佐野厄除け大師の名で知られる栃木県佐野市の惣宗寺には佐野城の門が移築されています。道路を隔てた向こうには物産館と佐野ラーメンの店があります。この一帯に佐野が詰まっている感じがしますね。後ろの写真は小山市にある壬生城の門です。
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2025/01/24 18:53
2024/12/16 21:13
近世城郭としては短命 (2024/09/14 訪問)
案内板によると佐野城は別名「春日岡城」とも呼ばれ、延暦元年(782)藤原藤成がこの地に春日明神を祀ったことに由来するようです。慶長12年(1607)佐野氏は唐沢山城を配してここ移ったとされ、城下町も整備されましたが、慶長19年(1614)所領を没収され改易となり、佐野城も廃城になってしまいました。どうやら7年ほどしか近世城郭として機能しなかったみたいです(築上からは14年)。
佐野駅の北側の丘陵が城址公園になっていて、その周辺に外堀が巡らされていたようです。丘陵部の南から、三の丸・二の丸・本丸と続き、本丸と二の丸の間には大きな堀切が切られ、堀道となっています。
発掘調査で本丸の東武から見事な石畳の通路が発見されましたが、現在は埋め戻されています。調査に関するパネルは二の丸にある城山記念館で見ることができます。
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2024/09/13 22:17
佐野ラーメンといもフライは持ち越し (2024/08/28 訪問)
【佐野城跡・城山公園】
18きっぷ5回目利用で出かけました。
改札口を出て右に折れるとアーチ屋根の先に広がる鮮やかな緑の芝。一瞬で時を超え、いにしえの世界へと引き込まれます。
城山公園として整備されている主郭部は三の丸から北出丸までの直線が連郭式を理解しやすく、それぞれを隔てる空堀も見事でした。特に二の丸と本丸の間の空堀は上から覗いても下から見上げてもかっこよかったです。
本丸の発掘された石垣と通路を示す石のラインは絵図や写真で想像する昔の姿を補完してくれます。本丸を抜けた北出丸では窮屈感や閉塞感を感じ、“遊び”のない空間に、本丸防御の重要な役目を果たしていたということが感覚的にも理解できました。
【犬伏の別れの地】
『真田丸』の頃から行ってみたかった新町薬師堂へ行ってきました。関ヶ原の戦いを前に、徳川方と豊臣方、どちらが勝っても真田の名が残るよう親子が分かれて戦うことを決断したとされている場所です。
佐野駅(佐野城)からは約3㎞。佐野市生活路線バス「さーのって号」の犬伏線で「犬伏薬師堂西」下車です。
薬師堂の後背に聳える山は米山古墳だそうで社殿の横に登山道らしき道が見えました。
薬師堂には犬伏の別れの説明板のほか昌幸・信幸・信繁親子の甲冑が飾ってあり、かの地に立てただけで大満足でした。また、すぐ近くに「別れ橋(があったと伝わる場所)」があり、ここでも大きな別れの感傷に浸ってきました。
「さーのって号」は1日5本しか運行されておらず、帰りはバスを待つより歩いたほうが断然早いので、例幣使街道を歩いて戻りました。暑かったです💦
#福山城×東横イン、クイズだと察してくださりありがとうございました。
お出かけ先は『ひみちゅ』の語感で『ひめじ』でしょうか?
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2024/04/14 17:57
分類・構造 | 平山城 |
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築城主 | 佐野信吉 |
築城年 | 慶長7年(1602) |
主な城主 | 佐野氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、移築門 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 栃木県佐野市若松町(城山公園) |
問い合わせ先 | 佐野市観光協会 |
問い合わせ先電話番号 | 0283-21-5111 |