くのじょう

久野城

静岡県袋井市

別名 : 座王城、蔵王城、鷲之巣城
旧国名 : 遠江

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北側駐車場の案内板
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みんなの口コミ

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赤い城

綺麗に整備された城 (2021/04/03 訪問)

城址北側に駐車場があり、説明板もあります。
駐車場にパンフレットが置いてあります。
駐車場脇から登ると北の丸、更に進むと北下段と本丸の間に堀切があります。
二の丸、高見とよく整備されていて歩きやすい。
大手門に周り、東の丸方面に登っていくと竪堀や堀切も確認できます。
全体的によく整備されています。
個人的には本丸と東の丸の間の堀切が良い感じ。
地元の武将、久野氏の居城で久野氏が関東移封後は豊臣家臣の松下氏、徳川時代には北条氏重が治めた城です。
地元の方が力を入れている感じがよくわかりました。

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ぴーかる

久野城 (2020/11/22 訪問)

【久野城】
<駐車場他>城跡駐車場無料あり
<交通手段>レンタカー

<見所>曲輪
<感想>1泊2日武田・徳川攻防の城旅8城目。この城跡は現地説明板によると、在地領主久野宗隆が造ったが明応年中(1492~1500)とも永正年中(1504~1520)ともいわれている。宗隆は今川氏に属していたが孫の代の宗能は徳川家康に属して掛川城・高天神城攻撃・小牧長久手の戦いで戦功をたてている。徳川家康の関東移封に際して伴い宗能は下野に移封され、松下家→宗能(再封)→宗成→北条氏重で正保元年(1644年)に廃城となります。
 城跡は独立した小高い丘城で周囲を水堀で囲んでいたようです。西側に二の丸、三の丸を配し、東側が大手入口、南の丸、東の丸、北の丸を配します。堀切、竪掘りは見られますが短く、曲輪間を仕切る程度のものである。綺麗に草刈がなされていて気持ちよく散策できましたが、本丸の東面から南面にかけてだけが樹木の整備をしておらず木々の隙間から僅かに見える堀切が勿体なかった。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

秀吉奉公した松下氏約10年城主を務める (2015/01/13 訪問)

 平成27年1月中旬、袋井市浅羽の馬伏塚城を終えて北方約6km東名高速道沿いの久野城を訪ねる、久野城は浜松に住み始めて東名を通る度に久野城の大看板が目に付き50年前に東名の細い側道を不安げに訪ねたのが初登城でした、当時は駐車場は無く北堀切の道に路駐し探訪しました、発掘調査も行って無く南の丸、大手筋の復元も無く北を除く周囲は田圃、湿田状態でした。
 今回は袋井市歴史文化館で企画展「袋井の城・館・陣屋ー武士の住まいを訪ねて&加藤理文先生のお城グッズ」が有り見学と資料入手し先に馬伏塚城を探訪し久野城に回った次第、久野城には何回か来てますが投稿は初めてです。
 歴史的には久野氏の築城で今川氏に仕え義元が倒れた後徳田氏に仕える小田原征伐後徳川氏関東移封に従い関東へ、その後東海を秀吉配下の武将で固め秀吉若き日奉公先の松下氏が城主と成る江戸期の初め石垣を築いた咎で移封され又久野氏が城主に返り咲き。
 松下氏も田中氏の岡崎城、池田氏の吉田城、山内氏の掛川城、中村氏の駿府城と石垣造りの周りの城郭を見てるとさぞ石垣で築きたかったのでしょう、でも今残ってる土の城も織豊系の縄張りを感じます、石高が少なかったのでしょうか?石の調達先の苦心か?
 でも立派な縄張りを持ち周囲は濠で固め水田、湿田でさらに防ぎ水を張れば容易には攻められません。

 ルートは東名高速道袋井ICを降り高速道を潜り直ぐ右東へ県道袋井春野線を渡り直ぐ北方向へ袋井市民病院を過ぎた辺りから工業団地の周辺道を東へ沿っていくと東名道路と田圃に囲まれこんもりした城跡が目に入る、北側の通りに駐車場と案内板、資料箱(今回は品切れでしたが)が有ります、遊歩道と案内板が有り探訪しやすく成ってます。

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じゅんじん

誠か (2008/10/12 訪問)

ゴルフの練習できますよね。しちゃだめだけど。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 久野宗隆
築城年 明応年間(1492〜1501)
主な城主 久野氏、松下氏、北条氏重
廃城年 正保元年(1644)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀、井戸
再建造物 説明板
住所 静岡県袋井市鷲巣
問い合わせ先 袋井市生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0538-44-3198