永禄年間(1558-69)に黒田義則が移り住んだ。義則は8代目で、現在も黒田家当主は小笠町(2005年菊川市へ)町長をするなど健在で22代目を数える。中世居館の雰囲気ある水堀が囲み、主屋や長屋門が現存する。主屋は安政東海地震(1854)後に再建、長屋門はそれ以前の18世紀中頃築と考えられている。代官として約2千石を治めていた。
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2023/12/25 22:00
江戸期代官屋敷の格式を伝える長屋門
永禄年間(1558-69)に黒田義則が移り住んだ。義則は8代目で、現在も黒田家当主は小笠町(2005年菊川市へ)町長をするなど健在で22代目を数える。中世居館の雰囲気ある水堀が囲み、主屋や長屋門が現存する。主屋は安政東海地震(1854)後に再建、長屋門はそれ以前の18世紀中頃築と考えられている。代官として約2千石を治めていた。
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2022/09/05 14:16
黒田代官屋敷 (2022/08/27 訪問)
相方の用事が終わるまでの時間はまだ大分あり高田屋敷跡からすぐのここに来ました。移動時間は10分しなかったと思います。屋敷の反対側に大きな駐車場綺麗なトイレがあります。現在も末裔の方が生活をなさっています。ちょうどいらしたので声をかけてなかを見学してからぐるりと外側を一回りしました。資料館もあります。皆様の書き込みにて現当主様が生活しているのを確認していましたが実際にお会いしてみるとやはり少し驚きました。
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2021/07/21 06:41
JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目:黒田代官屋敷 (2021/07/01 訪問)
JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目の17城目は黒田代官屋敷です。
高田大屋敷から転戦。屋敷駐車場(34.698703、138.0849961)に駐車しました。
黒田代官屋敷は、永禄年間(1558 - 1569年)に黒田義則によってこの地に館が築かれました。
義則は、当初今川氏に仕えたが、今川氏滅亡後は徳川家康に仕えました。
小笠原長忠の組下として高天神城に籠城するが、武田勝頼に攻められ落城しました。この時、黒田義則は在所に戻りここで没しています。
江戸時代になり、1645年(正保2年)に三河岡崎城主本多利長は、庶兄助久に遠江城東郡内で4560石を分知しました。この時点で黒田氏が旗本本多助久家の代官となりました。
現在の主屋は、安政東海地震(1854年)後に再建されたものであると考えられています。
長屋門は母屋よりもさらに古い、18世紀中頃の建築とみなされています。
当時、一般農家では門を構えること自体許可されておらず、この長屋門の規模は、黒田家が任されていた2000石の格式を示すものといわれています。
資料館閉まってました。
攻城時間は10分くらいでした。
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2020/12/21 21:39
黒田代官屋敷 (2020/11/22 訪問)
【黒田代官屋敷】
<駐車場他>資料館専用無料駐車場あり。
<交通手段>レンタカー
<感想>1泊2日武田・徳川攻防の城旅6城目。屋敷の横に資料館がありますが、来訪時が朝8時過ぎだったので資料館も開館していなかった。黒田家は戦国時代以前よりここの領主だったようですが、江戸時代は旗本本多日向守四千石の代官として二千石を受け屋敷を造ったようです。現存建築物では長屋門が18世紀に建てられ最もふるいようです。現在も黒田家のお住まいになっているので外観を半周したのみとした。
<満足度>◆◇◇
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分類・構造 | 代官所 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 黒田義則 |
築城年 | 永禄年間(1558〜1570) |
主な城主 | 黒田氏 |
遺構 | 曲輪、長屋門、主屋、土蔵、土塁、横堀(水堀) |
指定文化財 | 国重要文化財(黒田家住宅) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 静岡県菊川市下平川字西側 |
問い合わせ先 | 黒田家代官屋敷資料館 |
問い合わせ先電話番号 | 0537-73-7270 |