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自然地形を利用した中枢部と人工的な外郭 (2018/09/29 訪問)

伊勢亀山城は、豊臣秀吉配下の岡本良勝が1590年から戦国期の城を母体に再築しました!
その後、1636年に本多俊次が入城後に行った修築によって近世城郭としての体裁を完成させています!
伊勢亀山城の素晴らしさは、自然地形を活かして構築された本丸・二の丸・西出丸の北辺土塁と本丸北の外堀跡ですね!
三重県で唯一創建時の位置に現存する本丸多門櫓は、全国でも数少ない多門櫓の遺構です!
また、二の丸北帯曲輪が見事に復元整備されています!
本丸南東隅の天守台には、三重の天守が
建てられていました!
堀尾忠晴によって取り壊されたが、天守は再建されなかった!
天守喪失後の16[1年、本多俊次の改修の際に、本丸北隅の土塁上に三重櫓が建造されました!
唯一の三重櫓であったため、天守の代用をなしていたと考えられます!
この三重櫓は、明治以降に解体されており、現在は堀から立ち上がる高い土塁が当時を偲ばせております!
伊勢亀山城の主要な門のうち、城外面した4ヵ所(大手門・青木門・江ケ室門・黒門)は、外側の一の門を省略した枡形門となっています!
一方で城なの中枢部に出入りする二の丸、西出丸の3ヵ所の門(太鼓門・石坂門・西出丸門)はいずれも一の門を備えたより厳重な枡形門になっており、伊勢亀山城の防備に関する意識が如実に表れています!

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ヒデタカ

浜田城跡 (2018/09/22 訪問)

歴史ある海と川に面した山陰の城最前線ですね!

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にのまる

国宝 (2018/09/24 訪問)

2013年12月以来の訪城。あまりの人で何も見えず。
階段や廻縁でスリルを味わえるはずなのに、天守内も人が溢れかえっていて、数珠つなぎの階段は全然怖くない。
初めて来た人が天守の魅力にとりつかれる!という状況では残念ながらない感じ。
パンフレットは、入り口に置いてあるものの他に、観光案内所にデザイン違いのものがあります。
城下町にもたくさんの人。最近の若者は(ついに言ってしまった😅)和の雰囲気が好きなのですね^_^

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ヒデタカ

三宅御土居跡 (2018/09/22 訪問)

まだまだ史跡の保存途中みたいですね(^^;;
詰城の七尾城と合わせ観ると、なかなか良いですよ!

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ヒデタカ

七尾城跡 (2018/09/22 訪問)

国史跡です!
素晴らしい城跡で巡るのに案外時間がかかりますよ(^_^)

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丹羽長重

忍の浮城 (2018/09/23 訪問)

小田原攻めで石田三成が水攻めを行った際、なかなか沈まなかったことから浮城と呼ばれた忍城。今は土塁の一部と模擬天守、門があります。僕はスタンプを押しに2度目の攻城。パパパッと見てきました。天守は外から見ると立派な三重天守ですが、中は………都会のビルですね……😅池には鯉が泳いでいて風情がありました。
さらに忍城にはおもてなし甲冑隊があり、お城のことならば聞いてみるといいですよ。
また、お城には郷土博物館など見所が多いのでぜひ来てみてください。

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まっぴー

子供も楽しい 小諸城🏯 (2018/10/07 訪問)

遺構度 ★★★★☆ 復元度 ★★★☆☆
施設充実度 ★★★★★ 楽しさ度 ★★★★☆

小諸城に行って来ました!櫓門や天守台、お堀の遺構があったり、昔の街並みが残っていて、昔にタイムスリップしたようでした!
本丸、二の丸などの遺構もあり、お城好きにはいいお城だと思います!あまりメジャーではないけど、100名城に選ばれただけあるなと思いました!
そして、大人にも子供にも嬉しい施設があります!
それは、遊園地と動物園です!
子供連れにはとても嬉しい施設ですね!お城を見てから遊ぶことができるので、より思い出ができると思います!
思った以上にいいお城でした!
みなさんも行って見てください!

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まっぴー

難攻不落の真田の居城 上田城🏯 (2018/10/07 訪問)

遺構度 ★★★★☆ 復元度 ★★★★☆
施設充実度 ★★★★★ 楽しさ度 ★★★☆☆

上田城に行って来ました!少し駐車場待ちをするほど、混んでいました!櫓や櫓門、博物館もあり、上田のことや、真田のことを知ることが出来ました!
少し残念だったのは、城址公園というより、子供が遊ぶ普通の公園になってしまっていたことです!子供連れならいいけど、城を求めてきている人には少し物足りないかもしれません!
でも真田を知りたい人にはぴったりです!
櫓や櫓門、博物館は共通券で、大人は500円、子供は150円です!上田に来たら寄って見てください!

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まっぴー

初めての現存天守 松本城🏯 (2018/10/07 訪問)

遺構度 ★★★★★ 復元度 ★★★☆☆
施設充実度 ★★★★★ 楽しさ度★★★★★

初めての現存天守である松本城に行って来ました!
普段以上にワクワクしました!
天守が見えると、これが現存天守か!と頭の中は、すごい!の1言でした!外から見てもとてもかっこいいけど、中は更に現存天守に来たことを実感させてくれます!
ですが、とても階段が急なので、お年寄りの方などには少し危ない気がしました!天守の中を散策するのに、すごく足を使います!なので、来る時は足が大丈夫な時に来ることをオススメします!
行った日が蕎麦のイベントと重なってしまったせいか、混んでいました!来る時は朝から来ることをオススメします!
天守の中では、鉄砲の展示、博物館では松本についての展示をしていました!見どころは満載です!
料金は、大人が610円、子供は300円です!
すごくオススメです!是非1回は来て見てください!

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再訪▪城廻りvol.1 赤穂城① (1987/08/10 訪問)

赤穂城天守台より見た本丸内の様子です。昔と現在のの同じアングルの写真です。

36年前に行ったときは、本丸内にあった赤穂高等学校は城外に移転し、あとは校舎の取り壊しを待つのみという状態でした。

現在は、本丸内が全面発掘され、御殿間取りは絵図より、坪庭小池泉や御殿南の大池泉、跳橋門石垣、学校時代は通用門になっていた厩口門は発掘成果と絵図より、本丸櫓門は発掘成果▪絵図▪古写真により復元整備されています。

昔とは見違えるような、立派な歴史公園になっていました😍この整備された庭園は二の丸庭園と共に江戸時代初期の大名庭園「旧赤穂城庭園」として国の名勝に指定されています。

あと、赤穂城には7㎞も先から本丸まで上水道を引いていたというのにはビックリしました。もちろんこの上水道施設も復元されています。

本丸櫓門下には100名城スタンプが置いてありました。有料ですが、ここで赤穂城の詳しいパンフや観光マップなど一式もらえます🉐

ちなみにここにいるボランティアガイドさんは、赤穂城の突っ込んだ質問にも丁寧に説明してくださるとても研究熱心な方で、ガイドさんの話を聞いたあと、すぐ岡山県の井原市まで飛ぶことになろうとは思ってもみませんでした㊙おかげさまでとても有意義な城廻りができました😊

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にのまる

王道で攻めた。 (2018/09/24 訪問)

駅に降り立った数人が揃ってバス停に向かい、停車しているバスに静かに乗り込む。バスはすぐに発車。地方の山城巡りではよくある光景です。ここでもたもたして乗り遅れると路線バス旅の太川さんや蛭子さんのように延々と歩く羽目になってしまいます。
もちろんみんな同じバス停で降り、先頭のひとりが道を間違えるとみんなで間違える!
ここでは、戦国ミュージアムに向かうはずが左側の階段を降りた建物の方にみんなで流れて行ってしまいましたが、それもまたいい思い出。すぐに修正できたし。
ひがしみの山城めぐりの最後。昨年のお城EXPOのブースでお話を聞いたり資料やクリアファイルをたくさんいただいたりしていつか制覇したいなと思っていた願いが叶い、ひとつ大人になった気分です(←盛り盛り)
破城の痕跡が随所に見られ、破壊された石があちこちに転がっていたり、裏込石(多分)が無造作に積んであったりする中でも、虎口や建物跡の礎石はしっかりと残っていて、中でも天守台の隅石がしっかりと残っていたのは感動でした。
大手から入り、搦手から抜けたのですが、うらじろの小径も雰囲気があってよかったです。米倉跡を通って抜けた先の大きな土塁がトドメをさすかっこよさでした。

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カルビン

罰ゲーム的には松尾古城より上かも (2017/11/25 訪問)

いろいろあって、ほぼ1年ぶりに山城にトライする事に。
場所が家から近く、まだ攻略してなかった戸倉城を選びました。

JR武蔵五日市駅からバスで西戸倉で下車し、事前調査で登城口のある光厳寺から攻略しました。
・・・この選択が罰ゲームの始まりだった訳で・・・orz

尾根道に出たところから登りが急になり、最後本丸手前でどこを登れば良いかわからない急斜面の岩肌が・・・
他に道は無く、しかも上から複数人の笑い声が聞こえてくる為、覚悟を決めて三点保持で登り。。。
(ここを撮影する余裕も無かったとですw)
高さにビビりながらなんとか登り切り、戸倉城本丸に到着しました (;>Д<)=3
本丸にいた登山客は海外からの方々だったんですが、日本語で「こんにちわ」って言って下さったものの、ありえない方向から自分が現れたのでちょっと引いてましたw
自分もアドリブ効かずに普通に日本語で挨拶してしまい・・・余裕無かったなぁ・・・

思えば道中、遺構がどこにも見当たらなかったです。。。登りきつ過ぎて見落としていた可能性もありますが・・・


で、帰りは勿論違うルートで・・・しかもまだお城の遺構見て無いしw
でも結局これ!という遺構は見つけられず(曲輪が何ヶ所かくらい)、物見台と思われる場所は写真がブレて使い物にならずと踏んだり蹴ったりな結果に。
ある意味松尾古城登城の時よりも罰ゲームでしたw

最終的に解説版のある神明社に下山しましたが、戸倉城攻略の際はコチラから登る事をオススメします。
但しこちらも急坂(ロープ張ってあったヶ所もありました)なので、十分に下準備して登りましょう。


西戸倉バス停、実は光厳寺より神明社の方がずっと近かったのを知ったのはバス停に向かう途中でした(なーーんて日だ!w)

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チェブ

町田市の小山田城の帰り道。 (2018/10/06 訪問)

東京都町田市の小山田城をご存知ですか?
武田 信玄公の家臣小山田 信茂のご先祖様のお城です。
今、北条家の話が面白く、扇谷上杉氏や山内上杉氏が「長尾影春の乱」で守りの拠点にしていたらしいんです。
現在は大泉寺というお寺です。城跡に入るのは許可が必要です。
とても良い城跡なんですが、残念な事に「城びとのお城をさがす」に入ってません。
まっ、たくさんお城あるからドンマイと思い八王子市の片倉城に寄ると駐車場が満車で停められません!
入口の写真だけ載せておきます。
またしてもドンマイです。

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赤い城

徳満寺や利根町役場が跡地 (2018/10/06 訪問)

利根川に沿った低丘陵に立地。
本丸跡には徳満寺が建っています。
境内に説明板や石碑あり。
徳満寺の裏には土塁や空堀が残ります。

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赤い城

遺構があるらしいけど・・・ (2018/10/06 訪問)

民家が建つエリアで城跡がどこなのかよく分かりませんでした。
石碑や説明板もありません。

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カルビン

ハイキングウォーキング (2014/12/27 訪問)

この時期病み上がりで、リハビリの為によくウォーキングをしてました。
その為、この日はリハビリの仕上げのつもりで山登りとなる辛垣城を攻略する事に。
青梅線二俣尾駅からひたすらハイキングコースを進み(途中ハイカーと何度もすれ違い。。。人気あるコースらしい)・・・途中道間違える始末ww
やっと登城口に着いた時にはかなり良い汗書いてました(ーωー;)

急坂の登った先に岩をくり抜いたような虎口と思われる場所をぬけると主郭に到着。
実はこの入口、過去石切り場として岩場を削り取られたのであって、辛垣城の遺構はほとんどその石切りの影響でなくなっております。
登城口付近には堀切等遺構はありますが、気付かない人が多いみたいです。。。むしろ砕石場の形状を遺構と間違える方が多いみたい。
(自分もそうとしか見えなかった(悩))

主郭にある解説版にいたずら書きがあります(それに対する反論もw)が、わざわざマジック持って行って書くのはいかがなものかとw
モラルが無い人増えている事、凄く残念に思いますorz


ちなみに麓にある海禅寺は城主・三田氏の菩提寺で、お墓があります。

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カルビン

電車待ち覚悟で (2014/11/15 訪問)

千葉県の南端は内房線館山、外房線安房鴨川の間区間、どっちつかずなのか非常に電車の本数が少ないので、稲村城の最寄り・九重駅の行き帰りの時刻表を事前に確認しておきましょう。

駅から10分もかからずにお城の入口に到着します
千葉県南部にあるお城に良く見られる、岩場をくり抜いたと思われる堀or切通し抜けると城域に
里見氏特有の工法なんでしょうか?
(その道に重機の跡が残っててびっくりw)

城域なのかどうか判断に迷う南エリアと、主郭のある北エリアに分かれ、主な遺構は北側に集中
遺構は土塁・堀切がメインで、主郭のところに虎口と曲輪があります。
道も比較的歩きやすく整備されているので、歩きなれていない方でもそんなに苦労しないと思います。

ただ城域至る所が私有地の様に見受けられるので、あまり挙動不審な動きはされないようが宜しいかと(汗)

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埼玉城城主

レンタカー行って楽チンでした (2018/07/18 訪問)

電車とレンタカーと迷いましたが、空港からレンタカーを使用して向かいました。地方都市の渋滞を甘く見てはいけませんね。素直に高速に乗ればよかったです。距離も結構ありましたが、脇本城→秋田城→久保田城の三連戦を周りきりました。

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小城小次郎

諏訪原城

武田か徳川か(徳川らしいが)、そんなことはどうでもよくて。丸馬出の迫力にただ圧倒される、そんな見方でよいと思う。

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若狭を守護した国境の山城 (2018/09/24 訪問)

北陸への旅の最終日の最後に佐柿国吉城を訪問致しました!
国吉城は、若狭守護武田義統の有力武将である粟屋勝久が、越前との国境に近い三方郡佐柿にあった古城跡を利用して1556年に築いたと云われています!
1570年4月、勝久は、朝倉氏と敵対する織田信長と結んで、織田の軍勢を迎えた!
国吉城は、朝倉攻めの本陣とされ、織田勢は敦賀に攻め寄せたが、浅井氏の裏切りによって撤退を余儀なくされた!
織田信長亡きあと、柴田勝家と豊臣秀吉の対立から、若狭国を治めていた丹羽長秀は、柴田勝家の侵攻に国吉城を改修せよと勝久に命じています!
その後、浅野氏、木下氏、京極氏の城代支配が続き、その後酒井氏がこの地を領して明治維新に至った!
国吉城は、1634年、酒井忠勝が小浜藩主となると廃城とされ、翌年、若狭東部統治の拠点としては佐柿町奉行所が、また領内巡検の休息所としての御茶屋屋敷が城跡の南に新築されました!
伝二ノ丸(出丸)には、喰違虎口があり、本丸には、本丸虎口が有りました!
その他に、ニノ郭、三ノ郭、四ノ郭、五ノ郭、六ノ郭が有りました!
国吉城は、標高およそ197mの城山頂上部を本丸として、北西屋根上にさらに5段の曲輪が連なります!
また、頂上部から西に派生する尾根には、高土塁と喰違虎口をもつ伝二ノ丸があり、南麓に城主居館が広がる!

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