延徳年間(1489~1492)に紀伊国造・紀俊連が日前神宮・國懸神宮の神領を護るために太田城などと共に築いたとされ、戦国期には太田城の支城となり、羽柴秀吉の紀州攻めにより廃城となったようです。
城域の真ん中を県道(宮街道)が通っており、県道の北側にある畑が堀跡で、畑の中の一段高くなったところが曲輪らしいですが、そう思いながら見てようやくそんな気がしなくもない、という程度で、このために訪れる価値があるかというと…。
あまりに見どころがないので、当初の築城目的である日前神宮・國懸神宮に行ってみると(秋月城から徒歩10分)、中学校や高校、幼稚園に囲まれた街中の神社でありながら、鳥居の先の神域に足を踏み入れると鬱蒼とした木々に覆われて空気が一変するのを感じます。大正期に境内の建物が一新され、古くからの姿は残っていないようですが、歴史のある格式の高い神社であることに違いはないので、秋月城とあわせて……というか、日前宮(日前神宮・國懸神宮の総称)のついでに秋月城をどうぞ。
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