寿能城は岩槻城の支城として永禄3年(1560)ごろに築かれたとされています。かつての見沼が三方を囲み自然の要害であったとされ、寿能公園一帯がかつての本丸跡で、墓碑の建っている塚が物見櫓の跡と言われています。
岩槻の太田資正の子である潮田出羽守資忠の居城とされ、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城したとされています。近くにある大和田公園(大宮第二公園?)にも遺構があるというので、一応見に行ってみましたが、はっきりとわかる遺構は見つけられませんでした。土塁といえば土塁に見えないこともないし、違うと言えば違うし・・
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