会津若松城(鶴ヶ城)は会津若松市追手町にある平山城で、見所は何と言っても鉄筋コンクリートで外観復興された五重五階の層塔型天守で走長屋で千飯櫓とつながる景観は壮観です。城主は有力大名が歴任しました。伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明、そして最後は将軍徳川家光の異母弟、保科正之が入り松平藩政が幕末まで続きました。
会津若松城天守の特徴は赤瓦で、凍害などに強い寒冷地仕様の瓦です。伊達政宗の後に会津若松に入った、蒲生氏郷が城郭を整備し、加藤嘉明の長男明成が西出丸、北出丸などの造築を行い、地震で傾いた天守を五重の層塔型天守に改築するなど城の大改修を行った。
幕末の戊辰戦争で会津藩は新政府軍と激戦を展開し、あまりにも有名な白虎隊まで投入するも、米沢藩をはじめとする同盟諸藩の降伏が相次ぎ、孤立無援の会津藩は城に籠城、一ヶ月あまり新政府軍の攻撃に耐え抜いたものの降伏。戦闘の砲撃で名城も無残な姿となりました。
2回目の登城で天守閣内にはあまり興味がなかったので、朝4時にホテルを出、三の丸にある福島県立博物館横の駐車場が営業時間外であったので、二の丸東門跡の道路に路駐(・ˇ_ˇ・。乂。・ˇ_ˇ・)。
二の丸から廊下橋、高石垣(扇の勾配)などを見学し本丸へ。色々な角度から天守をカメラに収め、本丸をぐるりと一周。
やっぱ素晴らしい('∀`)スンヴァラッッスィィィィィィィ。どの角度から天守を撮っても絵になる。天守、石垣、堀、城の歴史どれをとっても名城だと言えると思います。
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