かすみじょう/かじょう

霞城

長野県長野市

別名 : 大室城
旧国名 : 信濃

投稿する
二段の石垣
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ヒロケン

石垣がいいね (2020/05/15 訪問)

霞城は松代町大室付近の豪族大室氏の居城です。敵が攻めて来ると、霞がかかったように見えなくなることがあったことからこの名が付いたとされています。現在は、主郭部付近に石垣が残り、保存状態も良好。この付近でこのように堅固な石塁が残る山城は数えるほどで珍しい。また、近くには大室古墳群があり、前方後円墳が城郭の一部になっている珍しい城址です。(Wikipediaより抜粋)

この地方の緊急事態宣言が解除された翌日の5月15日に攻城。登城ルートは石門ルート・大室古墳群からのルート・永福寺ルートと3方のルートがあり、自分は永福寺から登るルートを選択。(3台ほど駐車できるスペースもあります)それほど高くない山で登城口から約10分程で石垣が見えてきます。

城址を堪能し下山して来ると、何やら年配のおじさんが近づいて来る。やばい!緊急事態宣言が解除されたからといって、《県を跨いでの移動はお控え下さい》との案内が出ていたので怒られる!との思いで「すみませんっ!」 声をかけられる前に謝ったところ、豊橋ナンバーを見て「愛知から来ただね」って、「この状況で来てしまい、すみませんっ!」って再度謝ったところ、「そうじゃないよ、この地方は古い土地柄で、古墳のこととか、お城のことを知ってもらうことをやっとるだよ」って。結局、おじさんと30分程話したことで、大室古墳群には時間が無くなってしまい寄らずに来てしまった。ちょっと残念であったような、話せて良かったような微妙な気持ちで帰路に着きました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

典型的な信州の山城を手軽にトレッキング (2019/02/17 訪問)

長野市松代町にあった霞城はこの付近を領有していた大室氏の居城だと言われています。築城時期は不明。大室氏は信濃守護の祖である小笠原長清の末裔、時光が大室の牧の管理人となり大室の姓を名乗ったのが始まりとされています。戦国時代には村上氏の麾下に入り天文22年(1553)村上義清が甲斐の武田信玄に敗北し越後に逃れると大室氏は武田氏の軍門に下って本領を安堵されました。 天正10年(1582)武田氏が滅び、信濃を攻略した織田信長も本能寺の変で倒れると、大室氏は川中島を領有した上杉景勝に従いましたが、後に景勝の会津移封に伴い大室氏も会津へ移ったため霞城は廃城となりました。

登城ルートは南西側の石門登山口が比較的楽に登ることが出来ます。既にそれらしい石積みの出迎えを受けますが、圧巻は大手門枡形と呼ばれる石積み。ここを通って主郭に至ると二段構えの石積みが現れます。それほど高くない山でこれだけの石積み遺構を見られるのは珍しいと思います。信州の山城に見られる平べったい石を積んだもので、本格的な石垣技術への過渡期の様な感じを受けます。手軽に登れてこれ程の石積みを見ることが出来る霞城。眼下には天然の堀ともいえる千曲川の流れを見ることが出来ます。また、近くには大室古墳群もあり古墳好きな方にも魅力的な散策コースだと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

kucucu

石積みにテンションあがります (2015/09/20 訪問)

距離としてはそれほどではなかったですが、何しろ急勾配でした。
数年前にはヤブだらけと聞いていましたが、登山道はきちんと整備されていました。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 不明
築城主 大室氏
築城年 不明
主な城主 大室氏
遺構 曲輪、石積
再建造物 碑、説明板
住所 長野県長野市松代町大室