仙台城から北北東約70㎞の宮城県登米市にある佐沼城です。築城ははっきりしませんが、奥州征伐の恩賞で鎌倉時代は葛西氏の持城となっています。戦国時代は大崎氏が城を奪い大崎氏家臣石川氏の城となりますが、小田原の戦いに大崎氏は参集しなかったため1590年奥州仕置きにより大崎氏は改易、城は豊臣秀吉家臣木村吉清に与えられます。その後行われた太閤検地に反対する一揆が起こると木村氏は佐沼城に籠城。伊達政宗が軍を率いて、木村氏を救出。その後、再び起きた一揆では、一揆軍2500名が佐沼城に籠城。伊達政宗が攻撃落城させ一揆を鎮圧させています。城は伊達領となり家臣の津田氏が配され佐沼要害と呼ばれ、1756年亘理氏が配され幕末を迎えています。城は、標高15mの丘陵の山頂に本丸、周辺に二の丸を配し、北と東に川が流れ、西側は湿地帯となり、水堀を周囲に回し東西350m南北550mの規模の要害だったようです。現在は、本丸が鹿ヶ城公園として整備され、土塁と水堀が往時を偲ばせます。城の鎮護のため鹿を生き埋めにしたことから鹿ヶ城とも呼ばれたとされます。公園の隣接に歴史博物館が佐沼城の資料も展示してあります。
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