ななおじょう

七尾城

島根県益田市

別名 : 益田七尾城、益田城
旧国名 : 石見

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小城小次郎

山城二つ分の見学時間 (2023/05/20 訪問)

南端の主郭から南北に伸びる東西ふたつの尾根上に連続して曲輪を設ける姿はむしろ群郭式に近いのかも。それぞれの尾根が異常に長いのでちゃんと見学するなら山城二つ分の時間を見ておく必要があると痛感した。

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BUGTI

益田氏の居城 (2022/11/10 訪問)

東西の二つの尾根に多数の曲輪があり、それに挟まれた谷には家臣屋敷があったとされているが、それを想像するとかなり大きな城だったことがわかる。二つの尾根の先まで行って帰るだけでも大変で、見学するには効率が悪い。藪に阻まれて尾根の先端部まで行くのは断念したが、必要なところにはロープが張られているなど最低限の整備がされているのはありがたい。

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織田晃司

益田氏城館 (2022/05/14 訪問)

二つの尾根に沿ってY字に巨大な山城を築く。
全長約600mというからかなりの大きさです。

七尾城大手門が医王寺に移築され、総門となる。

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城好きのメガネ

「益田氏七尾城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
七尾城は益田氏歴代の居城である「三宅御土居」の詰城として七尾山に築かれたとされる。戦国時代には、陶晴賢と毛利元就との戦いの中で、益田藤兼は陶側に加勢し、毛利の攻撃に備えて城を大改修したとされる。その後、益田藤兼は吉川元春の石見侵攻の際に、降伏し旧領を安堵された。関ヶ原の合戦後、毛利氏が防長2国へと減封となった際に、益田元祥は毛利氏に従って長門へと移り、廃城となった。益田氏歴代の居館である「三宅御土居」とともに「益田氏城館跡」として国の史跡となった。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR益田駅 徒歩40分

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 益田兼高
築城年 鎌倉時代
主な改修者 益田藤兼
主な城主 益田氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群
指定文化財 国史跡(益田氏城館跡)
再建造物 説明板
住所 島根県益田市七尾町
問い合わせ先 島根観光連盟
問い合わせ先電話番号 0852-21-3969