こたにじょう

小谷城

大阪府堺市


旧国名 : 和泉

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ぴーかる

小谷城 (2021/05/29 訪問)

【小谷城】
<駐車場他>阪和第一病院駐車場最初の2時間無料/小谷城郷土館駐車場
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第3弾4城目。小谷城は「こたにじょう」と呼びます。郷土館で頂いた冊子を要約すると鎌倉時代の13世紀中頃平氏一族の上神政有(※小谷氏は上神氏の別称)がこの地に地割りをして築城したとあります。南北朝時代には楠木正成軍に加わり、小谷城は千早城から浜寺の大雄寺への狼煙火中継所の役割を担っていた。戦国時代には和泉国一帯は根来党が支配しており1575年信長の根来攻めの際に落城したとあります。小谷氏は落城後城址の一郭に住み郷士となります。
 城跡碑が阪和第一病院入口脇の階段を登るとあります。一応丘陵山頂部のようで曲輪跡のような場所にありますが、ここが主郭であったかどうかは現地では確認できませんでした。

 郷土館には南大阪の古瓦、土器、農機具、堺鉄砲等の展示があります。旧小谷家母屋が郷土館になっており、門が伯太藩(和泉市)の移築門だそうです。

<満足度>◆◇◇

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イオ

鼎城 (2021/05/24 訪問)

仕事で近くに行くことになったので、2年ほど前に登城した際は休館日だった小谷城郷土館に行こう…と思いきや、今回も休館日(月曜)。その代わりに、小谷城とあわせて「鼎城」と呼ばれた他の2城を訪れることにしました。

まず、豊田城(東山城)へ。現在は泉北高校の敷地になっていて遺構はありません。授業中でもあり校門は閉ざされていたので、校門前から城跡の高台を見上げ、写真を撮って退散しました。

次いで栂山城(西山城)へ。こちらも原山台のニュータウン開発により遺構は消滅していますが、城址にあった上神(小谷)氏の墓所が原山台口バス停脇に移設され、領主累代碑や由緒書の石碑が建てられています。

どちらも遺構はなく、かろうじて墓所と石碑があるくらいですが、栂山城(原山台口バス停の南側あたり)からは小谷城と豊田城が見渡せ、三城の位置関係と「鼎城」と呼ばれる理由を実感することができました。
 

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中川藤兵衛尉

和泉小谷城 (2019/07/22 訪問)

東山城(豊田城)・西山城(栂山城)共に、鼎の城として機能しました。今は病院の裏手の小山となっています。駐輪場側の登城口はお勧めできません。病棟側の方から行きましょう

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イオ

狼煙の中継所 (2019/06/24 訪問)

鎌倉期に築かれ、近接する栂山城、豊田城とあわせて鼎城と呼ばれた小谷氏の城で、南北朝期には南朝方で千早城からの狼煙の中継所としての役割を果たし、戦国期には三好氏と争い、織田信長の紀州攻めの際に根来党であるとして落城させられたようです。

阪和第一泉北病院の裏山が城址として整備されており、病院の玄関脇の道を上っていくと、本丸と思しき頂部に城趾碑や説明板が設けられていますが、遺構は特にありません。ただ、眺望はなかなか良く、狼煙の中継所だったというのも納得です。
病院の下(南西)には小谷城郷土館があり、こちらにも城趾碑や説明板がありますが、休館日だったため館内には入っていません。また、郷土館入口の長屋門は伯太陣屋から移築されたものです。

アクセスは、泉北高速鉄道・泉ヶ丘駅から徒歩約18分、車なら小谷城郷土館の無料駐車場に駐めて徒歩7分くらいでしょうか。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 上神(小谷)政有
築城年 寛喜3年(1231)
主な城主 小谷氏
遺構 曲輪
再建造物 石碑、説明板
住所 大阪府堺市南区豊田1602
問い合わせ先 小谷城郷土館
問い合わせ先電話番号 072-296-8435