北の曲輪の北前の横堀、三日月堀に見えるがシダが茂って居り良く見分けがつかないがシダのへこみで何となくわかる、切岸もシダに覆われている、草刈りシダ刈は今回のイベントでは無視されたようです、登城路は堀底道で後世の登城道です、北の曲輪へ登るが尾根筋の細い曲輪北先端がやや広く見張台かも?下に帯曲輪か?南に降りると堀切、土橋が有り過ぎて崖架橋、左右は竪堀。
  

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カズサン

歴史シンポジウム「いざ、遠州社山城!」参加聴講しました (2026/02/23 訪問)

 磐田市市制施行20周年記念事業、歴史シンポジウム「春風亭昇太と語る秀吉時代の磐田」【いざ、遠州社山城!】に参加聴講致しました。
 会場:磐田市民文化会館「かたりあ」ホール1,500席の大ホール満席でした。住所:静岡県磐田市上新屋678-1、国道1号線バイパス北隣接地、駐車場大駐車場東西に在り。
 出演者:春風亭昇太師匠、加藤理文日本城郭協会常務理事、内山絵里加フリーアナウンサー
 シンポジウム参加料:1,000円
 開催日時:令和8年(2026年)2月23日13時~16時
 スケジュール
 Ⅰ:基調講演 春風亭昇太師匠、後半15分より加藤理文日本城郭協会常務理事参加
 Ⅱ:講演「社山城」 加藤理文日本城郭協会常務理事
 Ⅲ:トークセクション 春風亭昇太氏、加藤理文氏、内山絵里加氏
   途中に磐田市教育長、磐田市長の挨拶有り。
 
 参加者にはA3のリフレット1枚をカラー裏表で4ページ分資料配布されて居り、それを参考にスライド映像を見ながら加藤氏の講演を聞く。
 社山城の歴史
 今川氏と斯波氏の抗争(文亀の頃1501~03年)を遠江の城郭配置図で抗争合戦を社山城を中心に語られた、社山城の独立丘陵による交通と眺望の重要性があり、浜松方面と二俣方面の動向が良く分かる立地と天竜川河岸段丘崖の要害要衝による。
 武田氏と徳川氏の抗争(元亀3年1572年)、武田信玄の遠州侵攻ルート絵図をを使い、三方ヶ原合戦の前、二俣城攻めの為に合代嶋へ陣を敷いたが知られて居り合代嶋、社山城辺りに布陣し拠点とした。翌年信玄の後を継いだ勝頼が遠江に侵攻、社山城を抜けて袋井へ陣を張ったと言います。武田方と成った二俣城の備えとして家康が社山城に砦を構えた。・・以降社山城に関する記録は途絶える。
 社山城の構造
 社山城周辺城郭位置図(元亀~天正年間始め頃)、社山城縄張図(作図:関口宏行氏)、二俣城奪還後の武田軍による徳川勢力分断図をスライドに映し解説頂く。
 位置は天竜川東の河岸段丘磐田台地北端の独立丘陵標高136mの山城、涅槃像の頭の部分に当たる、現登城口よりは比高20~30m程、北尾根上に北の曲輪尾根先に横堀2段、北の曲輪南側に土橋と堀切、尾根筋を南へ登折り本曲輪(南北約70m×東西約25m)の北に切岸と横堀を北から西に回らす、北東角からは竪堀で遮断してる。本曲輪南側よりL型に東へ二の曲輪(本郭と同規模)、本曲輪と二の曲輪間に約10mの堀切、二の曲輪の東尾根には2条の堀切と土橋、本曲輪崖下にも2条の堀切で防御してる、各曲輪下斜面には小曲輪が多くある。
 加藤氏の見解では社山城は斯波氏今川氏武田氏徳川氏へと流れて武田氏と徳川氏の大改修がなされて居り、天正4年以降で同年の二俣城奪還戦時と同12年の小牧長久手合戦の豊臣軍の侵攻に備えての2回との事。
 家康が秀吉に臣従した時点で社山城の機能は停止したと。

 春風亭昇太師匠の基調講演とトークセッションとも楽しく聴講させて頂きました、今回のシンポジウムに合わせて、前日に磐田市文化財課職員の案内による社山城探訪限定30名見学会が有り、当日午前中には春風亭昇太氏加藤理文氏内山絵里加氏の探訪が有り、事前に社山城西側の樹林を伐採し天竜川、浜松市方面、二俣方面の眺望が一部開けたそうです。探訪のチャンスです。
 社山城遠望写真は2月14日撮影です。
   
 社山城を事前2月14日探訪しましたので続きで後日投稿します。
  

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 斯波氏、今川氏、松井氏、徳川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡
再建造物 碑、説明板
住所 静岡県磐田市社山
問い合わせ先 磐田市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0538-32-9699