福島県三春町の三春城です。この地方を領した田村氏が郡山の守山城から1504三春に本拠を移し築城したとされます。田村氏の領地がある仙道地方は、会津芦名氏や米沢伊達氏、常陸佐竹氏など周辺大名の争奪の場となり、力の劣る田村氏はそれら大名と婚姻関係を結ぶなどして領地を守っています。1568年の芦名氏侵攻に対しては伊達氏と結び対抗、1573年の佐竹氏侵攻に対しては芦名氏と結び撃退。しかし、芦名氏と佐竹氏が同盟を結び周辺豪族の二本松氏などもこれに従い、田村氏と婚姻関係のあった相馬氏も、敵対関係にあった伊達政宗へ田村氏が娘を嫁がせ同盟を結んだことから、佐竹氏と連合を結び、伊達・田村氏とその他大名連合の戦いは1585年人取橋で勃発、兵力で劣る伊達・田村氏が劣勢を跳ね返し勝利しています。1586年田村氏当主清顕が死去、男子がなかったため田村氏家臣団は伊達派と相馬派に分裂。相馬氏は三春城へ入城しようとしますが、伊達派が阻止。その後、伊達政宗が三春城へ入城し相馬派を一掃、清顕の甥の宗顕を城主にしています。しかし、小田原征伐へ田村氏は参陣しなかったため改易となり、その後領主が数々替わり1645年秋田氏(戦国時代に秋田県中央部から県北を領した安東氏)が5万5千石で入封し明治維新まで続いています。戊辰戦争では秋田藩は奥羽列藩同盟に近隣諸藩と加盟しますが新政府軍の奥羽攻撃が始まるといち早く新政府軍に降伏、城下が焦土となることを救っています。城は三春町の中心部の標高407mの大志多山に築かれた山城で本丸、二の丸、三の丸を配し、麓に家臣屋敷が配置され、城には天守の代わりに三層三階櫓があったとされます。現在城跡は三春小学校裏手に城山公園として整備され桜の名所となっています。
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