内房線姉ヶ崎駅から徒歩で12分。
以前はほぼ私有地で整備もされていなかったそうですが、市や県が文化財に指定してから整備が進んだとのこと。
大部分は住宅地となっていますが主郭周辺は綺麗に残っています。
手作りっぽい案内板が建っています。
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2019/04/14 11:19
2019/04/14 10:19
桜には少し早かった (2019/04/06 訪問)
桜には1週間くらい早かったかな。
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2019/04/14 09:50
遺構も有るようですが・・・ (2019/04/13 訪問)
木更津駅から徒歩で40分。
霊園の前に石碑が建っています。
周囲は住宅地となっています。
石碑の南西側の藪に遺構が有るようですが中には入れません。
石碑の位置からは東京湾の工業地帯も見渡せます。
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2019/04/14 07:49
一柳氏の陣屋跡、駅から徒歩3分。 (2019/04/13 訪問)
さて、久々に小野藩の陣屋に行って参りました。
以前に『城びと』で画像無しの投稿をしたのですが、やはり画像はあったほうが良いなと思いましてw
ここはオススメですよ。何がオススメって、神戸電鉄小野駅から徒歩3分弱というかなりお手頃な駅近物件なのです。本当に目の前にありますからね。
今回行ってみたら、陣屋跡の桜が満開でございまして、やはり散り始めておりましたが、なかなか綺麗でしたよ。
厳密に言うと、小野駅のロータリーに足を踏み入れた時点で既に陣屋跡だったりします。
小野陣屋は河岸段丘を利用し、周りに堀と見立てて人工の池を作って防御とした陣屋です。
それを示すかのように、駅前には『雁又池跡公園』の石碑があります。
現在は池の大部分は埋められておりますが、唯一、中の池の一部が残っており面影をしのぶことができます。
陣屋跡の中心地には現在小野小学校が建っており、その南隣の小野市立好古館のある場所は当時の馬場跡のようです。
好古館から踏切を跨いで真っ直ぐ延びる道は当時のメインストリート、所謂大手道でしょうか。武家屋敷や家老屋敷、藩校などが並んでいたそうです。今は小野高校や住宅街となっています。
好古館のすぐ斜め向かいには磐代神社が鎮座しています。ここは小野藩一柳氏の氏神様だそうで、場所は当時と変わらないようです。
このように、当時とはかなり様変わりしてしまった小野陣屋ですが、とってもわかりやすい説明板のおかげでいろいろ想像しやすくなっております。
ちなみに、最寄り駅の小野駅がある神戸電鉄粟生線は近年存廃問題に揺れておりまして、自治体からの補助で首の皮一枚繋がっている状態です。
将来、小野陣屋跡の駅近な魅力が無くなってしまうかもしれません。
三木城跡の最寄り駅である三木上の丸駅も粟生線にあります。何気にここも駅近物件。
更に、小野駅のお隣の葉多駅から北へ徒歩5分ぐらいに、『城びと』未登録の葉多城跡があります。
ってことで、『乗って残そう粟生線』。
…今回私はマイカーでしたがw
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2019/04/14 02:12
山城 (2019/04/13 訪問)
初の八王子城に行ってきました🏯
石垣や土塁などがしっかりと残っていました、ガイドさんもいて詳しく説明をしてくれます
山道は木の根っこが剥き出し、石ころが落ちていて歩くのはかなり疲れたし転びそうになったが無事に天守に到着
櫓や道から眺める東京都は絶景でした
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2019/04/14 01:23
2019/04/14 00:21
薩摩義士の絆 (2014/12/30 訪問)
鶴丸城の御楼門の復元が2020年3月完成予定で進められていますが、御楼門建設のために岐阜県産のケヤキが提供されています。何故、岐阜県が提供するのかは、以前の三重県の桑名城の投稿でも触れさせてもらいましたが、薩摩藩士が多くの命を落とした「宝暦治水」が関係しています。
以下、鹿児島県のHPより
贈呈された岐阜県産ケヤキは,樹齢約300年以上,幹周り4メートル・長さ8メートルもある立派なものであり,所有者の御先祖が宝暦治水工事の幕府方水奉行の関係者であったことから,鶴丸城御楼門復元の事業主旨に賛同され,提供していただいたものです。
以下、岐阜県のHPより
江戸時代中期の1755年(宝暦5年)、薩摩藩は岐阜県南部を流れる木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域の治水工事を完成させました。宝暦治水といわれるこの工事は、徳川幕府が薩摩藩に命じた堤防を作る工事で、非常に困難なものであったため、薩摩藩は多額の借金を抱え多くの犠牲者を出しました。
流域に住む人々は、洪水に苦しむことが少なくなったことを喜び、工事に従事した薩摩藩士を「薩摩義士」と敬い、その偉業をたたえました。
その精神的な絆をもとに、岐阜県と鹿児島県は、昭和46年7月27日に姉妹県盟約を結びました。
姉妹県は他に聞いたことがないので、岐阜県が鹿児島県に恩義を感じているのが分かるような気がします。
北御門跡から城山である上山城への登城途中に薩摩義士の碑がありました。碑の下に木曽三川の水がペットボトルに入れられて供えられており、胸が熱くなりました。
岐阜県との絆の形でもある御楼門の復元。本当に楽しみです。
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2019/04/14 00:08
土の魅力。 (2019/04/01 訪問)
木原城から徒歩で向かいましたが、ずっと里山の風景が広がり、長閑でほんとに気持ちのいいお散歩でした。気候がよかったのが大きいですが、リフレッシュできて、今思い出しても爽やかな気持ちになれます♪
そして辿り着いた塙城。
投稿用に選んだ10枚の写真を並べてみると見事に茶色一色のただの土の写真ですが、全部、“すごーい!”って感動したところです。
築城主も築城年も不明(土岐氏の改修と考えられる)とのことですが、きっと現役時代からメンテナンスを欠かさず、役割を終えてからもずっと大事に守ってこられたのだろうなぁとしみじみ思いました。
入口のところから、1→2→3…と道順が示されているので、小心者の女子でも安心して踏み込めます。横堀に土橋、切岸もとても形良く残っていました。
道順どおりに二の丸に進むと稲荷神社があり、横矢掛け仕様の土塁が巡っていました。
そしてそこに〈 ③ は 〉という謎の看板が立っていたのですが、これは全部見つけて繋げて読むと言葉が完成する的なあれでしょうか?
長細い舌状台地を奥へと進むと本丸。ここにあったのは〈 ⑧ よ 〉。見つけた看板はこの2枚だけでしたが、もう完成するのは【はなわじょう】だという気しかしません。
見どころがぎゅっと詰まっていて、道順の矢印も、城址碑も、遺構の説明板も、謎の看板も、全て手づくりの温かい城址でした。
※城びとサイト、マイナーチェンジした感じですが、私のPCでは城ピン📌正常です。
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2019/04/13 19:14
桜の咲き始め (2016/04/29 訪問)
この時は生憎のお天気でした。
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2019/04/13 19:05
ささやかな寄り道 (2019/04/13 訪問)
なんか先日から「お城を探す」でお城のピンが一切表示されなくなっているので、1日休みましたw
何も案内出ていないので、自分のPCの問題?
そんな中今日福井城を日帰り再訪したついでに北陸地方の史跡をいくつか回ってきました。
時間の都合もあり、サラッと見学出来て且つ駅前にある松任城を選んで寄ることに。
駅から徒歩5分もしないうちに松任城址公園がありました。
おそらく公園の周りには堀があったと思われますが、今は存在せず・・・明確に見える遺構は櫓台跡くらいしかありませんでした。
他には「加賀の千代女」という人物に関わる史跡等が駅周辺にありました。
全体的にお城としては残っている部分が少なくなっており、石碑と解説はあるものの、ちょっと立ち寄る程度で十分な場所でした。
北陸本線、意外と電車の本数が多かったおかげでガッツリ待たされる事がなかったのが有り難かったですε=(・Д・。)
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2019/04/13 18:12
地元住民の献身的な (2019/04/07 訪問)
ボランティア活躍により登山道も城跡も整備されてます。
8曲輪から時間が合えば鳥取コナン空港発着の飛行機が頭上に見ることができます。
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2019/04/13 18:04
黒田官兵衛より奥平家 (2019/04/13 訪問)
豊前中津と言えば官兵衛、かと思ったら城内の資料は殆ど奥平家のもの。でも良かった。知名度の高い武将に偏ることなく、地味だけど歴史の節目で密かに活躍したヒトに注目する姿勢は好感がもてる。
全体的に地味。でも野面積みの事態変遷、輪取り、穴太積みなどいろいろ見れて最高。
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2019/04/13 18:04
由良台場 (2019/04/06 訪問)
すぐ近くに青山剛昌ふるさと館やコナンロードがあるため観光客は少なく、落ち着いて見物することができます。
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2019/04/12 23:05
熊本城
実際に訪問したのは2018年だったが、今も日々こつこつと復興が進んでいる。不屈の名城の名の通り、いつか力強く蘇ることを心の底から祈りたい。
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2019/04/12 22:12
春爛漫 (2019/04/01 訪問)
高さのある土塁がどっしり構える北西側の入り口から入りました。
本丸跡の広場の一角にお花畑が広がっています。そしてその向こうには鉄骨でがっちり組まれた櫓風展望台。登らずにはいられません!
メンテが行き届かず危険なオブジェと化した木製の櫓が各地にあるなか、安全で朽ちることのない櫓、アリだと思います。本来櫓があった場所とは異なりますが、霞ヶ浦の眺めが素晴らしかったです。
お花畑にはチューリップがたくさん咲いていました。開花の時期をずらして何種類か植えられているようでしたので、長く楽しめそうです。本丸の周囲には、発掘調査で確認された堀跡が「堀の路」として散策路になっていました。
二の曲輪の門を出たところは様相が一変。これぞ遺構の深い堀と、小学校(三の曲輪跡)には土塁が残っていました。縄張復元図によると、城域はかなり広大で二重堀に囲まれています。外部から三の曲輪にさえ容易にたどり着けそうもなく、セキュリティ万全の感じを受けました。霞ヶ浦に面する搦手には船着場もあったのだそうです。
本来、櫓があったと考えられる稲荷神社は表から写真だけ撮ってスルーしてしまいましたが、実はここが木原城のいちばんおいしいところだったようで、もっと遺構キャッチアンテナの感度を上げなければと思いました。
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2019/04/12 20:39
尾根はチャート (2019/04/11 訪問)
竹田城に匹敵する石垣の山城と感激。共に赤松氏が係わるのも良いですなぁ。山体全体は頁岩で、山頂及び東西に続く尾根は硬いチャート。それで急斜面ができている。城の石垣やその下の岩盤もチャート。登頂途中に砂岩頁岩互層もあり、もろもろと崩れる砥石城のような所も。
山頂付近が伐採されているなど、手入れがされていることに感謝。
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2019/04/12 20:16
手入れ、復元に注力 (2019/04/11 訪問)
八上城を南に望む位置にあります。室町時代の城館土塁が良く手入れされ、かつ堀が復元されています。方形の城館跡は幾つか見ましたが、土塁の中に民家があるのは初めてです。遺構と共存されており、素晴らしいことです。
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2019/04/12 18:55
新旧コラボの石碑。 (2019/03/30 訪問)
「沼津城」に行きました。
「沼津城」またの名を、って言うか旧姓「三枚橋城」と言います。
よく調べると「三枚橋城」は後世の軍記物に名前が出てくるから当時も「沼津城」と呼ばれていた可能性もあるそうです。
車道が広く城下町の雰囲気があったので模擬天守くらい あるかな~って期待しましたが「沼津城本丸址」と説明板。
でも、驚いた事に「三枚橋城」の築城者は武田 勝頼さんでした。
今川氏が衰退した後、駿河の拠点の一つに「三枚橋城」を築城し北条氏と小競合いをしていたそうです。
説明板に石碑の周囲の石は三枚橋城の当時の石垣です。と、あります。新旧コラボです。
近くのコインパーキングに止めました。
一方通行が多くて、ぐるぐるしてしまいました。
遺構は石垣だけですが意外な発見、「まじか!」の声が出てしまいました。
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2019/04/12 09:17
千鳥ヶ淵 (2019/04/04 訪問)
今年は染井吉野の開花宣言から満開にいたるまで2週間ぐらいかかり、長く楽しめた年だった。
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