屋島城は屋島に築かれた古代山城で、屋島は江戸時代までは独立した島だったようです。四国遍路84番札所の屋島寺は屋島城跡に築かれています。11年前、初めて屋島を訪問した際、山中を徘徊していた時に整備中の屋島城の石垣と遭遇し、写真をいくつか撮って、そそくさ退散しました。すでに整備も終了し、一般に公開されているので改めてじっくりと訪問したいと思います。
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2024/05/31 21:48
2024/05/23 12:52
源平古戦場&わら屋 (2024/05/29 訪問)
山上の古代山城を散策したあと、麓の源平古戦場へ。平家の陣は、当時は島であった屋島の東山麓の浜を中心に構えられていました。一ノ谷と同様に、後ろに険しい山(屋島)を背負い、前に海があります。さらに、前の海は入江であり、対岸に庵治半島がそそりたっています。安徳天皇行宮も屋島東麓に。
有名な那須与一 扇の的の場所には、祈りの岩(写真を撮るのを忘れました)と駒立岩があります。祈りの岩は、弓を射る前に祈った対象、駒立岩は、見事に扇を射て、両軍から歓声があがったときに馬を止めたという、平たい岩です。駒立岩は、引き潮の時に見えるそうですが、しっかり現れてました。そして、用水路の先を見ると、扇の的を立てて招く船の絵が。那須与一が射た的までの距離は、55〜65mあり、的を射るのは至難のわざとか。絵の中の扇は、遠く、小さく見えます。これはすごいねえ。
高松出身の知人に、屋島登り口にある、うどん屋 わら屋を紹介されてたので、寄りました。赤い城さんも行かれた所です。四国村ミウゼアムは休みでしたが、受付の建物に、わら屋や四国村の設立趣旨が掲示されてました。地元の運送業社長が、年をとったり、体が弱い従業員の第二の職場として、わら屋を始めたこと、徳島祖谷の古民家をわら屋店舗に移築したことが、四国村の主発点であったことが、書かれてました。ちなみに神戸から移築された異人館カフェは、四国村敷地外にあり、営業してました。
トクさん、私の奈良県コンプにおほめをありがとうございます。ぴーかるさんが、言うとおり、奈良県の城は、奈良盆地とその周辺にかたまっているので、比較的サックりコンプ可能です。
トクさんの物語性がある投稿を興味深く読ませてもらってます。
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2024/02/20 19:56
2023/12/04 21:39
讃岐東照宮と四国村ミウゼアム (2023/11/16 訪問)
城ではないけど結構よかったので投稿します。
屋嶋城の麓にあります。
讃岐東照宮の屋島神社にお参りしたあと散策しました。
入場料は1600円でこの辺りとしてはちょっと高め。
各種割引はあるようです。
四国の古民家などを移築し展示してあります。
入園し、まずはかずら橋。
本物では無いもののスリリング!
渡って少し進むと小豆島農村歌舞伎舞台、さらに進むと丸亀藩御用蔵のインフォメーションセンターがあります。
そこから登っていくと石畳広場があり、砂糖しめ小屋などが展示されていました。
その先のギャラリーは安藤忠雄氏の建築です。
詳しくはないですが惹かれるものはあります。
外の水景庭園を見たあとは大久野島灯台ヘ。
大久野島は今はうさぎの島になっていますが戦時中は毒ガスの島で日本軍の拠点にもなっていました。
降りていき、染が滝などを見学しながら戻って行きます。
入場前にはわら家で釜あげもいただきました。
観光スポットなので少し高めですが美味しかったです。
他にも神戸からの移築、異人館カフェもあります。
高松城や屋嶋城を攻めた際には立ち寄って欲しいスポットです。
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分類・構造 | 古代山城 |
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天守構造 | なし |
築城主 | 天智天皇 |
築城年 | 天智天皇6年(667) |
主な城主 | 不明 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 石塁、土塁、貯水池跡、水門跡 |
指定文化財 | 国史跡(屋島) |
再建造物 | 復元城門、復元石塁、説明板 |
住所 | 香川県高松市屋島東町他 |
問い合わせ先 | 高松市教育部文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 087-839-2660 |