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刑部

神社が城址 (2019/03/03 訪問)

ここも細い道路を行くと神社があり そこが城址です、入口の左側に駐車場があります。

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刑部

土塁の上に (2019/03/03 訪問)

土塁の上にしっかり説明板と立派な城址の石碑があります。主要道路から狭い道路を行くと公園と駐車場があります。

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あじふらい

吉田城 (2018/04/06 訪問)

現在は公園として整備されています。
地元にあるため公園には頻繁に来ていましたが、城めぐりを開始後は始めて来ました。石垣、堀が残っています。

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あじふらい

長篠城 (2018/03/10 訪問)

幼いころから何度も来ている長篠城へ行きました。設楽原歴史資料館、武田勝頼本陣跡医王寺にも足を延ばしました。

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じゅんじん

印旛沼公園 (2019/02/24 訪問)

県立公園となっていて印旛沼が見渡せます。堀土塁が残っています。

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まーP

二重竪堀? (2019/03/02 訪問)

竪堀の底からと高玉城遠景。

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じゅんじん

みどころたくさん (2019/02/24 訪問)

うれしくなっちゃいます♪ただ駐車場までの道路は狭いので注意してください。中央公民館にはパンフレットが多数あります。

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まーP

西館 (2019/03/03 訪問)

東館と言われる願成寺には行ってません。

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小城小次郎

小泉城

片桐氏の城だがそれ以前、筒井氏と何度も死闘を繰り広げた大和国衆の小泉氏が拠点とした場所。小泉城と筒井城はともに大和郡山市内。直線距離3kmの至近で死闘を展開する時代とは・・

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城好きのメガネ

「伝源経基館跡」 (2019/03/02 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
平安時代に源経基が築いた館とされているが、出土品や史料が少なく伝承にすぎない。現在は、土塁や空堀が良好に残されている。


<アクセス>
JR鴻巣駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「県指定旧跡 寿能城」 (2019/03/02 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
寿能城は岩槻太田氏に敵対していた後北条氏、特に川越城への備えのために岩槻城の支城として1560年頃築かれたとされる。現在、城址の遺構は残されていないが、櫓台跡に潮田出羽守資忠の墓碑がある。1590年、小田原征伐の際に落城した。

<アクセス>
東武野田線 大宮公園駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「土呂陣屋」 (2019/03/02 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
江戸時代の土呂村領主・旗本 初鹿野氏が地蔵堂付近に陣屋を築き、幕末まで知行した。初鹿野昌久は甲斐国武田の家臣であったが、主家滅亡後、徳川家康に仕え、土呂村の領主となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東武野田線 大宮公園駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「鴻巣市指定史跡 箕田館」 (2019/03/02 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
箕田二号墳の南側一帯は、箕田館の推定値であり『武蔵国郡村誌』には武蔵守源仕及び妻子の墓とする古記述がある。しかし、明確な根拠はなく、伝承にすぎない。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR北鴻巣駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「丸子城」 (2019/02/09 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
丸子城(日枝神社)には川崎市重要歴史記念物に指定された古文書が三通所蔵されている。二通は後北条氏が発給した、いわゆる「虎の印判状」でうち一通は北条氏直が丸子城の住民に年貢の納入を命じた文書である。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR武蔵小杉駅 徒歩15分

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雲海 (2019/03/01 訪問)

 本丸の北側は急峻な崖で南側に曲輪を配置しています。石垣などよく残っています。城域も整備されていて歩きやすい。こんな山頂でも井戸があり水は確保されていましたね。朝、早かったために霧が出ていました。本丸から見ると雲海が広がっていました。

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shin

山奥にひっそり 井平氏居館跡(井平城) (2019/02/19 訪問)

初投稿です。
浜松の山城 三岳城に行く途中で見つけました。
思った以上に遺構がよく残っており、地元の保存会の方々が頑張ってくれたのだと思います。
井伊谷 井伊家七代目の時代の1254年に、井平直時が分家して祖となり、井伊谷領の北に館を構え、北側の山に井平城を築城したといわれています。
井伊家の親戚筋にあたる故に、大河ドラマになった女城主「直虎」とも濃い繋がりがあったそうです。
しかし1350年余り後に子孫が関ヶ原の合戦で討死して断絶、そしてここも廃城になったようです。
(しっかりした資料がないので間違ってるかも…)
お城は、舌状になった大地を曲輪や切岸で分断し、敵の侵入を防ぐよう作られてます。
竹藪の中にあるので、夏場は蚊がすごいかもしれません。
想像図の居館部分には民家が建っており、土塁などを伺い知る事はできませんが見る価値はあると思います。
公共交通機関は見当たりませんでしたが、駐車場所もあるので車で行くのが一番いいかもしれません。

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利光氏の城 (2019/03/01 訪問)

 利光氏の城で戸次川の合戦にも登場します。山頂の本丸を中心に東に二の丸、三の丸、北に穀倉跡、ノロシ台跡などの曲輪があります。見所は本丸や穀倉の曲輪、三の丸等の周囲に見られる畝状竪堀です。本丸の南に見られる畝状竪堀が見やすいと思います。また本丸南に見られる三条の堀切も見所のひとつです。
今回は時間の関係でタクシーを利用しました。二ノ丸まで車で登ることができますが、未舗装で道幅も狭いので注意が必要です。熟練の運転手の方でしたのでスムーズに到達できました。

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shin

山奥にひっそり (2019/02/19 訪問)

初投稿です。
浜松の山城 三岳城に行く途中で見つけました。
思った以上に遺構がよく残っており、地元の保存会の方々が頑張ってくれたのだと思います。
井伊谷 井伊家七代目の時代の1254年に、井平直時が分家して祖となり、井伊谷領の北に館を構え、北側の山に井平城を築城したといわれています。
井伊家の親戚筋にあたる故に、大河ドラマになった女城主「直虎」とも濃い繋がりがあったそうです。
しかし1350年余り後に子孫が関ヶ原の合戦で討死して断絶、そしてここも廃城になったようです。
(しっかりした資料がないので間違ってるかも…)
お城は、舌状になった大地を曲輪や切岸で分断し、敵の侵入を防ぐよう作られてます。
竹藪の中にあるので、夏場は蚊がすごいかもしれません。
想像図の居館部分には民家が建っており、土塁などを伺い知る事はできませんが見る価値はあると思います。
公共交通機関は見当たりませんでしたが、駐車場所もあるので車で行くのが一番いいかもしれません。

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戸次川の合戦 (2019/03/01 訪問)

 大野川沿いの道路に案内標識が出ていて車でも行くことができますが、道幅は狭く急峻な所もあります。戸次川の合戦で豊臣側の拠点となった城址ですが遺構はありません。

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海に浮かぶ城 (2019/02/28 訪問)

 JR臼杵駅から徒歩にて登城しました。今は埋め立てられていますが、もともとは丹生島という島に作られた城址で周囲は断崖に守られていました。本丸と二ノ丸の間に石垣で固めれた堀があり、現存する櫓は2基です。卯寅口門脇櫓の下に井戸がありますが、海の中にあって真水が確保できたのですね。できれば海の中に浮かんでいる臼杵城を見てみたかった。

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