<オススメ>★★★☆☆
玉縄城は、三浦半島を本拠とする相模国の最大勢力である三浦氏を攻略するために、伊勢宗瑞が築いた城である。玉縄城は、扇谷上杉氏の後詰を阻止し、三浦氏との連携を遮断する役目を担った。三浦氏は支援を受けられないまま、滅亡した。二代目、北条氏綱は、北条氏時、北条為昌を城主とし、後北条氏の戦略拠点となった。北条為昌の死後、氏綱の養子となった北条綱成が城主となり、氏繁、氏舜、氏勝とつづく玉縄北条氏は小田原北条氏を支える有力な一門衆として活躍した。また、玉縄城は上杉謙信に「この城、東国無双の名城なり」といわしめるほどの堅城で、約80年にわたって一度も落城しなかったとされる。小田原征伐では、城主の北条氏勝は玉縄衆を率いて山中城を守備した。山中城を脱出した氏勝は、玉縄城で籠城。徳川家康の説得により、無血開城し、玉縄北条氏は滅亡した。
*主郭周辺は、清泉女学院中学高等学校の敷地内であるため見学は不可である。植木方面から陣屋坂を経由して、太鼓櫓、城碑、七曲坂、龍寶寺(玉縄北条氏の菩提寺)、玉縄ふるさと館、玉縄首塚の散策をオススメしたい。
<アクセス>
JR大船駅 徒歩20分
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