栃木県足利市の百名城の一つ足利氏館(鑁阿寺)です。源義家が新田・足利の領主となり、義家の子義国の長男義清が新田氏となり、二男義康が足利氏となり12世紀半ばに義康がこの地に居館を構えたとされます。義康の子義兼は1196年館の内に持仏堂を建立、自ら剃髪して鑁阿と称し、これが鑁阿寺の始まりであり、その後、13世紀頃に鑁阿寺は足利氏の氏寺となり、足利氏は両崖山城を本拠としたとされます。14世紀前半新田氏と足利氏は鎌倉幕府を滅ぼす立役者となりますが、その後南北朝で敵味方に分かれ争う間柄となり、のちに足利氏が室町幕府を開いています。鑁阿寺は四方を土塁と水堀で囲まれ、四方に門があり、鎌倉時代の武士の館の風情が色濃く残っています。また、隣接する足利学校にも土塁と水堀があります。
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