こいずみじょう

小泉城

奈良県大和郡山市

別名 : 片桐城、(小泉陣屋)
旧国名 : 大和

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①小泉城址碑
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:小泉城 (2024/09/30 訪問)

今日は攻城予定の城跡が多いので、ホテルでの朝食は抜きで出発しました。(王寺駅から大和小泉駅を目指します)
大和小泉駅から徒歩15分弱で、小泉神社入口(34.624576、135.755266)に着き、その後、復興櫓(34.627382、135.754358)➡道路沿の城址碑(34.626638、135.757743)の順番で巡りました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代に小泉氏によって築かれました。
小泉氏は大乗院方衆徒で、1455年(康正元年)畠山政長方の筒井氏が没落した後、官符衆徒につき、その後越智方について筒井氏と対立しましたが、 1459年(長禄3年)筒井順永の攻撃をうけ落城しました。
1580年(天正8年)以後、羽田長門守が陣屋を置いていましたが、1601年(慶長6年)片桐且元の弟貞隆が15,000石を領して小泉に入部し陣屋を構えました。
2代貞昌は石州流茶道の開祖で、現在でも高林庵として続いています。

小泉神社の表門は旧小泉陣屋の陣屋門で、本殿は室町時代の建築です。
復興櫓付近に高林庵がありますが、朝早く閉まっていて、中に入れませんでした。
道路沿の城址碑の奥に小さな公園があり、そこに陣屋の石碑と案内板があります。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=筒井城を目指す為、小泉口バス停から奈良交通バスで筒井駅バス停に向かいました。

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しんちゃん

地元の方の立ててくれた案内板がある。 (2024/02/23 訪問)

小泉城はかつて大乗院宗徒であった小泉氏によって築かれた城で、小泉館と記録には有りますが、実際には城郭としての機能を持っていたようです。長禄3年(1495)に筒井順永に攻められ一族の多くが切腹して果て、城は焼却され、その際に大和中の郷民が動員されたことで城郭としての規模を持っていたと推測されています。文明7年(1475)にも落城し、破却の憂き目に会いますが、元和9年(1623)片桐貞隆が陣屋を構えて入ります。これも陣屋とされていますが、内堀と外堀を備えた城郭に近い陣屋だったようです。ただし石垣造りではなく塀囲いだったようです。
住宅地に囲まれた主郭の東部に城址碑が立てられ、この東側に内堀があったようです。城址碑の周辺には地元の方が立ててくれた案内板があり、かつての城域や移築された建築物についての情報が記されています。城址碑の南西にある小泉神社には陣屋の追手門が移築されていました。貴重な情報ありがとうございます。

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片桐貞隆 (2022/06/23 訪問)

 JR大和泉駅から徒歩にて登城しました。石碑2カ所、移築門(小泉神社、金輪院)等を見て回りました。

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ぴーかる

小泉城(片桐城) (2022/05/08 訪問)

【小泉城】
<駐車場他>小泉神社駐車場
<交通手段>JR大和小泉駅から徒歩

<見所>移築門・池堀
<感想>日帰り列車で奈良盆地1周ちょこ城巡りの旅1城目。小泉城の築城年代は室町時代で築城主の小泉氏は興福寺衆徒であった。小泉氏は長らく筒井氏と反目していたが天文年間に血縁関係となり1万4千石が与えられる。小泉氏は筒井定次の伊賀移封に伴ってこの地を離れたそうです。関ヶ原後は片桐且元の弟片桐貞隆が小泉城に1万5千石で入城し小泉藩を立藩する。大坂の陣後は1万6400石に加増され、片桐氏は江戸時代途中分地等で少し領地を減らすが明治維新まで小泉藩主として続きました。
 JR大和小泉駅から徒歩で富雄川を見て片桐城跡碑と小泉城跡碑のあるポイント→復興櫓・薙刀池・お庭池→小泉神社と移築門の順で巡った。西門見落とした。小泉神社の移築門は細くて高い高麗門です。西側の池堀や城跡碑のある所から少し高くなっている段や移築門など色々巡って楽しめる城跡です。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 不明
築城主 小泉氏
築城年 室町時代、元和9年(1623)[陣屋]
主な改修者 羽田長門、片桐貞隆
主な城主 小泉氏、片桐氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 横堀(水堀)、移築門
再建造物 櫓、石碑、説明板
住所 奈良県大和郡山市小泉町2234-53
問い合わせ先 大和郡山市役所
問い合わせ先電話番号 0743-53-1151