【社山城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.817355,137.854148>の茶畑横に2台程停めれる。
<交通手段>車
<見所>横堀・竪堀・堀切・土塁
<感想>日帰り今シーズン山城ラスト旅3城目。現地説明板によると社山城の築城者・築城年代とも定かではないようです。文亀年代(1501~1503年)のころ今川氏と斯波氏との間に抗争の舞台になったという記録があります。その後今川氏の支配下に置かれ、今川氏衰退の後は徳川家康の支配下に置かれます。1572年に武田信玄の遠江侵攻、二俣城攻めで一旦落城したと考えられますが、1573年に徳川家康が修理したという記録を最後に記録が途絶えています。
登城口は上記駐車ポイントと東側から通っている道路からと2箇所あるようです。登城道は整備され、足場も組まれているので楽に登城できます。上記駐車ポイントからだと登り始めてすぐに北の曲輪の横堀が右手に見られるます。横堀の上部に堡塁があり、礫石が多くあります。石組壇の櫓があったように思います。進むと細い土橋の大堀切があり、主郭に至ります。主郭は東西に広い長方形で西面と南面に横堀、北側は2郭と隔てる大堀切、東面は崖になっています。南面の横堀は長大で土塁上には多くの礫石があります。この横堀はすごい見応えがあり、武田流の横堀といわれる構造ですが、武田信玄の手は加わえられていないようなので私的な考えではこういう長大な横堀構造は駿河・遠江・甲斐に元々あった造りだったようにも感じた。
文書が逸れましたが、戻って、主郭南側の横堀のさらに南側は竪堀と小曲輪とが入り組んでいる防御構造となっています。一帯の散策がすごく楽しいです。主郭から北側に2郭があり、主郭程の広さがあります。2郭北側に切岸の高い大堀切があります。2郭の北側にも尾根上の曲輪が伸びていて、数ヵ所堀切で仕切っています。現地説明板には主郭と2郭の東側にも腰曲輪が連なっているのでチャレンジしましたが、道が無くて断念しました。横堀・堀切がダイナミックで堡塁などに礫石が残っていて、かなり見応えがあり、散策が楽しい城跡でした。お勧め山城です。
<満足度>◆◆◆
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