ちょうずいじょう

長水城

兵庫県宍粟市

別名 : 広瀬城、長水山城
旧国名 : 播磨

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赤松則祐 (2024/03/30 訪問)

 南北朝期に赤松円心の三男則祐によって築かれた城です。 戦国期には織田方の播磨侵攻の際、城主であった宇野政頼・祐清父子は、当初は織田方についたようですが、第二次上月合戦の際に毛利方に寝返り、その後、羽柴秀吉の軍勢によって落城したと伝わっています。 
 長水山に築かれた城で、山頂部に主郭を置き、東西約200m、南北約500mの尾根沿いに複数の曲輪を配置していたようです。五十波方面より山の中腹まで車で行ける道があり、そこから徒歩約35分で主郭に行くことができました。途中には井戸があり、今でも水を湛えています。山頂近くには後世のものではないかと思っていますが、登り石垣がありました。主郭にも石垣がありましたが、説明板には大部分は後世に積みなおされたものと考えるとありました。三の丸方面まで散策すると堀切や曲輪の跡などがあります。「西播磨の山城」というサイトの縄張りと見ると水源と記載された場所が二の丸から三の丸へ行く途中に2カ所ありました。周辺を散策してみましたが、探し方に気合が入っていなかったこともありわかりませんでした。

 以前から主郭に石垣がある城址で気になっていました。登城路は歩きにくい場所もありますが、概ね整備されています。眺望はよいのですが、黄砂のためかもやっていました。数年前までは山頂の家に人が住んでみえたようですが、地元の人の話では現在は無人とのことです。

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織田晃司

山頂に (2023/11/03 訪問)

石垣の要塞、長水城。
夏は山ビルに要注意。

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イシテル

西播磨の山城「山頂の石垣要塞:長水城」 (2022/10/30 訪問)

久しぶりの投稿となります。
4月に愛知県の単身赴任から兵庫県に戻り、今年は西播磨の山城巡りをしています。
今回は「西播磨山城11」のひとつ長水城。
宍粟市山崎町の登城道から約90分かけて標高595mの主郭に到着。
麓から約40分ほどで尾根まで上がり、そこから50分(約2km)の尾根道歩き。
尾根道は大きなアップダウンもなく、整備されて非常歩き易く、長時間の歩きでもそれほどの疲れはありませんでした。
でも途中で目の前をイノシシ2匹が駆け抜けるなど、非常に自然の中での行程。
本郭に辿り着くと最大6mの壮大な石垣が現れ、またそこにはお寺があり、非常に驚きました。
そこからの眺めは紅葉の始まった西播磨の山々が見渡せる絶景を独り占め。本当にここまで来て良かった。
主郭の石垣は、戦国期前に赤松氏が築いたのを後世に積み直ししたと説明が書かれていますが、この場所に石垣があるだけで感動。
「西播磨山城11」を順に巡って行きますので、また投稿します。

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小城小次郎

この石垣のもとを築いたのは誰だったのか (2022/01/09 訪問)

崩れる寸前で絶妙なバランスを保つ高石垣が有名なお城だがそのほとんどが後世の積み直しとの評価。一部「本物」が混じっているが、この「本物」が誰によって積まれたのかという正解の見つからない謎解きが実に楽しいのだ。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 赤松則祐
築城年 文和年間(1352〜1356)頃
主な城主 赤松氏、広瀬氏、宇野氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
再建造物 石碑
住所 兵庫県宍粟市山崎町片山
問い合わせ先 宍粟市社会教育課
問い合わせ先電話番号 0790-63-3000