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にのまる

青春18きっぷ1回目 (2019/03/08 訪問)

群馬・栃木・茨城あたりは「18きっぷ」発売を待って行くことが多いです。浮いた分でグリーン席を確保して(結局チャラなんだけど)、景色を眺めたり本を読んだりしながら過ごすのがささやかな楽しみ。爆睡していることもよくありますが(^_^;)

北新波砦は箕輪城とセットにしたいところでしたが、時間と強風と花粉の都合によりこの日はここだけにしました。
張り出しを持つ75m四方の曲輪跡です。

1566年、信玄さんにより箕輪城が落城した際に長野氏も没したそうですが、1576年に勝頼くんが家臣に所領を安堵したとの記述もありました。1576年といえば前年長篠で大敗を喫し、これが武田氏没落のキッカケとも言われていますが、実は敗戦処理も領地拡大も見事にやってのけていた勝頼くんの黄金時代。まぶしいぜぃ☆彡
隣接する満勝寺の屋根には武田菱がありました。なんか関係ありそうです。

437年前の一昨日(3/11)、天目山で果ててしまった勝頼くん追悼ウィークの前哨戦でありました。
私はこれだけで大満足ですが、皆様方におかれましては箕輪城または桜の時期の高崎城と一緒にまわられるのがよいのではないかと思います。または倉賀野城で石碑だけを上手に撮ってみるのにチャレンジとか。

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朝田 辰兵衛

て,て,て,点がない! (2019/03/10 訪問)

関沢神社から自分が描いたコースで,比高約30mを登るっていう散策となります。私は,主郭の東側をえぐるようなルートで登城しました。関沢神社に向かって右回りのルートです。西側の堀切はヤブっていて散策を断念しました。花粉の飛散量,半端ないです。ホントは西側から下山したかったのですが…。本丸には,表札が掲げられてました。よく見ると“城”の字に点がなくて,しばらく固まってしまいました…。
なお,すぐ近くの関沢ふれあいセンターはチェックのしがいがあります。ここには,周辺から出土した板碑群が,石碑の脇に並べられています。倉庫らしき壁面には,案内パネルが貼り付けてあります。マイカーで来られる方はここに駐車できますョ。

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あきおこ

竪堀が放射状に伸びる山城 (2017/12/29 訪問)

北条の城で竪堀が山頂の郭から放射状に麓に向かい伸びる凄い城。
縄張り図を見てすぐに行きたくなりました。

年末の18切符を握りしめ神奈川へ。

JR橋本駅北口から、神奈川中央交通・橋1 三ケ木行きに乗車、
津久井湖観光センター前で下車。20分で到着。
こちらには広い駐車場もあります。

バス停横の山が津久井城のある山です。

遊歩道が麓に整備され途中から登山道に分岐します。
登山道は複数あるようです。
遊歩道沿いには山頂から伸びると言われるトバ堀が整備されています。

登山道は1泊2日の装備を背負い登った為か、息があがりました。

荷物無しなら苦もなく登れる整備の行き届いた道だと思います。
私の足で山頂まで30分くらいでした。

山頂には郭群があり曳橋のあったといわれる堀切、土塁のある郭群などが
ありますが、主郭下の連続桝形がある部分は立ち入り禁止となっていました。(2017年12月29日現在)

竪堀の堀底道が、そのまま登山道になっているところもあり楽しめましたが
全体的に竪堀のある場所は藪化している所が多く、楽しみにしていた竪堀群を
体感することなく散策終了。やや消化不良の登城となりました。





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カルビン

二俣城に行くならここもセットで (2014/12/06 訪問)

AM2:00に家を出て、新東名を大声で歌いながら(←眠気覚ましの為w)はるばる二俣までやってきました。
もちろん本命は二俣城だった訳ですが、事前に近くにお城があるかどうか確認したところ、すぐ傍に鳥羽山城がある事を知って立ち寄りました。

二俣城から天竜川沿いに細い道を南西に進み、広い駐車場を見つけそこから登ったのですが、実は南の主郭に近い所にも駐車場があった模様(しかも登りがそちらの方が少なかったw)。

朝二俣城では霜も降りる程寒かったのに、駐車場からお城までの道は草が生い茂っていて進み辛かったです(汗)


主郭まで来てビックリ、二俣城にも負けていないお城がそこには有りました(驚)

山の頂上に平坦地を設け、その周辺を石垣や土塁が囲むという、山城では珍しい(個人的にはw)居館タイプのお城になっております。
どこまでが現存の石垣なのかは不明ですが、今まで見てきたお城の中では上位の部類に入ると思われるお城です。

迎賓機能を備えたお城との事で、枯山水庭園跡も見つかっております。

北西に造られた展望台からは天竜川の絶景・・・と言いたいところですが、結構背の高い木が多く、枯れ気味にも関わらず遠くが見辛い残念な展望台になってました・・・一部遠望が利いたのでギリギリセーフかなw


本丸から延びるローラー滑り台がありましたが、そのNG見本が笑えます(そんな体勢で滑るヤツおらへんやろw)

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甲賀の城密集地帯に踏み込んだ (2019/03/12 訪問)

和田城と支城六つと公方屋敷跡を廻り、城はいずれも丘程度で単郭に近いが3時間ほどその辺りにいました。古琵琶湖層の粘土質で切岸が立ちます。土塁も重厚に仕上がってます。

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チェブ

メディカルセンターに生まれ変わった! (2019/03/09 訪問)

埼玉県の「土呂陣屋」に行きました。
初鹿野家の陣屋です。
武田 信玄さん、勝頼さん二代に仕え、武田氏滅亡後は家康さんの家臣になります。

住所の場所は「彩の国東大宮メディカルセンター」でした。
初鹿野さん、ずいぶん体に優しい近代的な陣屋を築いたんだな~ってボケている場合ではありません!
工事現場と駐車場の誘導をしている方に「土呂陣屋」を訪ねましたが分からないとの事。
メディカルセンターは4年前に出来たと教えてもらいました。
んっ!工事している所、土塁に見える気がします。
目が城跡を欲しているのか、ユンボが掘っている所が遺構に見えてしまいます。

地蔵堂と説明板はなくなったと思い、探しませんでした。「お城を探す」の地図を見たら、少し離れた場所に移築されているみたいですね。

ちょっと淋しいお城巡りでした。

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モト

すごい!本格的な遺構が残る城址です。 (2019/01/29 訪問)

栃木県の城址では評判の高い黒羽城、訪問しましたらなるほど高い評判に納得の遺構が残ってました。
私としては特に印象に残ったのは空堀です。
まずは入り口から入った付近から見える左右にある空堀です。
本丸を囲むようにある空堀はこれぞ城址の空堀といった雰囲気です。
また、先を進み本丸から曲輪を仕切りる堀は深く迫力満点でした。
本丸は公園になっていましたがちゃんと囲む土塁が残っていました。
本来は三の丸、二の丸とかなり大きな城だったようです。
今は本丸しか残っていない黒羽城ですが、その本丸の遺構はきれいに残っておりました。
ぜひ、ち栃木県の城址でおススメの1つです。

隣には松尾芭蕉の館があり芭蕉の銅像も建っておりました。

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todo94

二度目の当選 (2019/03/09 訪問)

城びとメールマガジンご登録キャンペーン、当選いたしました。頂いた書籍は「日本史1000名城」税抜き2800円のすごく立派な本です。これに載っている1000城、全制覇を目指して頑張ります。(ちなみに昨年7月、「続日本100名城」投稿キャンペーンにも当選して近ツーの10000円の旅行券もいただいています。)その「日本史1000名城」にも載っている霜降城。標高250mということで侮っていましたが、4つの峰(前城、本城、後城南峰、後城北峰)を全て回ったのでかなり歩きでがありました。中の城も目指したのですが、かなり下ってもたどり着ける気配がなかったのでこれは断念。厚東氏が大内氏に敗れ廃城となったため、南北朝期の遺構が残る城とのことです。

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前ちゃん

歴史は・・・ (2019/03/11 訪問)

石垣や庭園は再建時?

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前ちゃん

郡上をどりの城 (2019/03/11 訪問)

出来びと、山内一豊の妻・千代の生誕地

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まーやん

説明書が飛んでしまっている(・・;) (2019/03/10 訪問)

城びと情報によれば、京都市右京区京北に上中城址なるものがあるとのこと。
ここって、遥か昔から私の釣り街道なんすけど( ̄▽ ̄;)
と言うことで、解禁のアマゴ釣りの後行ってきた。

場所はR162号線(西の鯖街道)と府道78号線との交差点から北西に入った所だとか。田んぼの中に住宅が散見されるが…なるほど、別名田中城とはよく言ったものだ。

平安時代の城であり、楕円形かつ遺稿がよく残っている…のか?(・・;)
昨年の台風の影響か説明書はぶっ飛んで枠だけ残ってた。頼みの綱だったのに…⤵️

以下は、京都市情報館の情報です。

上中城は,天仁年中(1108年~1110年)に北面の武士の一人によって築かれたと伝えられている。発掘調査により,この城は12世紀から13世紀を中心に使用されていたこと,東西84m,南北40m,周辺部の水田より1m程度盛り上がった城内部分の面積が約3,000?あり,城の周囲には幅5m,深さ1mの濠が廻り,城内の北端部に幅5m,高さ1.8m,長さ20mの土塁が築かれていることなどが明らかになった。本城跡は平地に築かれる城の形として非常に珍しい楕円形である点,平安時代末期に遡る非常に古い城である点,城跡全体が良好な形で残っている点など特筆すべき特徴があり,貴重な文化財である。
とな。

つまらないので周辺情報を。
R162号線を南下した周山に有名芸能人も通う登喜和(前日までに要予約)という精肉屋さんがやってる食堂でリーズナブルに和牛料理が食べられ、また道の駅の食堂でもにしん蕎麦ならぬ鯖蕎麦(写真)など多くのメニューがあり、丹波のよきものが食せます🍴
周山城と併せてどうぞ。

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ぽんたっく土佐守

勝瑞城館跡は発掘が続く (2019/03/10 訪問)

JR勝瑞駅から徒歩10分ほどで着きます。
駅に案内図や資料はありません。
改札を出たら左に進み、左折。
踏切を渡って住宅街をまっすぐ進みましょう。
広い道に突き当たった所が勝瑞城跡です。
城跡にはこれといった遺構はなく、
土塁と三好家4代の墓があります。
城跡の斜め向かいは勝瑞城館跡。
現在も発掘調査が続く館跡には
パンフレットが置いてあります。
中世守護の館が想像でき、
城跡とスタンプだけでなく
こちらも見学することを
おすすめします。

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丹羽長重

遺構整備状態バッチリ👌 (2017/02/18 訪問)

最近は、定期テストやら実力テストやらで勉強でいっぱいいっぱいの日々…お城を投稿できなくて申し訳ございません<(_ _)>
もちろんお城にも行けてないので過去に行ったお城をご紹介しますね。
2017年の春、ふと福島の下の栃木に良いお城がないかと思い、お城図鑑を引いたところ土塁がよさげなお城があったので花粉症に耐えながら行ってきました。途中、宇都宮城にも寄り、飛山城に着いたのは正午になりました。
まず、お城に着いてびっくりしたのが図鑑の写真よりも遺構状態が良いことです。失礼ですが宇都宮城よりも整備されてるのではと思いました。(あくまで2年前の話です)さらに、お城全体に程よく林状態になっているので中世の山城感満載です!空堀、土塁好きの方にはたまらないのではないでしょうか。また郭内には竪穴住居など堀立柱建物が復元されていてとても面白かったです。
また、近くにある「とびやま歴史体験館」では、土塁のぼり体験、甲冑着付け体験など、楽しめながら飛山城の歴史を学べます。
ぜひ訪れてみたらいかがでしょうか?

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BUGTI

元祖天空の城 (2019/03/09 訪問)

たくさんの人で賑わう天空の城。石垣しか残っていないのに、大勢の人が来ていました。複雑な石垣の配置が天守台から良くわかります。強い風が吹く中でボランティアガイドさんが頑張っていました。次は人が少ないときにゆっくりと見物したい。

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BUGTI

明智光秀との攻防があった城 (2019/02/23 訪問)

結構な山道を登りきると、三の丸の石垣が出迎えてくれた。木が切り払われているので、三の丸から本丸に至る曲輪の様子が良くわかる。毎年秋にはトレイルランが開催されるそうで、山道をランニングの練習している人がいてびっくり。麓にある興禅寺の七間堀と石垣もお忘れなく。

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チェブ

反対運動していた?! (2019/03/09 訪問)

伊奈 忠次さんの屋敷跡「伊奈城」に行きました。
もともと伊奈氏、信州出身ですが忠次さんのおじいちゃんの時代から家康さんの父、広忠さんに仕えます。
家康さん、関東移封になりました。
忠次さんのこれまでの功績により、この辺りを治めるようになりました。

説明板に350㍍ × 750㍍の敷地と書いてあります。
広い!うろうろモードONです!

空堀、土塁が残ってます。
障子堀の案内板がありましたが障子堀、埋め戻してあるようです。

「伊奈城」を訪れた方のサイトや投稿で史跡指定の反対運動でお城巡りが難しいと書いてありました。
私は反対運動や立ち入り禁止の立札、気づきませんでした。
どちらかと言うと見やすくなっています。
私は、お行儀の良い城攻めをしたいと思います。
素晴らしい遺構を見つけても「すごーい!」は心の中で叫びます。

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BUGTI

光秀出生城候補のひとつ (2019/02/16 訪問)

遺構は残っていないが、登城しやすいので大河ドラマが始まれば大勢が訪れるかもしれない。水の手曲輪方面は土砂崩れで行くことができなかった。近くの天龍寺には明智氏歴代の墓所があります。

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BUGTI

森氏の城 (2019/02/16 訪問)

建物遺構は残っていないが、大手枡形やところどころに残る石垣により、それなりの規模の城だったことが良くわかる。破城により石垣が崩されているのが残念。

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カルビン

再訪で評価上がったお城 (2015/08/16 訪問)

岩槻城はお城巡りを始めて初期の頃に一度やってきました。

当時そもそも太田道灌の事も知らないくらい無知だった為、何も無いお城だなーってガッカリしたものですが・・・
太田道灌の御膝元と言う事で再度訪問致した時には多少知識も得ていたせいか、まぁまぁ見所合ったんだな~って少し評価上がりましたw

岩槻城はただ城址公園を散策するだけでなく、周辺に散らばっている遺構と、太田道灌を始め色々な方の戦国~江戸時代の有名な方の菩提寺があるのをまとめて見学されると、お城の物足りなさを補って余りある散策が出来ると思います。
同じ埼玉県の川越のミニチュア版と思えば良いかと。

お城関連では城址公園外に大手跡(解説のみ)、三ノ丸跡(標柱のみ)、時の鐘(石碑・解説)、大溝(土塁・解説)、太田道灌像(岩槻市役所駐車場)等があり
菩提寺は浄安寺(高力清長、松平忠輝側室竹の局、その息子徳松丸墓及び供養塔)、芳林寺(太田一族(道灌・氏資)墓、高力清長の息子・正長の墓、太田道灌騎馬像・銅像、太田氏資座像)等がありますのでご参考まで。


本丸跡地の解説がガソリンスタンド内にあるのには参りましたが(ーДー;)ゞ

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城好きのメガネ

「平戸藩主松浦家の居館 平戸御館」 (2019/03/09 訪問)

<オススメ>★★★★★
平戸藩主松浦家の屋敷である。松浦家は、鎌倉時代の初期、平戸・松浦に落ち着いて以来、幕末に至るまで転封がなかったため、国や県指定となっている古文書や絵巻、鎧等が多く所蔵されている。現在、歴史資料館となっており、平戸オランダ商館との共通入館券がお得である。日本100名城の『平戸城』と併せて見学したい。

<アクセス>
西肥バス 平戸市役所下車 徒歩15分

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