なかむらじょう

中村城

高知県四万十市

別名 : 為松城、土佐中村城
旧国名 : 土佐

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小城小次郎

模擬天守でも天守は天守か (2024/02/22 訪問)

富山城の模擬天守を更にマンガにしたような模擬天守(四万十市立郷土博物館)はかっこいいんだかかっこわるいんだかよくわからない天守だが城下から見上げるとちゃんと絵になる。天守はやっぱり天守か。

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todo94

バースデイきっぷを使って (2024/09/21 訪問)

バースデイきっぷを使って16年ぶりに訪れました。あしずり1号で中村駅にアクセスし、レンタサイクルを借り受けました。三の丸、為松城址碑とみて回り、二の丸に建つ四万十市郷土博物館に入館。ここで龍馬パスポートの申請書を手に入れ一つ目のスタンプをゲットしました。今回の高知での最大の目的は志国土佐 時代の夜明けのものがたりに乗車することです。そのため、中村滞在は1時間少々となってしまいました。一條神社や栗本城などは次回の楽しみに取っておきます。志国土佐 時代の夜明けのものがたりの車内では龍馬パスポート申請書の2つ目のスタンプをゲットできました。

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しんちゃん

四万十の街並みと川の流れ (2013/12/13 訪問)

ちょっと古い写真で申し訳ない。中村城は一条氏の城で、為松氏によって築かれたとされています。西の四万十川、東の後川に挟まれた丘陵地に築かれ、石垣が残っています。現在は為松公園になっており、二の丸跡に犬山城を模したとされる模擬天守が建っています。なぜ犬山城?と思いますが、隣の芝生は青いというやつでしょうか。
模擬天守は微妙ですが、展望台からの眺めは良好で四万十の街並みや川などの景観を楽しむことができます。行って損はないと思います。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:中村城 (2022/07/23 訪問)

栗本城からの転戦です。石碑付近(32.996606、132.929819)に駐車しました。
夜遅い為、中村城は開いていないので、模擬天守を外から確認しました。

築城年代は定かではないようですが、1467年(応仁元年)に勃発した応仁の乱を避け、左大臣・関白であった一条教房が、翌年、荘園であった中村に下向しそのまま戦国大名として土着しました。
元々この地にいた豪族の為松氏が家老として取り立てられ、その為松氏により築城されたのが始まりと考えられているようです。
代替わりして一条兼定は、1558年(永禄元年)に伊予国の宇都宮豊綱の娘を娶るが、1564年(永禄7年)に離別して豊後国の大友義鎮(宗麟)の次女を娶り大友氏と結びました。
1574年(天正2年)素行が悪かった一条兼定は羽生、安並、為松の三老臣によって幽閉され、豊後に追放されました。
これにより一条氏は兼定の嫡男内政が擁立され、長宗我部元親に後見を頼み大津御所に送られた。元親は中村城主に実弟である吉良親貞を置いて幡多郡を支配させたそうです。
1575年(天正3年)一条兼定は中村に復帰を試みますが、長宗我部元親に攻められ滅亡しました。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦い後、戦功により山内一豊に土佐一国が与えられ、1601年(慶長6年)山内一豊の弟康豊が20,000石で入りました。
1615年(慶長20年)の一国一城令に伴い、廃城となりました。

二の丸跡に郷土資料館として模擬天守が建てられその南に土塁・虎口が残っています。郷土資料館の開館時間には間に合いませんでしたので、二の丸跡付近のみの攻城でした。
車を駐車した付近に石垣があり、駐車した場所は堀切にあたるようです。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=中村御所(城びと未登録 高知県四万十市)に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
天守構造 複合式望楼型[4重5階/1973年築/RC造模擬]
築城主 為松氏
築城年 不明
主な城主 為松氏、一条氏、山内氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、土塁
再建造物 模擬天守、石碑
住所 高知県四万十市中村字古城山為松山
問い合わせ先 四万十市役所
問い合わせ先電話番号 0880-34-1111