かなくぼじょう

金窪城

埼玉県児玉郡

別名 : 金久保城
旧国名 : 武蔵

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肉球

住宅街の中の城址 (2023/12/25 訪問)

平安時代末期に加治氏によって築かれたようです。
その後新田義貞の家臣畑氏、管領上杉氏や北条氏に属した斎藤氏が
城主となっていたようですが滝川一益によって落城。
徳川家康が関東入府時に川窪信俊が陣屋を築き
元禄の頃まで使用していたようです。
城址中心部には金窪城公園があり車も止められます。
現地案内板には土塁が4箇所確認できるとされてますが
どれがそれにあたるのかは分かりません。

川窪信俊は武田信玄の甥で養母であった信玄夫人を
近くの陽雲寺に住まわせたようです。
陽雲寺には土塁らしきものとお墓が残っています。

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イタさん

田園の集落の一区画に (2022/07/07 訪問)

上里町の歴史散策のコースになっていて、中山道脇に案内がある。集落内の細い道を奥に進むと、一段高くなった場所に城跡の石碑等がある。後ろもやや高く土塁跡に思える。案内板では3ヶ所(別の案内板は4ヶ所)の土塁跡が確認できたと記されている。城跡はほぼ民家・公園・田畑になっている。北と西には清水が流れ・・・一辺200mほどの城域だったらしい。周囲には黛神社・金窪神社などがあり、小さいながら静かで趣がある。

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赤い城

武蔵と上野の境目 (2022/06/04 訪問)

神保原駅から徒歩で25分くらい。
金窪城址公園周辺が城跡です。
公園の前に石碑と説明板が立っています。
これが土塁のようにも見えますが遺構なのかは?
公園の北側に忍保川が流れています。
周辺を歩いてみましたが明確な遺構は分かりませんでした。
築城は新田義貞と云われていますが戦国時代には神流川の戦いで滝川一益が北条氏と戦った城です。
結果大敗し、落城してしまいました。
今はお年寄りがグラウンドゴルフを楽しむ憩いの場となっていました。

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にのまる

土塁は。 (2022/04/10 訪問)

18きっぷ5回目の2城目
城址碑と説明板、それぞれ古いものと新しいものがありました。
昭和10年に県史跡に指定されたそうなので古い方はそのころ設置されたものでしょうか。古い説明板には3か所、新しい方には4か所の土塁が残されているとありました。「大系」では2か所です。最後の写真はそのうちのどれかかもしれないと思って撮りましたが確証はありません。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 加治家季
築城年 治承年間(1177〜1181)
主な城主 加治氏、畑時能(新田氏家臣)、斎藤氏、川窪氏
廃城年 元禄11年(1698)
遺構 土塁
指定文化財 県旧跡(伝金窪館跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 埼玉県児玉郡上里町金久保1626-4他
問い合わせ先 上里町出土文化財管理センター
問い合わせ先電話番号 0495-33-2682