杭全神社にお詣りを済ませ、さて…もう少し平野郷を歩いてみようかと参道を歩いていると、偶然石碑が視界に飛び込んでまいりました。
その石碑には『平野環濠跡』と書かれておりました。
平野郷は平安時代初期頃に坂上田村麿の子である広野麿が平野の地を荘園として賜り居住したのが始まりで、大治二年(1127)に大念佛寺が建立されると寺内町を形成し、次第に自治都市として発展してゆきました。応仁の乱や戦国時代の争乱に巻き込まれたりしたために、平野の人達は自衛のために町の周囲を水濠と土塁で囲んで防御としました。
水濠にはいくつか他の用途を兼ねており、平野川と接続しているために柏原方面などへの水運を確保する目的もあったり、また町の悪水を外に流す(!)目的もあったそうです。
大坂の陣で町の大半を焼失しましたが、江戸時代に入り平和な世の中になると町も復興。平野郷はますます発展しましたが、水濠と土塁はその必要性が薄れてゆき、時代とともに次第に埋められていったものと思われます。
今では杭全神社の境内近くに水濠と土塁が残っているのみです。
しかし周囲は住宅街。市街地化が進んでいる中、水濠の幅もおそらく狭くなっていると思いますが、逆によくこれだけでも残っていてくれたなと思います。
また、今回は行ってませんが、平野公園・三十歩神社境内に土塁が残っているそうです。行けばよかった…orz
ていうか、もう少し勉強してから来るべきだったなぁ、反省。
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