いさはやじょう

諫早城

長崎県諫早市

別名 : 伊佐早城、高城城、亀城
旧国名 : 肥前

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にのまる

日本の歴史公園100選【諫早公園】 (2025/03/01 訪問)

公園入口の『諫早公園物語』や園内の案内板でお城の歴史や見学ポイントを学びながら歩きました。遺構だと思い込んで違っていたら悲しいので、現地の案内はとてもありがたいです。
城びとみなさんご記録の眼鏡橋もしっかりとカメラに収めました。

この日訪れた玖島城と諫早城は長崎から佐賀へ向かう経路上の〈お城をさがす〉を見ていて“ぜひ行ってみたい!”と心が動いたお城です。
こんなふうな城址公園が生活圏にあるといいなぁと思いました。

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トク

【春の長崎天草を巡る①】(1)諫早城 (2025/03/26 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(1城目)は「諫早城」です。

諫早城は昨年秋の紅葉時にも訪れましたが、春はまたどうなっているのかな?と気になり再訪しました。お城の歴史は前回お伝えしましたので、今回は省略します。

「西九州新幹線リレーかもめ」(武雄温泉乗り継ぎ)に乗り、博多からわずか80分で到着です。西九州新幹線は2回目ですが、いまだに新しく木の香りがします。しかもまったく揺れなく静かなのでビックリです😲。技術の進歩には感動ですね。ヘッドライトが開業当時よりおしゃれになっていました(写真⑨⑩)(笑)。

「諫早城」は諫早駅から徒歩20分のところにあります。眼鏡橋の付近に予想外に桜が少なかったので聞くと、ここはシャクナゲの名所だそうで、4月12日からしゃくなげまつりが行われるとの事(事前調査不足でした)。でも東ノ丸から見た桜と諫早市街はきれいでした(写真①)。

次は(2城目)三城城に向かいます。
 

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トク

美しい眼鏡橋が残る諫早氏の城 (2024/12/11 訪問)

戦国時代に諫早の地を統一した「西郷尚善」が築き、高城と呼ばれたのが始まりだそうです。天然の岩盤の地形を巧みに利用した平山城で、今では諫早公園となっていました。

その西郷氏は、有馬氏・大村氏・龍造寺氏などから度々攻められるも何とか切り抜け、龍造寺隆信が沖田畷で敗れ死去した後、一時鍋島氏の配下となりますが、その後に豊臣秀吉の九州南下に従わなかったため、秀吉から所領を没収されます。

代わって城主となったのが龍造寺家晴(龍造寺の分家)です。家晴は蒲池城や柳川城の城主となって、本家の隆信とは少し距離をおきながら筑後を治め、攻めて来た大友勢の立花道雪や高橋紹運と戦います。秀吉が九州を制圧すると家晴は所領を没収されますが、秀吉に嘆願し、鍋島配下として諫早の地を与えられました。そして江戸時代に入りその子の直孝は独立した一万石の大名となり、龍造寺氏を改め「諫早氏」を名乗るようになります。しかし、病弱で江戸参勤が出来なかったためすぐに廃藩とされ、その後一国一城令で諫早城は廃城となったようです。しかし直孝は、佐賀藩の家老となる事で、諫早の地に居館を構える事が許され、諫早氏は存続する事ができしました。

天然の掘としていた本明川ですが荒れ川で洪水が多く、橋を架けてもことごとく流され続けたため、住民はかなりの不便を強いられたようです。江戸後期の1839年に、時の領主「諫早茂洪」は「絶対に壊れない橋を造れ!」と家臣に命じて石橋を造らせました。昭和に入り河川を改修し、川の流れは橋を通らないよう改善されたため、江戸期の橋は180年経った今では、庭園と共存する美しい橋として諫早市民に愛されています(写真①②)。

二の丸からは諫早市街を眺める事ができました(写真⑥)。中央の黄色い列車は島原鉄道(島原行)です。また現在は西九州新幹線もここ諫早駅に停車します。

夜は、諫早から北の海岸にある崎野自然公園のコテージに宿泊しました(写真⑧⑨)。海沿いで眺めがよく、コテージから見えた朝焼けの大村湾はとても綺麗でした(写真⑩)。
 

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織田晃司

眼鏡橋を (2021/09/18 訪問)

スタートにオリエンテーション感覚で城めぐり。
本丸を過ぎると急に山城。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 西郷尚善
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 西郷氏、龍造寺氏
遺構 曲輪、帯曲輪、石垣、土塁
住所 長崎県諫早市高城町