北条氏が小田原城の支城として重要な役割を果たした津久井城、山麓に根小屋を備えた根小屋式山城で「本城曲輪」までは登り甲斐がありました。
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2024/02/04 06:51
2024/01/03 21:43
寒冷の 津久井に登る 我が身かな (2023/12/17 訪問)
(津久井城HP)http://www.kanagawa-park.or.jp/tsukuikoshiroyama/index.html
神奈川県相模原市のはずれに、津久井湖城址公園という施設があります。その名の通りここも城跡のある場所…とうとうここにも足を踏み入れることにしました🚶
根小屋パークセンターという建物にまず入り、そこのジオラマ(画像1枚目)を撮影。その中に小高い山が存在しており、どうやらそこに城跡が存在するようでした
同じくパークセンターには、甲冑および刀や火縄銃(画像2枚目)が展示されており、何と着付け体験もすることができました。偶然そこにスタッフがいたので着付けを依頼。すると具足から丁寧に私の手足に付けて紐を結んでくださいました
脛当て…股下当て…籠手…胴当て…と付けて、最後に兜を被せてもらった私🪖 それで一通りは完成なのですが、重さは大してありませんでした。これはあくまで手作りの…レプリカ的な鎧兜だそうです
実際の鎧は20kgくらいあり、素人では結べないほど複雑な造り…とスタッフは語ってました。まず甲冑姿のみで撮影してもらい、それから(鎧と同様、画像2枚目に存在している)刀を借りて…防犯用に鎖で固定されていたので、鎖が伸びる向きにして、刀を両手で少し抜いた状態で撮影してもらいました⚔️(少し重量はあったけど、この刀も本物ではなくおそらく模造刀)
最後に(画像2枚目に存在してる)火縄銃を握って撮影…これも防犯用の鎖が伸びる向きで…銃を両手で構えて狙いを定めるポーズをとりながら撮ってもらいました
城跡および御城印購入のための時間を作るために、撮影後はすぐに鎧を脱いで返却…具足は蝶々結びを解けばすぐに外せたので自分で解きスタッフに渡しました…そして礼を述べてからいよいよ城跡へと歩みを進めてみました🚶
ムササビの巣箱が右手にある小径を通り過ぎながら、湖の見えるエリアへ…この湖の名は津久井湖…かつてここは相模川の一部でしたが城山ダムを建設してからは湖となり、貯水湖としての役割を果たしているようです🚣♂️
分かれ道があり、右手がハイキングコースになっていました。山を登るような道ではあるけどとうやらここは山城…ここを進まないと城跡には辿り着けない…⛰️ なのでここを歩むことにしました
画像3枚目は(先述の通り)津久井湖…ハイキングコースの途中で撮影した気がします。今回この湖まで行くことはありませんでしたが、小高い山から湖を一望できる、ここの景色は絶好のビュースポットとも言えるものでした📷
山道は1kmほどあり、思ったより時間のかかるコースでした…ここは女坂というルートでなだらかだけど距離は長い…しかも場所によっては橋のような足場(しかも人一人分)しかなく、手すりも無い…だからもしそこから足を踏み外して横転したら数m下まで真っ逆さま…という危ない所もありました⚠️
画像4枚目の場所は、城が防御施設として現役だった頃…窪みの上に橋が掛けられていたと案内板にありました。戦が起きた場合だけその橋を壊し、少しでも敵の侵入を遅らせる
今回登ったのは本城曲輪(ほんじょうくるわ)⛰️ 他にも飯縄曲輪などの城跡はあるのですが、当初思っていたよりも城の規模が大きく、1日で巡るのは無理…観光センターで御城印を買うためにもキリのいい時間で引き上げなければ…と判断した私は、この場所だけに今回は専念することにしたのです🚶
別の場所で俳句用紙を1枚手にし、アイデアが思い浮かんだら書いてポストに投函しようと考えていた私…曲輪のほぼ山頂…画像5枚目の大きな地図がある場所の右手にそのポストがあります📮 この付近にテーブルが設置してあったのでそこでこう詠みました…
「寒冷の 津久井に登る 我が身かな」
寒冷が一応、12月の季語になります。ただ…もう少し捻りが欲しかった…季語の後が何か単調で、平凡な表現にさえなってしまった感あります。そう考えると、国語の教科書に載っている俳人ってすごいですね…どうして季語を交えた独特で絶妙な表現を五七五の中に表すことが出来るのか…と
6枚目を撮影してからポストに投函…これは別に俳句の大会に出されるわけではなく、あくまでパークセンター入口の「みなさんが詠まれた俳句」…つまり素人作品として紹介されるだけのようです
過去にも私は何回か…旅先…主に鎌倉で俳句を詠んで投函したことあります。住所欄もあったのでそこも記入して投函したのですが、一度も主催者から連絡が来たことはありません😅
その場合の俳句募集は、入賞者は表彰され何かしらプレゼントももらえるみたいな大会形式だった記憶があります。けれど私は投函した全ての回で落選したようです😭
所詮、私には…松尾芭蕉や正岡子規のような俳句の才能は無いようです…とりあえず季語っぽい言葉入れて五七五に近い文にして(ぴったし五七五じゃなくても…例えば五七六…字余りになっても近ければOK)出したに過ぎない…
私の今回詠んだ俳句がどう思われるかは分かりませんが、やがてパークセンターの掲示板に貼り出されて、「おお、この俳句面白いな😁」と思っていただけたら…詠んだ甲斐があるなとも思いますね
画像7枚目が山頂…見ての通り石碑がそこにあり、説明文があり何やら書いてありました。古事記についてだそうですが、私自身その作品には全然詳しくないし、小難しい文章にしか見えなかったので、軽く目を通して…「おそらくここに来るのは一期一会…ここまで辿り着けたことに感謝します😆」と呟きながら、石碑の一部に手をついて自分なりの別れをしました
帰りは男坂…(行きの)女坂とは異なる…急だけど短いルートを歩きました🚶 確かに急なため、爪先に負担がかかり、勢いよく進みすぎて転ばないようにバランスをとりながら…の下山。御城印の販売時間に間に合わせるためここを選択…確かに女坂よりも早く麓に戻ることができたので、こっちにして正解でした
パークセンターに戻り、それから観光センターに移動。調べたとおりここに御城印がありました。300円で購入し御城印帳に収納。画像8枚目の左側が今回の…津久井城の御城印なのです
ちなみにこの津久井城…最初は三浦氏の一族である津久井氏によって築城されたと(詳細は明らかではないが)伝承されており、それから(小田原を中心に一大勢力を誇っていた)北条氏の支配下に…1590年の秀吉による天下統一の後は徳川の支配下に入り、1664年に城としての役目を終えて廃城…になったようです
多分この城もあくまで小高い山の上に作られた防御施設…天守に該当するものは無かったと思われます。記録に詳細が出てくるのは15c末…当時の城には天守は無いのがスタンダードだったから当然と言えばそうですよね
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2023/02/05 07:06
2022/05/10 20:59
橋本駅北口から城山登山口まで,路線バス。 (2022/05/08 訪問)
城山登山口バス停から,歩道橋を渡ると登城口があります。しばらく進むと男坂か女坂かの選択に迫られます。天候は良いし,足場もぬかるみはないので,男坂を避ける理由は見当たらず。気温はあまり上昇せず,山城登城条件は最高と言えました。
帰路は荒句登山道を選択しましたが,バス時間まで30分以上あったので,城山登山口バス停まで歩きました。
都会の喧騒から逃れるには,手ごろな場所ではないかと思います。
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分類・構造 | 山城 |
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天守構造 | 不明 |
築城主 | 筑井氏 |
築城年 | 鎌倉時代 |
主な改修者 | 津久井三郎 |
主な城主 | 筑井(津久井)氏、内藤氏 |
廃城年 | 天正18年(1590) |
遺構 | 曲輪、石垣、堀切、竪堀 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 神奈川県相模原市緑区根小屋 |
問い合わせ先 | 相模原市文化財保護課 |
問い合わせ先電話番号 | 042-769-8371 |