朝護孫子寺の「国宝・信貴山縁起絵巻特別出陳」に行ってきました。ついでに登城してきましたが、六回目の登城である今回も、こんな空模様。すかっと晴れたことがありません……
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2019/10/27 20:54
2019/10/27 19:47
有子山城に移る前の山名氏本拠 (2019/10/26 訪問)
とある煩悩の登城目録さんと同様に、古代学習館裏手から、登頂。石碑横の害獣対策柵を開けて登頂開始。山名氏は、より要害の有子山城を作って移動したことを知っていたこともあり、険しさも守りも発展途上な感じ。西尾根先端の郭の説明板に麓から見た当時の想像イラストがあり、良かったです。古代学習館には原画が展示されてます。
下りは、袴狭方面へ。立派な「遊歩道」表示杭があって安心感はあり、小さな郭も連続するが、道は獣道化しつつあります。
出石城・有子山城にもまわり、出石皿そばを店を変えて、昼御飯と晩御飯で二度いただきました。大半の店は17時で閉店するので注意が必要です。観光案内所の蕎麦屋マップが役にたちました。
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2019/10/27 19:22
思った以上に大きい天守でした (2019/10/20 訪問)
この日の松江は電車がおくれるくらいの濃霧で・・・50m先が見えないくらいでした。
駅から松江城までは20分くらいかかりますが、まだ時間が早かったので、まず外見を見学。
複数ある櫓は再建戸の事ですが、全然不自然さは無く。。。霧が出ててかえって幻想的な雰囲気に(^ω^)
他に各種ある石垣や松江神社等を見学しているあいだ霧も晴れ、8:30になり天守開館。
潜在写真のイメージだとそんなに大きく無い天守だったのですが、意外と大きいんですね。。。
しかもフロアごとが広く、柱も見るからにしっかりしているので、今まで見て来た天守最上段から見た外の景色に高所の怖さは全くありませんでした。
姫路城の大渋滞はおろか、松本城の混雑程も人がいなかったおかげで、写真撮影を含む見学もスムーズに出来ました。
時間に余裕あれば観光船にも乗ってみたかったなぁ・・・
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2019/10/27 18:36
城山稲荷がひっそりと (2019/10/26 訪問)
東戸塚駅から徒歩で35分。横浜新道の今井IC近くにあります。
トーダイさん、チェブさんと立て続けに投稿があったので旬?なうちに。
金剛寺の東にありますが入口は分かりにくい。
最初、チェブさんの写真にあった辺りをウロウロしましたが見つからず。
通りに戻り、蕎麦屋さんの向かいに通路っぽいところを発見。
倒木を越え進んだところに階段がありました。
城山稲荷には石碑がありますが出丸のようです。
祠の奥に主郭や堀切があるようですがロープも張ってあったので先には進みませんでした。
北条氏の砦で鎌倉街道に睨みを効かせる役割だったようです。
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2019/10/27 17:53
雨にけむる模擬天守 (2019/10/25 訪問)
模擬天守も霧雨にかすんでしまう、あいにくの雨。天気が良ければ、洲本八景なる景色も美しい青い海が望めただろう。
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2019/10/27 17:34
2019/10/27 17:16
疾走秋田城 (2019/10/27 訪問)
秋田駅でレンタサイクルを借りて秋田城へ。上り坂で30分、ちときつかった。。
資料館もよかったですよ。
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2019/10/27 17:13
散歩のついでに (2019/10/27 訪問)
城川公園に説明板がありました。
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2019/10/27 17:12
藤堂ゆかりの地 (2018/10/19 訪問)
藤堂高虎像がいい感じだった。
高虎ドッグはおいしかった。
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2019/10/27 17:05
2019/10/27 16:57
2019/10/27 16:55
氏郷と穴太衆 (2019/10/27 訪問)
ただただ驚き、感動した。
野面積みにも関わらず高い石垣、
そして見事に整った表面。
かなりの面積だったのに孕みを
ほとんど感じなかったのは
日頃の管理の賜物なのか、
それとも元々の積み方が見事なのか。
氏郷、穴太衆、松阪市恐るべし。
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2019/10/27 16:23
織田 (2018/05/27 訪問)
庭園あった。
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2019/10/27 16:20
普通普通普通普通 (2018/10/08 訪問)
暇つぶしに行ってみた。
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2019/10/27 16:16
西尾は抹茶。 (2019/02/11 訪問)
西尾茶おいしかった
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2019/10/27 16:09
2019/10/27 16:01
やっぱり、あの路地でしたか! (2019/10/20 訪問)
今井 四郎兼平さんの居城と伝わる「今井砦」=「今井城」に、またしても限りなく近くに行きました。
グーグルの地図頼りで到着した場所で写真を写し散策です。
この前の台風の影響か、民家近くなのに大きな木が倒れていました。
「今井城趾」の石碑があるとの情報ですが、私が来た場所は住宅街です。再度、検索。
バス停近くの路地を入るようで、バス通りに移動しました。
駐車場、ありません。
コンビニに駐車し入口を探しましたが、どこの細い路地も私有地っぽく入りにくい感じです。
「今井砦」はあの辺りだろうと目指す方向に、いくつか車が入れない細い路地があります。
車も心配なので、退陣しました。
先ほど、トーダイさんの「今井砦」の投稿を見て、やっぱり、あの路地だったか!と悔やんでます(笑)
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2019/10/27 14:40
台風19号で被災 (2019/10/26 訪問)
一部通行禁止になっており、芝生がはがれた箇所がいくつかありました。ただ全エリア鑑賞することはできました。日曜ということで、親子三代の家族連れや女性グループなど訪城者が多くてビックリ。
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2019/10/27 14:06
蟹江城 (2011/01/22 訪問)
蟹江城へ行ってきました。
場所は名古屋の西、海部郡蟹江町のほぼ真ん中です(現地案内板です)。
予習のため、まずは蟹江町歴史民俗資料館へ行きました。
ちなみに、ここの住所は愛知県海部郡蟹江町城です。
同じ建物に、産業文化会館と中央公民館分館が同居しています。
最上部が城を意識したデザインになっています。
資料館は、入場無料でした。
ここでの、予習した成果を紹介します。
現在では、内陸となっているこのあたりですが、戦国時代は海岸線でした。
したがって、桑名(伊勢国)あたりからの攻めに対する防御のために、永享年間(1429~1441)に北条時任が築いたそうです。
この城が脚光を浴びたのは、1584年(天正14年)の蟹江合戦の舞台となったときです。
小牧長久手の戦いで、徳川家康に大敗を喫した羽柴秀吉は、その雪辱と伊勢湾の制海権、そして織田信雄と家康の間を離反させるために挙兵いたしました。
滝川一益を主将に九鬼水軍を伴いいったんは優勢に進んだのですが、支城である大野城(尾張国海東郡)主の山口重政は助力を拒み、織田徳川連合軍の反撃の前に、秀吉は撤退を余儀なくされます。
こうして、秀吉と家康の表だった戦いは終焉を迎えました。
資料館では、蟹江城への道順を記したプリントを配布しています。
路地のような細い道を歩いて数分です。
住宅地の一角に石碑が建っているだけでした。
唯一、本丸の井戸が残っていました。
おそらく、最近まで使っていたのではないでしょうか。
それでなければ、じゃまなので取り壊してしまいますよね。
小さな城の小さな戦いですが、蟹江合戦が後世に与えた影響は大きいです。
まずは、羽柴秀吉と徳川家康
この戦いを最後に軍事的な争いを避けました。
秀吉は得意な外交戦略に方針を変えました。
関白となり家康よりも上の立場となるとともに、妹の旭姫を嫁がせ、母の大政所まで人質に出し、懐柔をはかります。これには家康も折れて、豊臣の政権が樹立することとなりました。
滝川一益
蟹江城主の留守を預かっていた前田長定は、かねて羽柴方の滝川一益に通じており、一益軍を蟹江城へ招き入れてしまいます。
しかしながら、織田・徳川連合軍に包囲された一益は対抗できず、長定の首をはねて降伏
してしまいます。
かつては、織田家有数の武将と言われていましたが、本能寺の変のあたりから凋落し始めた一益にとってこの件は決定的打撃となりました。
「命惜しさに長定の首をはねた卑怯者」と誹られ、以降漂泊・餓死したと伝えられています。
佐治一成・お江
佐治家は、知多半島の大半を領した豪族です。
秀吉は佐治一成を懐柔しようと考え、お市の三女のお江との婚姻をまとめたようです。
しかし、一成は合戦後に家康が三河へ帰陣する途中の佐屋街道の渡において、家康に船を提供し、秀吉の怒りを買ってしまいます。
このため、お江は最初の夫と離縁させられてしまいました。
茶粥
米をほうじ茶または緑茶で炊いたものです。
調べてみると茶粥は奈良・京都・大阪・和歌山で見られる食文化で、北前船の影響で西日本の各地に広がったそうです。
ただし、私の知っている限り尾張にはこの文化が残っていません。
唯一、この蟹江町だけ存在するのです。
これは蟹江合戦の折、連合軍に包囲された場内では、水をくむことも米をとぐことも満足に出来ず苦肉の策として茶の湯に米を入れたのが始まりだそうです。
蟹江町歴史民俗資料館より
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2019/10/27 13:03
犬山城 (2019/10/27 訪問)
GWの名古屋旅行で行けなかった犬山城へ。
まさかまさかの修理中。
GW無理矢理にでも行くべきだったな〜。
それでも木曽川越しに見る犬山城が美しい。
晴れて輝く木曽川と天守の姿があまりに美しいので
遠回りして駅まで歩いた。
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