なりたしやかた

成田氏館

埼玉県熊谷市


旧国名 : 武蔵

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成田氏館跡の標柱と石碑
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カズサン

のぼうの城で有名な成田氏の旧居館跡 (2026/05/30 訪問)

 中条氏館址(常光院)の探訪を終えて、南に約3km群馬県埼玉県国道17号線沿い未踏の城廻り六城目成田氏館を目指す。グーグルマップにて位置を確認すると成田氏館跡史跡マーク地は国道17号線上之交差点5差路の細い一方通行の道で北から南へ約250m進行して道の西右、私有地の中に標柱と石碑がこじんまりとフェンスに囲まれて立っている。
 駐車場:標柱の東に泰蔵院参拝者駐車場が有り一時利用させて頂いた。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 標柱の説明では、成田氏館跡は藤原鎌足の子孫、藤原道宗の子である助高(資隆)が天喜元年(1053)に、成田の地に館を構え、成田氏を名乗った。その後、成田氏は「関東八家」と称されるまでに勢力を拡大し、成田親泰が忍城主となるまでの400年余、この地に住み続けた。と記載されている。
 秀吉の小田原征伐時(1590)、忍城水攻め総大将石田三成と忍城城代総大将成田長親(のぼう)との攻防戦は映画などで有名です、小田原城が降伏した後迄降伏しなかった。
 石碑と標柱しかない史跡マーク地では思いを馳せるのも難しい。

 次に帰路の圏央道川島IC目指すために、未踏の箕田館跡に向かいます。
   

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しんちゃん

成田・成田・成田・・徳川 (2024/05/05 訪問)

成田氏館に再訪したついでに、成田氏ゆかりの寺にも寄ってきたので、過去の投稿を含め成田氏づくしで行かせていただきます。
成田氏の祖は藤原鎌足子孫・道宗の子・助高(資隆)とされ、天喜元年(1053)に成田の地に館を構え成田氏を称したとされています。その後「関東八家」と呼ばれるまでに勢力を拡大し、親泰の代に忍氏を滅ぼし、忍城主になったようです。
熊谷市の龍淵寺には成田氏の墓が七基あり宝篋印塔は16代長康・17代氏長・12代開基家時のものとされ、板碑は19代重長の子房長のものとされています。21年の写真になりますが名古屋の平和公園には「のぼう様」こと成田長親公の墓があり、尾張藩7代・徳川宗春公の墓もあります。
宗春公は徳川吉宗に従わなかった廉で、死後も罪人扱いを受け、その墓には鎖が巻かれ、11代将軍家斉の時代にようやく許されたとされています。同様の扱いを受けた人物に三代将軍・家光の同母弟忠長公がおり、この人物についても思う所があるので、また関東を訪問した後に追って投稿したいと考えております。

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しんちゃん

子孫は「のぼう」の人 (2019/08/10 訪問)

現地に建っている標柱を読むと藤原鎌足の子孫、道宗の子である助高(資隆)が天喜元年(1053)に成田の地に館を構え成田氏を名乗ったと有ります。ふむふむ‥古いですね。その後成田氏は「関東八家」と呼ばれるまでに勢力を拡大し成田親泰が忍城主になるまで、この地に住み居続けたと有ります。ああ‥「のぼうの城」に繋がるんですね。

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todo94

帰省時の攻城② (2023/08/14 訪問)

中条氏館からの転戦です。此処の前の道は一方通行になっていますのでお気を付けください。城址碑と標柱が建つのみで遺構はありませんが、成田氏ゆかりの地ですので、忍城に行く前に立ち寄れたのはよかったなと思っています。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 成田(藤原)助高
築城年 天喜元年(1053)
主な城主 成田氏
遺構 消滅
指定文化財 市史跡(成田氏館跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 埼玉県熊谷市上之(地図は石碑の場所を示す)
問い合わせ先 熊谷市立江南文化財センター
問い合わせ先電話番号 048-536-5062