天正23年(1554)、岩剣合戦と呼ばれた島津氏と蒲生・祁答院方との激しい攻防は、岩剣城の落城によって終止符を打ちます。この合戦で初陣を飾った島津義弘は、岩剣城に在番することになりました。しかし山頂から麓までの道は大変険しく日常生活には不便でしたので、ふもとのこの地へ館を築いたのが平松城の始まりです。(案内板より)
現在城址は姶良市立重富小学校の敷地となり、正門<31.706312,130.604473>前に標柱と案内板があります。周辺の石垣は、江戸時代中期に整備されたものです。
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