本庄城は弘治2年(1556)に本庄宮内少輔実忠によって築かれたとされ、利根川と烏川に削られた河岸段丘の上に築かれています。北側を小山川(現・元小山川)が流れ、南東は久城堀で切断されるという天然の要害でしたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻めによって落城しました。元小山川の南側一帯、東の城下公園の南から西の市役所あたりまでが城址だったようで、中央の郭跡には城山稲荷神社があり、城址碑や案内板が設置されています。
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2024/12/07 08:03
城山稲荷神社 (2024/05/05 訪問)
本庄城は弘治2年(1556)に本庄宮内少輔実忠によって築かれたとされ、利根川と烏川に削られた河岸段丘の上に築かれています。北側を小山川(現・元小山川)が流れ、南東は久城堀で切断されるという天然の要害でしたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻めによって落城しました。元小山川の南側一帯、東の城下公園の南から西の市役所あたりまでが城址だったようで、中央の郭跡には城山稲荷神社があり、城址碑や案内板が設置されています。
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2024/11/28 07:05
五十子陣 埼玉県本庄市 (2024/11/16 訪問)
東京出張を後泊し、どこか城行こうかな、と。
登録城の再訪でもよかったのですが折角なので未訪問の未登録城へ。
本庄駅から徒歩40分、国道17号線沿い、てんぐ茶屋という飲食店の辺りが本丸跡となります。
案内板と本庄かるたの石碑が設置され、奥に進むと説明板が立っています。
縄張図をみると説明板がある稲荷の背後が堀のようなので降りてみました。
大分改変されているとは思いますが堀跡のイメージが湧いてきます。
国道を挟んだ向かい側の小山川水循環センター周辺までの広大な城だったとされます。
享徳の乱で関東管領の上杉氏が居城とした城です。
以後、この地を巡る戦いが繰り返され、長尾景春の乱で攻め落とされ廃城となりました。
この後、深谷まで歩くことにしました。
最近、登る以外は歩いていなかったので良いトレーニングになりました。
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2024/04/24 18:29
2022/08/12 17:27
本庄台地末端の城跡 (2022/07/07 訪問)
本庄台地北東の末端に、弘治2年(1556)に本庄実忠によって築城され、北は小山川、南東は久城堀を要害とし、東は八坂神社、西は旧簡易裁判所(現市役所付近)辺りまでの城域だったと案内にある。山内上杉氏・後北条氏と変遷し、秀吉の関東攻めで落城。家康の関東入国により小笠原氏が城主となるが、慶長7年(1612)に古河に移封し廃城と、案内に記されている。城山稲荷神社から東は城下公園で、公園から八坂神社が建つ台地上は数mの高低差があり、利根川などによって出来た河岸段丘を利用している。市役所裏辺りに木々が多く何か遺構があるかと思うが、周囲は私有地であり公園・神社境内・参道以外は入れない。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 本庄実忠 |
築城年 | 弘治2年(1556) |
主な城主 | 本庄氏、小笠原信嶺 |
遺構 | 土塁 |
指定文化財 | 市史跡(本庄城跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 埼玉県本庄市本庄3-5 |
問い合わせ先 | 本庄市文化財保護課 |
問い合わせ先電話番号 | 0495-25-1186 |