低い山ですが登れば曲輪や井戸跡など見れます。
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2024/01/01 17:16
2023/06/22 21:19
城主が目まぐるしく変わった城。水俣氏は領地と城に名を残す。 (2023/01/04 訪問)
水俣城はかつて水俣氏によって築かれたと伝わります。城主が何度も入れ替わり
天正9年(1581)相良義陽配下の犬童頼安が城主の時代に島津氏の大群に取り囲まれ
相良義陽は降伏、葦北郡を島津氏に明け渡し水俣城から撤収しました。
今回は北側の駐車場に車をとめ、そこから攻めていきます。
入る口付近に古い石垣らしきものが見えます。
一度最高所にのぼりますが、このあたりが高城の本丸でしょうか。下に赤い社が見えますが
この下側に井戸跡と石垣があるらしいです。(今回は未確認)
一度中段の東福寺まで降り、東の古城跡に登ります。
この古城と呼ばれる郭は高城の時代にも見張り台や郭として機能していたと思います。
現状で確認できる石垣は北側にある部分だけでしょうか?
次はいつ来れるかはわかりませんが、その際には井戸跡も確認しておきたいです。
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2021/07/25 07:45
2020/12/08 17:53
肥薩境目の城 (2020/11/23 訪問)
日置市一宇治城を終えて熊本県南端の水俣城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り13城目、ナビは古城盛衰記さんの情報で東福寺の駐車場(熊本県水俣市古城1丁目6-88)をGoogleMap航空写真を微調整して合わせ出発、国道3号線を北上すると思いきや高速九州道の指示時間に変わりなければと九州道栗野ICを降り国道268号線を水俣市へ約2時間半、すんなり駐車場に着いたのですが1台分ぎりぎり、微調整を誤ったのか高城裏のシラス台地崖下でテニス場の駐車場でした。
ガイドは古城盛衰記さん、駐車場から高上の裏虎口から登り高城頂上を確認し、西段丘に在る忠霊塔、グランドに回り発掘調査で発見されたという石垣の列、案内板、城名石碑、西にグランドを降りて加藤神社、井戸跡が分からず地元の方に伺ってグランドの南裏の小高い丘の神社が本丸、二の丸の残り跡らしく稲荷神社本丸、荒神社二の丸の奥に石垣の井戸が残って居り確認、破城が加藤氏時代、不充分で細川氏時代と二回行われ堀も埋まられ、近代の改修など遺跡は殆ど無くなってる、グラウンドの建設でせめても石垣根石列が発掘発見されただけでも加藤氏時代の面影が偲ばれる。
歴史的には戦国期相良氏と島津氏の抗争、境目の城と位置し天正9年(1581年)島津氏の攻撃で落城し相良氏は葦北の失った、関ヶ原の戦いの後肥後51万石の領主と成った加藤清正により領内の他の支城と共に整備されたが慶長17年(1612年)幕命で破城、寛永15年(1638年)細川氏により加藤氏の破城不充分であったと改めて石垣を撤去、堀を埋めたてられてる。(案内板より抜粋)
石垣の根石などを見ると近くの佐敷城の石垣を思い起こされさぞ立派な清正流石垣の城が在ったのではと思ったりしたり⁉
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分類・構造 | 平山城 |
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築城主 | 水俣四郎 |
築城年 | 治承5年(1181)頃 |
主な城主 | 水俣氏、相良氏、上村氏、犬童氏、島津氏、深水氏、寺沢氏、小西氏、中村正師(加藤氏家臣) |
廃城年 | 慶長17年(1612) |
遺構 | 曲輪、石垣、井戸跡 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 熊本県水俣市古城町 |