雲松院さんのHPから抜粋させていただきました。臥龍山 雲松院は、小机城主であった後北条氏の家老笠原越前守信為が、主君北条早雲と亡父能登守信隆の菩提を弔うため「天文年中」に建立。実際はやや古く早雲公七回忌と、信隆公の三十回忌に当る大永5年(1525)ごろと推定されている。
小机城主の笠原氏が支城とする。本堂裏山が砦跡とされている。裏・左の斜面はほぼ墓地であり、その奥に木々が生い茂る。山門を出て東から南へ行くと、墓地の間を上る。振り返ればかなり眺めの良い立地なのが分かる。道は切り通し状で堀跡と言われると、堀とも思える。道路地図の土井谷砦跡は小学校の東の谷を挟んだ場所に印がある。切り通しを挟んで左右の標高は45m前後で変わらない。切り通し東側上は台地で一面畑になっている。台地の東は急斜面で、この辺りも幾筋もの谷が入り込んでいる。砦跡は進入不可だが、畑地は耕作していた方に断り撮影。
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