五月山南麓の台地辺縁部に位置し、西は崖地、北は杉ヶ谷川が天然の堀切、東と南に堀と土塁をめぐらせた城で、南北朝期に池田教依が築いて居城としました。応仁の乱では東軍について大内政弘に攻められ、戦国前期の細川氏の内紛では細川高国に攻められて落城。大物崩れの後、堀を拡げ土塁を設け曲輪を拡張して強化するも、今度は織田信長に攻められて落城。池田勝正は信長に仕えて、虎口を強化し能勢街道を取り込んだ惣構の織豊系城郭に改修しました。勝正が弟の池田知正や荒木村重らにより追放されると村重が城主となるも、伊丹城(有岡城)に居城を移したことにより廃城となりました。その後、信長の有岡城攻めの際に陣城として改修され、信長もたびたび在陣しています。
阪急宝塚線・池田駅から登城(池田城跡公園まで徒歩約15分)。主郭は池田城跡公園として整備される一方で大きく改変されてもいますが、発掘調査の成果に基づき、公園内に礎石、井戸、枯山水、排水溝、虎口、土塁が復元されています。木造の櫓風展望休憩舎の一階は池田城についてのパネル展示、二階の廻縁からは公園内と池田の街を見渡すことができます。この日は池田五月山さくらまつりが開催されていて、枝垂桜も満開、芝生地には野点の席が設けられ、櫓前のステージでは邦楽演奏も行われていました。南門を出て東側に下りて行くと堀切があり、空堀散策路(堀底道)を北に向かうと、東門への木橋が架かっていました。池田城跡公園を出た後は惣構の跡をたどってみましたが、高低差や細道にそれらしい雰囲気を感じはしても、明瞭な痕跡は見られませんでした。
明瞭な遺構は主郭東側の堀切くらいのものですが、発掘調査に基づいていろいろと復元されており、櫓も門も木橋も模擬ながらもそれらしい雰囲気があるので、街中の城としてはこれはこれでヨシ! という感じでした。
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