みやけおどい

三宅御土居

島根県益田市

別名 : 益田氏館
旧国名 : 石見

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小城小次郎

よく考えられた整備状況 (2023/05/20 訪問)

2016年の訪問時と2023年訪問時を比べると旧墓地区画の撤去が進んでいる。一方で樹齢600年とも言われる土塁上のタブノキを歴史的景観構成物として保存している。よく考えてじっくり整備しているのがわかる。

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BUGTI

立派な土塁が残る館跡 (2022/11/10 訪問)

住宅地の中でありながら、これだけの土塁が残っていたことがすばらしい。墓地として使われていたことも幸いだったと思われる。土地の高低差からも濠跡の痕跡が良くわかるし、整備は良いが現状のままでも十分と思える館跡だと思います。

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織田晃司

益田氏城館 (2022/05/14 訪問)

三宅御土居の土地を益田市が買い取り今後史跡整備を行うといいます。

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城好きのメガネ

「三宅御土居」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
益田氏の館であった三宅御土居は、南北朝時代に11代兼見によって築造された。益田氏第20代当主・益田元祥が大改修したとされる。長さ90m・高さ5mの東土塁と、長さ50m・高さ4.5mの西土塁、周囲を堀が囲んでいた。関ヶ原の合戦後、毛利氏が防長2国へと減封となった際に、益田元祥は毛利氏に従って長門へと移り、廃城となった。現在、土塁等が遺されている。

益田元祥は、父は益田藤兼、妻は吉川元春の娘。毛利輝元や吉川元春のもとで戦功をあげる。上月城の戦いや備中高松城の戦いにも吉川元春に従軍する。毛利輝元が豊臣秀吉に臣従すると四国征伐では伊予高尾城を攻め、九州征伐では豊前・宇留津城攻めで功績を挙げた。小田原征伐では、毛利水軍を率いて伊豆下田城を落とした。朝鮮出兵では吉川広家とともに明軍を撃退している。減封に伴い、藩の財政状況が悪化に対処するため財政整理を行い、長州藩の財政基盤の確立に貢献した。


<アクセス>
JR益田駅 徒歩40分

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 益田兼見
築城年 室町時代
主な城主 益田氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(益田氏城館跡)
再建造物 説明板
住所 島根県益田市三宅町
問い合わせ先 島根観光連盟
問い合わせ先電話番号 0852-21-3969