いけだじょう

池田城

大阪府池田市


旧国名 : 摂津

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①池田城公園標識
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)13日目:池田城 (2024/10/04 訪問)

川西池田駅から徒歩30分くらいで、池田城跡緑道公園入口(34.827014、135.429558)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代初期に池田教依によって築かれたようです。 1508年(永正5年)城主池田定正は細川高国と戦い焼失、落城するが嫡子久宗が奪還しました。
1568年(永禄11年)織田信長に破れ池田勝正は降伏しました。 その後荒木村重が入りますが、伊丹城に移り廃城となりました。

朝早く(公園に着いたのは6時20分くらいでした)攻城した為、開いてませんでした。事前調査不足でした(開園時間は9時から19時でした)。
模擬天守や模擬城門、冠木門が見たかったのに残念です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=山下城を目指す為、池田駅から電車で山下駅に向かいました。

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イオ

復元も模擬もこれはこれで (2024/04/06 訪問)

五月山南麓の台地辺縁部に位置し、西は崖地、北は杉ヶ谷川が天然の堀切、東と南に堀と土塁をめぐらせた城で、南北朝期に池田教依が築いて居城としました。応仁の乱では東軍について大内政弘に攻められ、戦国前期の細川氏の内紛では細川高国に攻められて落城。大物崩れの後、堀を拡げ土塁を設け曲輪を拡張して強化するも、今度は織田信長に攻められて落城。池田勝正は信長に仕えて、虎口を強化し能勢街道を取り込んだ惣構の織豊系城郭に改修しました。勝正が弟の池田知正や荒木村重らにより追放されると村重が城主となるも、伊丹城(有岡城)に居城を移したことにより廃城となりました。その後、信長の有岡城攻めの際に陣城として改修され、信長もたびたび在陣しています。

阪急宝塚線・池田駅から登城(池田城跡公園まで徒歩約15分)。主郭は池田城跡公園として整備される一方で大きく改変されてもいますが、発掘調査の成果に基づき、公園内に礎石、井戸、枯山水、排水溝、虎口、土塁が復元されています。木造の櫓風展望休憩舎の一階は池田城についてのパネル展示、二階の廻縁からは公園内と池田の街を見渡すことができます。この日は池田五月山さくらまつりが開催されていて、枝垂桜も満開、芝生地には野点の席が設けられ、櫓前のステージでは邦楽演奏も行われていました。南門を出て東側に下りて行くと堀切があり、空堀散策路(堀底道)を北に向かうと、東門への木橋が架かっていました。池田城跡公園を出た後は惣構の跡をたどってみましたが、高低差や細道にそれらしい雰囲気を感じはしても、明瞭な痕跡は見られませんでした。

明瞭な遺構は主郭東側の堀切くらいのものですが、発掘調査に基づいていろいろと復元されており、櫓も門も木橋も模擬ながらもそれらしい雰囲気があるので、街中の城としてはこれはこれでヨシ! という感じでした。
 

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ゴエチュウ

池田城 (2023/05/10 訪問)

池田城

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りあそーる

ジオラマ (2024/02/12 訪問)

体育館にあると聞いて行ったんですが、どうも今は資料館にあるみたいです。
外郭の名残を歩きながら商店街、旧街道、落語資料館を巡るのも良し。
観光協会のチキンラーメンまぶし唐揚とかアイスクリームが良い。
温泉宿もあるよ。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 池田教依
築城年 建武元年(1334)頃
主な改修者 不明
主な城主 池田氏、荒木氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀、井戸
再建造物 模擬櫓台、模擬大手門
住所 大阪府池田市城山町3-46
問い合わせ先 池田市都市建設部みずとみどりの課
問い合わせ先電話番号 072-754-6275