室町期に興福寺大乗院方衆徒として勢威を誇り、大和五大豪族にも数えられる古市氏の居城で、越智氏と結んで筒井氏と対立する中、幾度か落城と再建が繰り返されましたが、天文12(1543)年に筒井氏に敗れると城を自ら焼いて退去し、廃城となったようです。
古市城は、現在は東市小学校の敷地になっている高台を本丸とし、本丸北側の「字古城」周辺を二ノ丸、西側平地部の古市集落の環濠を外堀とした広い範囲が城域とされますが、小学校南側の八反池とその東側の湿地が水堀跡で、他には小学校の高台にお城っぽさを感じるくらいで、遺構は見当たりません。小学校のグラウンドには城跡碑と説明板があるようですが、グラウンドへの門は閉鎖されており、石碑や説明板だけのために正門までまわって許可を取って…という気になれなかったので未確認です。
また、古市城の南側にある高山城と藤原城は、いずれも出城として機能していたと考えられ、高山城では曲輪や堀切が確認できるとのことなので、北側入口に向かっている途中、藪がガサガサ動いたかと思うと、イノシシの子供(うり坊よりずっと大きい)が前方に現れました。互いに固まってしまい、しばらくにらみ合っていましたが、イノシシが逃げたのでほっと一安心……とはいかず、子供がいるなら近くに親もいるはずと考えると、とても城めぐりどころではなく、急いでその場を退散しました。その後、南側入口に行ってみると(入る気はない)、イノシシ捕獲許可の標識が掲示されており、やはりイノシシの生活圏になっているようです。小学校から100mと離れていない舗装道だったんですが…油断できませんね。
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