社山城の登城道は北側に付いていて、途中に堀切があります。そのまま簡単に
主郭である一の郭にたどり着き、城名の示すとおり八幡神社が鎮座しています。神社の
背後には土塁が残っており、一の郭の東には堀切を隔てて郭が広がり間を堀切で隔てて
二の郭と三の郭を仕分けているようです。雑草がうっそうとしていますが、散策道が
用意されており比較的遺構も残り、お手軽に山城の良さを味わうことが出来ます。
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2023/09/30 18:37
散策道が用意されており堀切と土塁を楽しめる。 (2022/09/03 訪問)
社山城の登城道は北側に付いていて、途中に堀切があります。そのまま簡単に
主郭である一の郭にたどり着き、城名の示すとおり八幡神社が鎮座しています。神社の
背後には土塁が残っており、一の郭の東には堀切を隔てて郭が広がり間を堀切で隔てて
二の郭と三の郭を仕分けているようです。雑草がうっそうとしていますが、散策道が
用意されており比較的遺構も残り、お手軽に山城の良さを味わうことが出来ます。
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2022/05/15 20:55
2022/01/29 16:38
交通の要衝の城 (2022/01/29 訪問)
浜松、二俣、掛川などへの交通の要衝にあり、武田徳川の争いの時には拠点となったこともあると伝えられる城です。堀切、横堀、竪堀、土塁等遺構を見ることができます。昔来た時より倒木や雑草で見にくい所もありまあしたが、概ね遺構は確認できます。前に見逃してしまった南側の見事な堀切を確認できました。尾根を利用した曲輪が展開していますので一騎駆けのような土橋も見られます。縄張り図から考えると、藪こきや道なき山の中を丹念に探索すれば、まだまだ遺構を見ることができるかもしれません。
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2021/07/20 06:38
JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目:社山城 (2021/07/01 訪問)
JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目の8城目は社山城です。
大平城から転戦。分岐点付近(34.820726、137.853374)から、登り口付近(34.817664、137.854167)方面に向かい、終点で駐車しました。
築城年代は不明ですが、平安時代に参議中将・藤原友実の子・鷺坂則実が築いたと伝わります。
1476年、今川義忠に降った二俣氏が社山城に在城(この時築城説もあり)
1500年、斯波義寛は弟・義雄を社山城に置き、遠江攻略の拠点としました。
1501年、今川氏親に攻められ、斯波義雄は二俣に退却。
1503年、二俣昌長に謀反疑惑が生じると、二俣城に戻されたそうです。
1506年、二俣城に今川一門の瀬名一秀が入ります。斯波義寛と今川氏親の遠江争奪戦で、社山城は斯波軍の拠点となっていたようです。
斯波氏と今川氏の戦いは1517年まで続き、今川氏親の勝利で幕を閉じました。細かい時期等は不明ですが、匂坂氏は今川家臣として存続しています。
1532年、匂坂長能は本領の匂坂に城を築き、社山城には菅沼定平が入りました。
今川氏の没落後に徳川家康と武田信玄が遠江の支配をめぐって争った際に、遠江の覇権をめぐる戦いの舞台となります。
その後、天正年間に家康が駿・遠両国を征すると、この頃に廃城となったと考えられています。
現在城址は「社山公園」として整備されており、山頂の本丸跡には八幡神社があります。
また遺構の保存状態は良好で、堀切や土塁がよく残っており、堀切の土橋は、これぞ土橋という、見本のような感じでした。
攻城時間は20分くらいでした。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 斯波氏、今川氏、松井氏、徳川氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市史跡 |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 静岡県磐田市社山 |
問い合わせ先 | 磐田市教育委員会文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0538-32-9699 |