土井谷砦は小机城の城代であった笠原氏によって築かれた支城のような砦であったようです。雲松寺の裏山が城址とのことですが、周囲の高まりも、なかなか急で実際に登るのはリスクがありそうです。実際には雲松寺の南東の畑地になっている丘陵地が城址の主要部になるようです。私は小机小学校のあたりだと思っていたので当てが外れました。
雲松院は小机城の城代・笠原信為が父・能登守信隆の追善のために季雲を招いて開山とし、自らが開基となり建立したとされています。
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2024/12/28 22:19
臥龍山雲松寺 (2024/12/22 訪問)
土井谷砦は小机城の城代であった笠原氏によって築かれた支城のような砦であったようです。雲松寺の裏山が城址とのことですが、周囲の高まりも、なかなか急で実際に登るのはリスクがありそうです。実際には雲松寺の南東の畑地になっている丘陵地が城址の主要部になるようです。私は小机小学校のあたりだと思っていたので当てが外れました。
雲松院は小机城の城代・笠原信為が父・能登守信隆の追善のために季雲を招いて開山とし、自らが開基となり建立したとされています。
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2024/06/28 23:02
2022/09/18 10:37
雲松院の裏山が砦跡と言われる (2022/09/17 訪問)
雲松院さんのHPから抜粋させていただきました。臥龍山 雲松院は、小机城主であった後北条氏の家老笠原越前守信為が、主君北条早雲と亡父能登守信隆の菩提を弔うため「天文年中」に建立。実際はやや古く早雲公七回忌と、信隆公の三十回忌に当る大永5年(1525)ごろと推定されている。
小机城主の笠原氏が支城とする。本堂裏山が砦跡とされている。裏・左の斜面はほぼ墓地であり、その奥に木々が生い茂る。山門を出て東から南へ行くと、墓地の間を上る。振り返ればかなり眺めの良い立地なのが分かる。道は切り通し状で堀跡と言われると、堀とも思える。道路地図の土井谷砦跡は小学校の東の谷を挟んだ場所に印がある。切り通しを挟んで左右の標高は45m前後で変わらない。切り通し東側上は台地で一面畑になっている。台地の東は急斜面で、この辺りも幾筋もの谷が入り込んでいる。砦跡は進入不可だが、畑地は耕作していた方に断り撮影。
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2022/06/09 21:51
分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 笠原信為? |
築城年 | 戦国時代 |
主な城主 | 笠原氏? |
遺構 | 横堀(空堀)? |
住所 | 神奈川県横浜市港北区小机町 |