藤堂高虎が家康の天下普請のために今治城天守を丹波亀山城に献上したという逸話には、なんてもったいないことを…と思ったものですが、元々彼は天守を解体するつもりでいた(移築先が伊賀上野城→丹波亀山城になった)ということを知り、それならもったいなくもなかったかと…(^-^)
そして、層塔型天守のフレキシブルで方形の基礎さえあればどこにでも建築可能で真似しやすいという特長が、世渡り上手と言われた彼の生き方(近年汚名返上されてきていますが)と重なり、改めてお城と武将(ハードとソフト、みたいな。)は一体のものなんだと感じた次第です。
ただ、丹波亀山城の古写真を元に再建された今治城天守は〈なんか違ってしまった〉ようで、高知城と掛川城のようなwin-winの関係になるのは稀なことなのかもしれないと思いました。
古城感みなぎる石垣は見上げるだけで満足でした。
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