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TESTU89

本丸水堀の水が抜かれている (2019/09/01 訪問)

本丸水堀の水が抜かれて、階段が付けられています。復元に向けての調査か、はたまた、ロンブーの番組か?
とにかく箱堀の底辺が良くわかります。東側の堀底には太い木の切り株があります。少なくともこの木が生育するだけの期間は、この堀が空堀であったという証拠です。

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橋吉

戦国時代の山城 (2006/08/01 訪問)

愛知県で紅葉といえば香嵐渓(豊田市足助町)です。
足助城は香嵐渓の近くの飯盛山にあります。
この地は尾張・美濃・信濃と三河が接する場所であり、現在においても交通の要所になっています。

足助城は、戦国時代の山城の様子を見ることができます。
斜面を利用して曲輪や土塁が築かれています。

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朝田 辰兵衛

主郭跡は,ゲートボール場です。 (2019/08/31 訪問)

ゲートボール場があるからか,比較的キレイな公衆トイレが整備されています。
JR羽前小松駅から,徒歩約20分。アップダウンはありません。

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カズサン

しまなみ海道大島沖二島連なった海賊の城 (2017/09/24 訪問)

 一昨年9月下旬伯方島木浦城を終えてしまなみ海道経由大島北ICを出て東方向進行し海沿いに出る海沿い道を北へ能島が見える当たりの少し広い路肩に停め陸側より写真撮影、ここも学研の戦国の城書籍で香川元太郎画伯が創造俯瞰図を掲載されてましたので是非探訪したいと長年思ってた所です。
 カレー山展望所に登り頂上に駐車場在り、展望所より能島城の俯瞰写真を撮る、景色も抜群絶景です。
 カレー山を降りて村上水軍博物館へ同駐車場に停め博物館入館、同館では村上海賊の城の特別展が(9/9~10/10の1ヶ月間)開催中じっくり見学、担当の方に特別展示の資料小冊子を頂きたい旨お願いしたのですが当日までに遅れていて出来て無いとの事でしたが完成したら送ってくれるとの事で住所を記してお願いした、約1ヶ月後届きました、村上水軍博物館の方々ありがとうございました。

 博物館前に能島水軍と言う食事処が有り能島城の上陸&潮流クルージングを当日は日曜日でやってましたが予約制で時間も無く乗れませんでした次回挑戦したいものです、食事も満席満杯でチョイ寄りはダメでした。

 近くからの遠望、カレー山からの遠望俯瞰だけでも満足でした。

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ひろべえ

感動の障子堀・畝堀 (2018/08/11 訪問)

小雨の中、早朝の攻城。生憎の天気でしたが,お目当ての畝堀・障子堀は噂通りの素晴らしさ、雄大さでした。発掘調査の結果をもとにした整備も行き届いています。三の丸・二の丸・西の丸・北の丸・本丸を堪能。岱崎出丸を見る時間が無かったのが残念。また来てみたいお城です。

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さんぽ

東海道新幹線 掛川駅より (2015/10/18 訪問)

新幹線で掛川駅を通過する時に見えていて気になっていた掛川城。城郭構造:平山城、天守構造:複合式望楼型3重4階(1996年 木造復元)、築城主:朝比奈泰煕、築城年:文明年間(1469年〜1487年)

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さわ5540

田中城 (2019/08/31 訪問)

丸い縄張りが特徴的です。

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明治に設立した藩 (2019/08/31 訪問)

浄福寺の周辺が跡地で山門近くに石碑と案内板があります。また願行寺に移築された門があります。

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さわ5540

小山城 (2019/08/31 訪問)

三重堀

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ヒロケン

初登城 (2019/08/11 訪問)

猪苗代城は標高550m程の丘陵に築かれた平山城で現在は亀が城址公園として整備されています。本丸は山頂にあって南北に長く楕円形、南に黒門、東に裏門がありました。南下に二の郭があり、本丸の東下へ降りる大手道に櫓門があり、東麓の枡形虎口へと続いていました。さらに山頂には北帯郭、西帯郭、南帯郭があり、これらは土塁で囲まれていた。石垣は本丸隅櫓や東側の大手道に使われているのみです。猪苗代城は一国一城令の例外として会津若松の支城として存続し、各大名の城代が置かれ明治を迎えました。

このお城は初登城でありますが自分にとっては、必ず登城してみたいお城の一つでした。お城仲間の通称「城キチ」先輩が「この城は良いぞー」ヽ(゚∀゚)ノ!って。一緒に城巡りはしたことないのですが、双方、お城に行けば必ずラインで連絡を取り合い、情報を交換していました。「石垣と大堀切、土塁が見られるぞ」「これで櫓が残っていれば『お城の宝石箱や〜』」などと絶賛していました。

この城キチ先輩は今年1月に58歳の若さで急逝してしまいました(涙)公園東麓にある枡形虎口にある駐車スペースに車を駐車して、大手道を眺めたときに少々、「うるっ」っと感慨深い初登城でした。

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和田氏の城 (2019/08/31 訪問)

南安城駅から徒歩10分くらのところにあります。案内板はありますが、遺構はありません。

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織田信広 (2019/08/31 訪問)

 名鉄南安城駅から徒歩にて登城しました。本丸が大乗寺、二の丸が八幡社の境内となっています。切岸という案内板を見つけましたが、草木でわかりにくくなっています。切岸というわりに斜面の角度は緩やかになっていました。松平清康が岡崎に移るまで松平氏の居城だった城です。

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さわ5540

小山城 (2019/08/31 訪問)

三重堀にゾクゾクしました

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城山公園 (2019/08/31 訪問)

 名鉄桜井駅から徒歩に登城しました。
桜井松平氏の城です。遺構はありませんが、城山公園となっていて石碑と案内板が建てられています。

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城郭寺院 (2019/08/31 訪問)

 南桜井駅から徒歩にて行きました。三河一向一揆の拠点として知られています。鼓楼と水堀が城郭寺院の雰囲気を感じさせてくれます。外堀である空堀の一部が残っていましたが、夏と言う事もあり雑草も生い茂りわかりにくくなっていました。

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景虎

春日山城址 (2019/08/14 訪問)

2回目の訪問です❗
天気に恵まれ、御朱印も頂けて
良かったです(*^^*)

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カズサン

しまなみ海道伯方島海賊の城 (2017/09/24 訪問)

 一昨年9月下旬大三島甘崎城の探訪を終えしまなみ海道経由伯方島ICを出て東へ沿線の折戸瀬戸の景勝地堪能して進行、木浦伯方港へ港を臨む小高い山へふるさと歴史公園頂上まで登る駐車場完備、復元した城郭風の天守郷土館資料館、復元櫓城門、曲輪が出来て居りました。
 頂上公園入口手前に発掘古墳の本体展示と解説板が在ります。
 
 眺望は最高です。
 

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カズサン

しまなみ海道大三島沖海賊の城 (2017/09/24 訪問)

 一昨年9月下旬周防未踏の城の探訪を終えて二日目福山のホテルを朝早く立ち、しまなみ海道を経由して村上海賊の城を初登城目指して出立、しまなみ海道の絶景眺望を堪能しながらの走行兎に角素晴らしい。
 大三島ICから降りて直ぐの国道317号線海沿い古城島こと甘崎城が見える、学研の戦国の城書籍に香川元太郎画伯の甘崎城の想像俯瞰図が掲載されており何時か訪ねたいと思ってた城なので感激です、干潮時間を見ての探訪で無く生憎潮は満ち渡海不可対岸で観察写真撮影のみ、車は堤防路肩空きスペースへ駐車。
 干潮時間を調べて海割りのタイミングに渡り探訪したいものです。

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カルビン

通行禁止はもっと前で指示してくれないと・・・ (2015/12/18 訪問)

愛知県の松平郷を訪れた際、松平氏館(松平東照宮)⇒高月院(松平家始祖・親氏墓所)と見学し、その足で松平親氏像のところから松平城(山中)に向かって登ったのですが・・・
途中で道が閉鎖されており行く事が出来ず・・・結構登ってから通行禁止てどんだけ罰ゲームやねんw

他に案内が無く、諦めて車で豊田市方面に向かおうと松平郷入口の国道301号線の交差点で信号待ちした際、左手の駐車場の看板にもう1つの登城口の案内があって急遽その駐車場に車止めて再アタック。
どうやらこちらからの登城が当りで、松平郷側から進むとものすごい遠回りだった事が判明・・・早く言ってよ~www


今度は問題なく登城口に着いて、ものの5分で城域に。。。と言いますか、おそらく現在の登城口自体城域内だったと思われます。

曲輪が主体の山城(各曲輪に案内版があった)で、主郭に縦長の城碑があり、他にも櫓台や今も水を湛える井戸等があります。

ただ技巧的な遺構(虎口とか堀とか)はあまり見られず、シンプルなお城でした。
近くにある大給城が攻防に用いられる詰めの城で、松平城はそういう機能を有していなかったのかもしれません。


大給城の写真、データ保存したCDが逝ってしまっていた為に1枚を残してお釈迦に。。。再訪しなければなぁ・・・

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勝野武士

【平野環濠】に寄ってみました。 (2019/08/25 訪問)

杭全神社にお詣りを済ませ、さて…もう少し平野郷を歩いてみようかと参道を歩いていると、偶然石碑が視界に飛び込んでまいりました。
その石碑には『平野環濠跡』と書かれておりました。

平野郷は平安時代初期頃に坂上田村麿の子である広野麿が平野の地を荘園として賜り居住したのが始まりで、大治二年(1127)に大念佛寺が建立されると寺内町を形成し、次第に自治都市として発展してゆきました。応仁の乱や戦国時代の争乱に巻き込まれたりしたために、平野の人達は自衛のために町の周囲を水濠と土塁で囲んで防御としました。
水濠にはいくつか他の用途を兼ねており、平野川と接続しているために柏原方面などへの水運を確保する目的もあったり、また町の悪水を外に流す(!)目的もあったそうです。
大坂の陣で町の大半を焼失しましたが、江戸時代に入り平和な世の中になると町も復興。平野郷はますます発展しましたが、水濠と土塁はその必要性が薄れてゆき、時代とともに次第に埋められていったものと思われます。

今では杭全神社の境内近くに水濠と土塁が残っているのみです。
しかし周囲は住宅街。市街地化が進んでいる中、水濠の幅もおそらく狭くなっていると思いますが、逆によくこれだけでも残っていてくれたなと思います。
また、今回は行ってませんが、平野公園・三十歩神社境内に土塁が残っているそうです。行けばよかった…orz
ていうか、もう少し勉強してから来るべきだったなぁ、反省。

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