ひうちじょう

燧城

福井県南条郡

別名 : 燧ヶ城
旧国名 : 越前

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虎口の石垣
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ぴーかる

燧ヶ城 (2022/11/27 訪問)

【燧城】
<駐車場他>新羅神社駐車場
<交通手段>車

<見所>堀切・枡形虎口・石垣櫓台・横堀
<感想>燧城は燧ヶ城ともいい、福井県の公式サイトと現地説明板よると「源平盛衰記」1183年に木曽義仲が仁科守弘に命じて平維盛軍10万を迎え撃つために築城しました。南北朝時代の1336年には今庄入道浄慶の居城となり北朝・足利方の将となり南朝方の杣山城~金ヶ崎城の連携を絶ちます。戦国時代の1573年には下間頼照と一向一揆勢が織田信長に対抗し立て籠もりますが敗れます。その後は柴田勝家の持城となったようです。
 登山口は北麓の今庄観音堂の左脇にあります。登山道は整備され登り易く15分程度で南東の虎口に着きます。城跡は南東から北西にかけて尾根を切り開いた直線状の連郭で北西側の曲輪以外の曲輪は堀切で仕切っています。南東の虎口前に曲輪法面に石垣が残る馬出しの曲輪があります。堀切から回り込んで横堀になっています。その先が内枡形になっていて仕切り石垣が良好に残っています。その先が長い曲輪になっていて麓側に長い土塁があります。主郭虎口の石積み遺構も良好に残っています。主郭は比較的狭く櫓台かまたは一向衆の城でもあったので御堂跡かの方形の石垣台が2つ残っています。主郭横堀は大きく、巨石が多く転落しているので石垣か何らかの遺構であったろうと思われます。主郭北西側は大堀切で土橋のサイドが石積みになっています。大堀切はそのまま大竪堀になっていて見応えあります。主郭の北西側の曲輪は広く削平され、そのまま北西方向に尾根が狭くなっていきます。北西側にかなり薄くなっていますがL字状の土塁が2か所防御してそのまま何となく遺構がなくなっていて搦手側は防御が薄いです。道はそのまま数キロ先の藤倉山に繋がっているようです。
 JR今庄駅から登城口まで徒歩5分の距離で利便もいいです。私好みの山城+石垣、良好に残るダイナミックな遺構にかなり興奮しました。お勧めの城跡です。

<満足度>◆◆◆
<グルメ>福井そばである今庄そばがお勧めです。国道沿いの「おばちゃんの店」に行き鰻丼のセットをいただきましたが、駅を中心にそば屋が数件あるのでどこに行っても美味しいでしょう。

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朝田 辰兵衛

賤ヶ岳の合戦では… (2019/06/07 訪問)

柴田勝家が自らこの城を守ったそうです。『源平盛衰記』には「北陸道第一の城郭」と記されています。
標高:270m,比高:140m。新羅神社登城口から登城し,観音堂登城口から下山しました。

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真下 昌景

燧城 (1999/05/01 訪問)

登城口が分からず暫くウロウロしてました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 仁科守弘
築城年 寿永2年(1183)
主な改修者 柴田勝家
主な城主 仁科氏(木曽氏家臣)、今庄氏、赤座氏(斯波氏家臣)、魚住氏(朝倉氏家臣)、一向一揆勢、柴田氏(織田氏家臣)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、土橋
指定文化財 町史跡(燧ヶ城跡)
再建造物 石碑
住所 福井県南条郡南越前町今庄
問い合わせ先 南越前町教育委員会事務局
問い合わせ先電話番号 0778-47-3810