山梨県にあるだけに武田時代に築城された居館タイプのお城。
天正壬午の乱では北条氏直に対抗する為、徳川軍の鳥居彦右衛門がここを守ったとされております。
形状から守りのお城と言うより攻めの拠点的な役割だったと思われます。
なだらかな斜面を利用して山側が高い土塁が囲み、低い方向には土塁ではなく堀を設けておりました・・・が、土塁・堀双方とも藪が凄く、ちょっと撮影に適していない時期の訪問だったかと。
特に堀に関しては形状が解らないくらい雑草が伸び放題だった為、事前に情報得てなければ一部を除いて堀の存在解らなかったと思います。
ちなみに虎口と土塁はすぐ解ります。
中については・・・グラウンドのようになっており、本当に何もありませんw
車は2、3台であれば止められるスペースがあります。。。公共交通機関での訪問は難しそうなので、車で周辺含めて訪問されるのが良いかと。
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