平井金山城(群馬県)を掲載。現在の登城路は裏から表(つまり逆向き)に歩いているような気がするが、櫓門跡とされる場所は風格すら感じさせる。さすがは腐っても関東管領の城ということか。
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2019/11/10 20:47
平井金山城
平井金山城(群馬県)を掲載。現在の登城路は裏から表(つまり逆向き)に歩いているような気がするが、櫓門跡とされる場所は風格すら感じさせる。さすがは腐っても関東管領の城ということか。
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2019/11/10 20:17
膳所移築めぐり (2019/11/03 訪問)
本丸跡は膳所城跡公園となっており、遺構は少ないですが、膳所城の移築建物は多く存在してます。
今回、膳所神社の移築城門を見たところで日没サドンデスとなりました。
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2019/11/10 20:03
2019/11/10 19:57
豊臣秀次 (2019/11/03 訪問)
ロープウェイで昇ると山頂は城跡を利用して寺院があります。
石垣の状態はお世辞にも良好とは言えません。
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2019/11/10 19:56
2019/11/10 19:54
第26回全国山城サミット (2019/11/10 訪問)
第26回全国山城サミットへ行ってきました。
御城印の販売もありました。とても楽しいイベントでした。
令和元年11月9日(土)、10日(日)に、可児市文化創造センターala(アーラ)にて、第26回全国山城サミット可児大会が開催されました。
会場では、城郭研究の第一人者の中井均氏(滋賀県立大学教授)や、お城好きラジオDJのクリス・グレン氏といったバラエティ豊かな出演者によるステージイベントや、可児市内の山城をめぐるイベントが催されました。また、全国の約50城がブース出展した「おしろ横丁」や地元の特産品や明智光秀ゆかりの地の土産物、B級グルメが集まった「まんぷく横丁」も開かれ、2日間で2万3千人の来場者が訪れました。
協議会では、会場の一角にブースを設け、会場周遊企画として京都・福井と連携した重ね捺しスタンプラリーを行ったほか、パンフレット等の配布や、来年1月11日に県内3か所(岐阜・可児・恵那)で開館する大河ドラマ館の前売り入場券の販売を行いました。これらの活動を通し、明智光秀ゆかりの地の情報発信や魅力のPRを行いました。
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2019/11/10 19:49
今城 (2019/11/10 訪問)
第26回全国山城サミットにて行ってきました。
今城は金山城主・森長可に仕えていた小池家継の居城です。1582年(天正10年)に織田信長が「本能寺の変」で討たれると、それまで森氏に従っていた東美濃の豪族が反抗するようになり、長可に鎮圧されました。その後、1584年(天正12年)に起きた「小牧・長久手の戦い」の際に森氏が改修して利用したと考えられています。現在、城址では曲輪、土塁、堀切などの遺構を確認することができます。
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2019/11/10 19:42
久々利城 (2019/11/10 訪問)
第26回全国山城サミットにて行ってきました。
久々利城は美濃守護・土岐氏の庶流、久々利氏の居城です。1565年(永禄8年)、東美濃に侵攻した織田信長は金山城主として森可成を置き、久々利氏はその配下となりましたが、「本能寺の変」で信長が討たれると、久々利頼興ら国人衆は可成に対して一斉蜂起します。しかし森長可によって鎮圧され、その後は森氏の番城として機能したようです。「関ケ原の戦い」後、森忠政が松代に転封となるとともに廃城となりました。城址は整備されており堀切や土塁などの遺構を見ることができます。また山麓には可児郷土歴史館が建てられています。
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2019/11/10 19:38
2019/11/10 19:32
2019/11/10 19:31
2019/11/10 19:27
浅井氏三代 (2019/11/03 訪問)
戦国に彗星のごとく現れて消えていった浅井氏の居城。
時間の関係で番所跡から山王丸跡まででしたが、見所の多い城です。
特に本丸後方の大堀切や山王丸の大石垣は凄い!
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2019/11/10 17:39
もったいない戦うお城。 (2019/09/22 訪問)
長野県佐久市の続100名城の一つ「龍岡城」に行きました。星形の「龍岡城」、続100名城の公式ガイドブックを読むまで知りませんでした。
信濃田野口藩の新陣屋として1864年から築城し1867年に、だいたい完成。
でも廃藩後、取り壊しされてしました。1872年です。
、、、もったいない。
ここからは私が勝手思った、トホホな感想です。
函館五稜郭は1864年に完成しました。「龍岡城」は構想していたのでしょうけど、この年から工事が始まります。
ちょっと遅くなってしまいましたね。
十字砲火をもって攻防できるようです。戦う為の準備、大切です。
使う事は、ありませんでしたが。ちなみに大砲は一基、、、。五基じゃないんかーい?
キレイな石垣がありました。星形に整えるなんて数学が得意なんでしょうか。
近くの山から「龍岡城」の星形が見られるそうです。
ちょっと待ってください!!
戦う為のお城が丸見えじゃ~ないですか!
もしくは山側にも防御を用意していたとか?
幕末のバタバタした時代だから、という答えしか出ません。
「龍岡城」は戦うお城?魅せるお城?
どちらにしても精巧な石垣に感動しましたが(笑)
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2019/11/10 17:36
2019/11/10 16:31
信長、対浅井の城 (2019/11/03 訪問)
陣跡に丹羽長秀、滝川一益、堀秀政、織田信長、木下秀吉(この後羽柴に改姓)、柴田勝家とそうそうたるメンバーが名を連ねる。
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2019/11/10 15:05
懐古園 (2019/11/04 訪問)
城上町から門を入ると、天守に向かって下っていく珍しい城。
小諸の老舗、山吹味噌からどんどん坂道を下ると大手門がある。
しなの鉄道の線路の下を地下道を通って抜けると懐古園の入口ともなっている三之門へ。
関ヶ原へ向かう途中、徳川秀忠が上田城攻略のために本陣を構えた二の丸跡があり、
そこからさらに下って本丸がある。
二の丸跡の方が高い位置にあるので、上田城方面が見渡せる。(現在はホテルがあって半分隠れている)
ひたすら下り続けるのは、実際に歩いてみると不思議な感じがする。
とはいえ、千曲川までにはさらに断崖があるので、台地の端にある城ではある。
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2019/11/10 14:29
2019/11/10 13:58
土に成るで城 (2019/11/02 訪問)
土塁と堀切、郭の造形がみごと!
写真だけでなく直接この目で見たほうがいい城です。
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2019/11/10 07:51
長沢東城に続いて (2019/11/02 訪問)
長沢東城より奥に位置し、古くからの城のようです。規模も大きな城になっています。最も広い曲輪の真ん中に土塁があり、虎口の土塁、俺も見事でした。なかなか見応えのある城なのですが、やはり訪れる人は少ないと見えて蜘蛛の巣はすごかったです。
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2019/11/10 07:50
加賀の一向一揆 (2019/11/02 訪問)
鳥越城と共に一揆勢の拠点として信長軍に抵抗。
訪ねた時は二の郭の土塁が崩落していて三の郭から本丸まで立入禁止となってました。
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