続日本100名城

しながわだいば

品川台場

東京都港区


旧国名 : 武蔵

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品川台場
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チェブ

東京水辺ラインで海から眺める。 (2024/10/12 訪問)

以前、伊豆大島の「武田 信道屋敷」に行った際、お土産で購入した 椿油と唐辛子醤油が残り少なくなってきたので、竹芝桟橋にあるアンテナショップに行こうと学生時代の友達と集合しました。

近くに『浜離宮恩賜庭園』があり散歩しようと、竹芝桟橋から歩いていたら写真⑦の『竜馬』と名付けられた可愛い船を見つけました。
これは乗るしかない!っとチケットを購入しました。『竜馬』ではありませんでしたが、平べったい船に乗り出航しました。

竹芝→お台場→竹芝→浅草→両国の順に止まります。
*私達はぐるっと一周して戻るのかと思いましたが、一旦、竹芝に戻り隅田川を進みます。

竹芝→お台場→竹芝は続100名城の「品川台場」が海上から見えます。
幻の『第6砲台跡』も少しだけ近くに見えます。
因みに写真④⑤は、鳥の島です。写している時は『第6砲台跡』だと思ったのですが、位置的に違うかな?

この、東京水辺ラインの発着場が JRの駅の近くにあります。都内の混んだ電車で移動するより快適です。
私達は勢いで乗ってしまいましたが、夜は夜景が綺麗だと思いました。

私は東京都民ですが、スカイツリーやベイブリッジに外国人観光客と同じように、はしゃいでしまいました。
都心は電車やバスの他、船と言う移動手段があった「品川台場」攻めでした。

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ぴーかる

品川台場 (2024/09/15 訪問)

【続百名城71城目】
<駐車場他>お台場海浜公園北口駐車場
<交通手段>ゆりかもめ

<見所>第三台場内部全体・レインボーブリッジからの眺め
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅2日目10城目。小机のコインPに車を置いてJR、ゆりかもめにて来城しました。東京へは何度も来ていて、十数年前には仕事で東京ビッグサイトにゆりかもめで来たことはありましたが、その時は台場が城という認識もなく、フジテレビ本社ビルを眺めていました。
 お台場海浜公園駅で降りてまず第三台場内部を散策しました。残る陣屋跡礎石や弾薬庫、窪地から土塁砲台の高さの凄さが見応えありました。次に先達の投稿から知ってレインボープロムナードから歩いて行って、台場全体を撮影しました。風がきつかったですが眺めが良かった(東京に来ているぞ!感もあって)のでついつい長居しました。橋上から見て第六台場はジャングル島になってました。
 今、もし海上に台場が5基そのまま残っていればさぞや壮観であったろう(そりゃペリーも近づかないわな)と思います。ちょうど前日行った川越城川越藩、忍城忍藩が築造、防衛担当した繋がりもあって思い深まる要塞散策でした。
 この後スタンプ押印⇒自由の女神像⇒実物大ユニコーンガンダムを見てお台場を終了しました。増上寺、東京タワー、小机に戻りながら京急線沿いのちょこ城を巡る予定でしたが、東京タワーだけで夕方になってしまいまして全然予定巡れずに小机に戻り帰路に着きました。走行距離1160㎞無事走破。

<満足度>★★☆

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HKISD

品川台場散策 (2024/09/21 訪問)

海風が涼しく1周するのにとても気持ち良かった。

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天守無しがアツい

お台場は幕末、軍事施設だったんです (2024/08/03 訪問)

ゆりかもめ(モノレール)に乗り、お台場海浜公園駅にて下車🚝 そこから砂浜沿いにひたすら歩き、着いた先の四角形の岬が品川台場

入口側に(1枚目の)公演案内があります。ペリーの黒船来航後に、国防の意味合いで建設された砲台跡…しかし本来12門設けられるはずだった砲台は全て完成せず6門のみ

一度も実戦で使われることはないまま時が流れ、1926年に国の史跡として公園となり現在は2門のみが残されている

(参考URL)
https://www.tptc.co.jp/park/01_01/history

その現存する2門(2枚目)…砲台と言っても現在では大砲の筒は取り外されて跡しか残ってません。公園としての安全性を保つため、そりゃそうなんでしょうけど

あと…大砲のすぐ前には松の木が生えており、砲撃する場合にそれが邪魔になってしまうので当時(幕末)は無かったかも…ですね。つまり公園として…史跡として残される事が決まってから植えられたもの…多分🌲

現存する2門のうち片方から内陸を撮影(3枚目)。そこには弾薬庫に陣屋、かまど…があったそうです。要は砲撃のための補充の役割を担う場所。弾薬庫から弾を砲台まで運び、そこに詰める…数十メートルの距離があるので運ぶ姿をイメージしただけで重そう…2,3人がかりだったのではないでしょうか?💣

ちなみにこの品川台場(お台場公園とも呼ぶのかな?)…ここ以外にも(4枚目に写る)陸地…海に浮かぶ島があり、もしかしたらそこにも幕末に幕府が何らかの軍事施設を設けたかもしれません

けれどそこまでアプローチする橋はない…連絡船はあるのかな?多分無いんじゃないかと思います。なのでただここから眺めるだけ…緑の生い茂った小さな島という見た目🏝️

「おっ…島の内部に何らかの史跡があるぞ」というノリで5枚目を撮影。ここが陣屋跡。当時はここにちゃんとした建物があったのでしょう

伊豆半島の付け根に現存している韮山反射路…それを手がけた江川英龍がここ、品川台場の砲台建設も担当したそうです。さらに(当時国内屈指の近代化を成し遂げ、軍事大国的存在であった)佐賀藩にも協力を仰ぎ、江戸を守るための…それなりの防御施設を建設

軍事演習くらいはおこなわれたかもしれませんが、戊辰戦争においては江戸が無血開城してしまったため実戦導入されることはなく…明治初期の不平士族の反乱は東京が戦場にあらず…日清日露の戦役では日本が戦場ではないため使われず…第一次大戦の対独戦も同様…そして大正の末に公園になり軍事施設は解体…という流れ

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城郭情報

城地種類 台場
築城年代 嘉永6年(1853)
築城者 徳川幕府
主要城主 徳川幕府
文化財史跡区分 国史跡(品川台場)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 石垣、土塁
住所 東京都港区台場1/品川区東品川5他
問い合わせ先 東京都教育庁地域教育支援部管理課
問い合わせ先電話番号 03-5320-6862