金ヶ崎の退き口、前線基地
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2019/09/04 02:39
難攻不落 (2019/08/21 訪問)
金ヶ崎の退き口、前線基地
+ 続きを読む
♥ いいね
1人が「いいね」しています。
2019/09/03 21:28
松尾芭蕉忍者説 (2015/10/18 訪問)
栃木県北部から福島県南部のお城巡りをした際に立ち寄った1ヶ所。
大田原城からスタートし、その足で福島県入りして棚倉城・赤館見学後栃木県に戻って高館城に寄った次に訪問したのが黒羽城でした。
この日は寒かったので、丁度お昼頃に立ち寄った黒羽城が一番見学のコンディションが良かったです。
駐車場のある側には虎口・堀・横堀+土塁等、比較的規模の小さめな遺構でした(堀はまぁまぁの大きさだった)。
で、主郭部と思われる陸上競技が出来そうな程広い曲輪を、特に西側が高い土塁で囲う様になっておりました。
そこから南北サイドには猛烈に深い堀があり、その上を橋が渡してある場所が。。。絶景ではありますが、足竦みましたw
西側の土塁の向うは切岸になり、一気に低い層に・・・傍を流れる那珂川が天然の水堀の役目を果たしていた模様。
その土塁の上にはなんちゃって櫓台(造りは頑丈)があったのでしっかり登ってきました(笑)
公園化の為、遺構に無駄に装飾が付けられた場所が多く(堀底や斜面に木や花を植えてあった)、それが気に入らない方も多いかもしれませんが、自分は地滑り対策等・遺構の破壊防止の一環として納得してました。
南には当時ここで長期滞在していた松尾芭蕉にちなんだ「芭蕉の館」(横に馬に乗った芭蕉と、その横を歩かされている弟子の河合曾良の像が)があります。
自分は松尾芭蕉が「奥の細道」を隠れ蓑にして諸国を偵察していたという、芭蕉忍者説を結構推してまして・・・
ここで滞在していた間に徳川譜代色の濃い宇都宮に情報送っていたのでは?なんて勝手に思っておりますw
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2019/09/03 21:21
相模国の丸山城 (2019/09/01 訪問)
丸山城という名前のお城はたくさんありますが、相模国の丸山城です。太田道灌が暗殺された糟屋館に比定されていますがはっきりしません。城址は横矢の土塁が残り、国道で分断されていますが南の高部屋神社から高台が続き、北側は崖となって城らしさを感じられます。しかし案内板によると西の東海大病院から東の晋済寺あたりまでが城域だったようです。近くには太田道灌の墓や菩提寺である大慈寺があります。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2019/09/03 21:00
古代から続く中世の城 (2019/09/01 訪問)
例のごとく詳しいことはわかっていないが、古代の住居跡があることから昔からこの地域の拠点であったことは間違いないようです。公園として整備されているが、空堀や土塁はしっかり残っていた。軽装でも来られるし、案内板もたくさんあって、中世の城の入門としてはちょうどいいかも。でも公園に来ている人達は、城にはあまり興味がないみたいでした。。。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2019/09/03 20:45
東本願寺名古屋別院周辺が跡地 (2019/08/25 訪問)
地下鉄別院前から徒歩で5分。
東本願寺名古屋別院辺りが跡地で境内に石碑が建っています。
遺構はなさそう。
織田信秀が那古野城を信長に譲って移った城です。
別院はかなり立派なお寺で、この日は盆踊りの準備がされていました。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2019/09/03 19:52
館跡の 文化が大切にされています (2019/09/03 訪問)
樋爪館は、平泉初代藤原清衡の四男清綱が派遣され、その子、太郎俊衡、五郎季衡らが
居を構えて周辺を支配されたとされる。樋爪館は赤石小学校の南にある薬師神社一帯に
築かれていたという。(案内板より)
赤石小学校の北東隅<39.535797,141.164364>に案内板を確認後、館跡の薬師神社と
五郎沼の周辺を散策するが、アチコチに案内板があり、古代ハスを保存したり、館跡の
文化が大切にされています。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2019/09/03 17:30
2019/09/03 17:03
2019/09/03 07:04
中学校の東 (2019/08/02 訪問)
唐沢山城からバイクで移動すること約2時間、嵐山町役場にやってきました。
こちらの1階ホールで、続日本100名城を押し、パンフレットを入手しました。
杉山城跡は、玉ノ岡中学校の東にあります。
中学校の裏門(北側)近くに見学者用駐車場が用意されています。
ここから中学校脇を通って城跡に向かいます。
体育館の右側を抜けてしばらくすると
出郭にたどり着きます。
約40分の散策時間でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2019/09/03 06:57
石田堤史跡公園まで足の伸ばしてみたらいかがですか (2019/08/03 訪問)
東松山のビジネスホテルを遅めに出発し、石田堤史跡公園に向かいました。
秀吉に忍城攻めを命ぜられた石田三成は、水攻めのために忍城の周囲を総延長28 kmの堤を造りました。
この一部が現在も残されています。
急ごしらえで作ったものではありますが、かなり立派な堤防です。
次いで、行田市郷土博物館へ移動しました。
続日本100名城スタンプは、入り口右側で押すことができます。
また、御三階櫓に入ることができます。
見学時間は、石田堤、郷土博物館含めて約1時間でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2019/09/03 06:48
小江戸巡回 (2011/08/13 訪問)
せっかくですから、小江戸とよばれる川越の町を一周してきました。喜多院・仙波東照宮・中院・菓子屋横丁・一番街・時の鐘等と見学。全部徒歩でも回れますが、小江戸巡回バスがお勧め、1日300円で何度でも乗れますので、疲れたらこれを利用しました。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2019/09/03 06:34
河岸段の城 (2012/09/22 訪問)
鉢形城歴史館に広い駐車場があります。まず、歴史館に行くことをお勧めします。予備知識だけでなくフィールドマップも手に入れましょう。この城は広大で、一見平坦なので全体像をつかみにくいです。しかし、河岸段丘を利用しているため、高低差があり全体を見るのに時間がかかります。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2019/09/03 06:15
石 (2012/09/22 訪問)
まず、ガイダンスセンターへ寄られることをお勧めします。予習もできますし、現地の地図も手に入ります。城下の駐車場は広く、道路はカーブ・勾配ともに急ですが、けっこう道幅があるので初心者でなければ大丈夫です。
ひととり見学するのに1時間かかりました。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2019/09/03 05:56
箕輪城 (2011/09/23 訪問)
山城で遺構がわかりにくく、日本100名城の中では上級向きかな。
+ 続きを読む
♥ いいね
6人が「いいね」しています。
2019/09/03 00:42
勝頼が来ていたら?Ⅱ 初探訪潜龍院(勝頼御殿) (2017/10/28 訪問)
一昨年10月28日岩櫃城を降りて岩櫃城フォーラム開始前に潜龍院跡、真田昌幸が武田勝頼を迎えるために作った御殿でしたが来る事なく天目山で自刃しました、来てたらどうなってたろうと思ったりします。
古谷集会場駐車場有り車を停めて案内看板を見ながら10~15分、石垣の屋敷台が残ってます、丁度草刈りを地主の方がトラクタで刈ってました見やすく保全されてます、ありがとうございます。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2019/09/03 00:18
勝頼が来ていたら? 初登城岩櫃城 (2017/10/28 訪問)
一昨年の10月28日午後からある岩櫃城フォーラム参加したくて途中に上野中山城初登城を終えて岩櫃城へ、事前に以前からの登城道が崩壊して通行止め情報が有り吾妻町教育委員会に連絡して迂回路図を送って戴き岩櫃城看板設置してある大駐車場へ無事到着、要所要所に案内看板が設置されてました。
駐車場から2,3分の平沢登山口観光案内所から登城開始、中城、中城横の長い竪堀の様な登坂道を進み、二の丸下坂道を二の丸本丸の堀へ本丸側傾斜登城路を本丸へ眺望は良いのでしょうが当日霧曇り状態。
下城して町場の食事処で蕎麦定食を頂き会場の吾妻町コンベンションホール、NHK真田丸で時代考証された平山優氏の講演「真田信之時代の岩櫃城」を聞きたくて浜松から車で飛んで来ました。
武田勝頼が岩櫃城で籠城戦をしていたら後数ヶ月で時代が変わって居たかも?岩櫃山の下に勝頼を迎える屋敷を作って居たのですから現在潜龍院跡して残ってます真田昌幸の計画も潰えましたが空想と夢とが交錯します。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2019/09/02 23:57
2019/09/02 23:05
北条氏境目の城 (2017/10/28 訪問)
一昨年の10月28日群馬県東吾妻町で岩櫃城フォーラムが有り前日浜松を夜出発しSA車中泊して岩櫃城に向かう途中に上野中山城が目につき登城を計画、城放浪記さんの案内に有る国道145号線の広い路側帯駐車場をナビに登録し無事到着、案内板がそこに有り安心停めたところから城跡が分かる。
北条氏と真田氏の攻防戦による北条氏境目の城として築城される、南に延びる舌状台地に本丸、本丸を北、西、南に二の丸が囲む更に大きく三の丸が囲む、南に大きく捨曲輪各曲輪を大堀が防ぐ東西は崖が切岸の役目をしている、東から切岸を斜めの登城路で本丸に入る。
登城後岩櫃城へ向かう。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2019/09/02 22:25
松平城は秋冬に行きましょう。 (2019/08/31 訪問)
雨天の予報が曇りに変わり、諦めていた8月最終日の城廻。一度行こうと思っていた豊田市の奥、松平郷へ。
名鉄豊田市駅からバスに乗り、出発は5人いた乗客もいつの間にか一人だけ。
松平郷でバスを降り、まずは松平城址へ行きました。
立派なへ石碑があり、そこが登城口。
すぐに主郭と曲輪3,4と主郭への分岐があり、まずは曲輪3,4と思いそちらへ進んだのが間違い。
途中、目に見えない蜘蛛の巣が張り巡り、足元も草ぼうぼう。
蜘蛛の巣が絡んだ腕は異常にかゆく、あちこちからやぶ蚊の襲撃も受け、夏場に来るんじゃ無かったと思いながら進むと、あばら屋と曲輪4があり、曲輪4の奥に櫓台。そこから曲輪3、曲輪2を経て主郭へ上がり、登城完了。
特殊な遺構も無いが、ここが松平、徳川へ続く原点だと思うとそれれなりに達成感が湧きました。
また、竪堀と思われるところもあるが、草木に覆われ、なんとも判りません。
山裾を回って見ようと試みましたが、柵があって断念。
その後、東照宮と高月寺をお参りしました。
出来たら大給城とも考えていましたが、あのやぶ蚊の攻撃と雨がパラついてきたことで、気持ちが下がり断念。
今度、機会があれば、大給城と松平山城を夏場を避けて見てみたい。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2019/09/02 21:52
公園化された北館跡には行けますが (2019/09/02 訪問)
築城年代は不明、建長年間(1249~56)頃に一戸摂津守義実によっで築かれたと云われる。
城跡は北館、八幡館、神明館、常念館などの曲輪で構成されていますが、一戸城址駐車場
(20台)<40.218576,141.305041>を利用すると、公園化された北館跡に行けますが、
夏草で遺構は分かりません。八幡館、神明館、常念館は畑地で入れません。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。