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カルビン

その他いろいろ (2013/10/04 訪問)

始めて訪問したのは2013年10月、最近は2018年7月に訪問してます。
お城めぐりで新幹線を始めて使った場所も、お城めぐりで初めて芸能人に遭ったのもここ掛川城。
その後古城の存在を知ったり、移築門が離れた場所にあるのを知ったりと複数回行ってますが、訪問する度に初見の場所があり、飽きが来ないお城です(^ω^)

皆さん沢山投稿していますので、ちょっと別角度からの写真投稿させて頂きます。

内容は写真コメントご参照ください<(_ _)>

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モト

山頂で確認できた碑と遺構 (2018/11/01 訪問)

山頂にたどり着くと城跡の碑や見てわかる遺構に出会えました。
そこまでなのか山の他にあるのか堀などもあるようですが、勉強不足で確認ができませんでした。
山頂までは階段が続き、装備の不要な軽い登山です。
情けない事に、ひぃひぃ言ってしまいました。
今度は私の運動不足です。
山頂からは登った疲れを忘れるくらいの山々の展望が見れ、爽快な気分でした。
また土塁や堀切りのような遺構が確認でき景色だけでない城跡を訪れた満足が得られました。

近くに大谷資料館があります。
石切場のようですが、地底城のような異次元空間を味わえます。
せっかくですので近くに来た際は、おススメの観光スポットです。

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todo94

続日本100名城スタンプ62個目 (2018/11/10 訪問)

折角、日本最大の半島の奥深くにまで脚を伸ばすのだから、那智駅近くの勝山城にまず朝駆けをかけてみた。何の案内もなく、諦めて引き返そうかと思ったとき、鉄塔の脇に城に続いていそうな道を発見。見事な二重の横堀に守られた小さな主郭に勝山城跡地と記された木の棒が刺さっていた。

新宮城は石垣は立派だが、その勝山城より簡単に本丸に登れてしまう。おそらく往事は城内であったであろう麓に巨大な城郭建築にも見える天理教の大教会が鎮座している。

スタンプ置き場の新宮市立歴史民俗資料館は阿須賀神社の境内にあるが、周辺には駐車場所がない。何事もなければ斎場に駐めることもできそうだが、新宮城から歩いて行っても、私の脚で5分の所要だった。新宮城の駐車場も小さいので、公共交通機関利用が良いとも云えるが、青春18きっぷで紀勢本線を完乗したときは1日がかりだった。今はかなり紀勢道が整備されていて昔に比べて車でのアクセスは格段に向上している。

新宮市立歴史民俗資料館には開館時刻の9時に入館。阿須賀神社から出土したという御正体(みしょうたい)は見応えがあった。

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カルビン

今更ながら真田丸関連めぐり (2018/11/02 訪問)

先日お休み頂き、久しぶりに大阪散策しました。
始発の新幹線で行ったのですが、丁度平日の大阪の通勤ラッシュの時間にかち合い、その凄さに圧倒されましたよ(汗)

いろいろ散策して、最後に天王寺付近にやってきて茶臼山に到着。
平日のお昼過ぎなのにものすごい人で、これまた圧倒されました(-Д-;)


肝心の茶臼山ですが、特に遺構はなくただの高台でしたが、一番高い場所に「これでもか!」と解説が並んでました・・・全て真田信繁(幸村)のです。
徳川家康、どんだけ悪役やねんwww


天王寺公園入口正面にあった一心寺参拝者休憩所の存牟堂にて100円で登頂証明書を頂けます。
ここでは大阪の陣の資料も頂けるので、是非立ち寄りましょう。

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刑部

武田神社 (2018/10/27 訪問)

七五三・この日は、結婚式されてた方もいました。

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刑部

虎口 (2018/10/27 訪問)

味噌曲輪、この館の1番好きなところ。

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刑部

土橋 (2018/10/27 訪問)

味噌曲輪に通じる土橋

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にのまる

その軍師は名ではなく作品を後世に残した。 (2018/11/09 訪問)

登城前、入口の案内板で早くも妄想と感動に耽ってしまいました。数少ない史料と伝承から調査と推察とを重ねられ、整備・公開されています。
明るく、見通しの良い城址には藪も倒木も蜘蛛の巣もなく、もちろん冷蔵庫とか電子レンジとか浴槽とかが転がっているということもありません。それどころか、複雑な折れと高低差を持ついくつもの土塁と空堀が複雑に重なり合い眼前に迫ってきて、圧倒されてしまいます。勢いだけで攻め込んだらあっという間に討たれてしまいそうです。
城主岡見氏は小田氏についていて、ここ小坂も領地争いの戦場となったようです。史上最弱と言われた小田氏治が何度も戦えたのはこんなハード面の強さに支えられていたこともあるかもしれません。
大小4つの曲輪がそれぞれに役割をもっていたと推測されています。内側に土塁がないのは曲輪間の往き来を簡単にしていざという時に仲間を守るため。L字型の2郭と主郭の関係は相互の信頼と絆の証。500年前の「土」から支え合いの素晴らしさを教えられるなんて‼︎
そうは言ってもここは戦場。1郭の柱穴と焼土は落城を物語るものかもしれないし、3郭から2郭へ土橋を渡った虎口は確実に狙われるところ(写真⑦の落書きの感じかと^^;)。写真⑧は逆に1郭の櫓台から2郭虎口を見たものですが、見通しのよさに唖然としてしまいます。(私の身長からの写真だと全然伝わりませんけど…)当時はもっと土塁も高く、堀も深かったでしょうから隠れようがないです。
その一方で二重の堀で囲まれた小さな4郭からは擂鉢や天目茶碗、土器(かわらけ)などが出土していて生活臭にほっこりしてきます。
コミュニティーバス(100円のかっぱ号)の時間に合わせて1時間くらい見学しました。「小坂城址入口」に停車しないバスでも「団地中央」から徒歩数分です。周囲は住宅地なので何かしら方法はあるはずです。公共交通機関派の方も諦めないで大丈夫、行けます。
再訪の機会があれば2郭南東の竪堀と腰曲輪を確認したいです。(忘れてるし…^^;)
ご紹介くださった方々に感謝です。ありがとうございましたm(__)m

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刑部

立派な門 (2018/10/27 訪問)

明日のイベント準備をしてました。

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dougen

2016.12.1登城 (2016/12/01 訪問)

那覇市内から国道507号から王泉洞方面に入り、さらに北東に進んで行くと糸数城址があります。
国の史跡に指定されており、曲線が美しい石垣が残っています。
岩盤上に積まれた石垣は、万里の長城さながらで必見です。
残念ながら世界遺産の城址には入っていませんが、オススメの城址です。

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カルビン

うつろ屋軍師もいたのだろうか・・・ (2015/10/18 訪問)

以前栃木県北部のお城めぐりした際、水堀が見事な棚倉城が福島県にあるのを知ってて、そのまま足を延ばして訪問しました。

数年後、小説「うつろ屋軍師」なる物を読んで、丹羽長秀の息子・長重と家臣・江口正吉のコンビのファンになってしまい、ゆかりのお城を確認したらここ棚倉城だったわけで。

丹羽長重が築城した棚倉城は今では思い入れが深いお城の1つになってます。


周囲を大きな水堀で囲まれた、日本100名城の高岡城のミニチュア版(といっても広いです)みたいな雰囲気のお城です。
戌辰戦争に巻き込まれ、板垣退助に大砲でドカンドカンやられてしまったので、かなりお城傷んでしまったものと思われ・・・
(大事な史跡を壊しよって・・・だから幕末や世界大戦は大嫌いなんですw)

今は水堀の内側の土塁は角度が緩くなってしまったものの、高土塁は健在です・・・が、水堀と土塁が防御施設のほとんどを占めている為、堀の内側にはそんなに遺構はありません。
でもそれだけでも十分に見応えあるかと。


丹羽長重が棚倉藩に転封された際の棚倉城が出来る前の拠点・赤館(城)跡が北西1.4kmくらいの距離のところにあるので、一緒に見学されたし(・ω・)b
(こちらには丹羽長重の前に立花宗茂も転封されていたので、二度おいしいかとw)

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織田晃司

元々撫川城と庭瀬城はひとつの城 (2018/11/03 訪問)

小ぶりながらも石垣、土塁、水堀、門と凝縮されてます。

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織田晃司

庭瀬城址の清山神社 (2018/11/03 訪問)

水堀と石垣が残ってます

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刑部

城址の石碑 (2018/10/27 訪問)

狭い裏から来たので失敗、表から城址へ来れば車でここまで来れます。

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刑部

城址・虎口 (2018/10/27 訪問)

中に入ると土塁に囲まれてます。

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カルビン

国指定史跡なのに防獣ネットてw (2014/05/13 訪問)

この時期山城の事良く解ってませんでしたが、ここが国指定史跡だった事でさぞ凄いお城なんだと思って訪問。

白山神社側だとお城がすぐ近く(そもそも当時武田八幡宮を知らなかったw)だったので、そちらから登城しようと進んだところ・・・いきなりその凄さを体感・・・初めて防獣ネットを味わいました(汗)

ネットを空け、車ごと白山神社へ突入し、ネットを閉めるw
が、神社手前で倒木の為、狭い道で恐怖のUターン・・・今思うとバックすれば良かっただけなんですが(-ω-;A
ネット先の細い道の途中に一部車置けそうなスペースがあったので、そこに車乗りあげて急いでお城へ。

ちょっとした山登りありましたが、小走りに10分弱で主郭に到着。

主郭を中心に堀・土塁・土橋・虎口等が見られました。
※主郭手前に遺構があったかどうかは解らず・・・当時今ほど知識無かったので
また、武田八幡宮方面には行っていないので、そちらにも遺構あったかは不明


以前この付近に熊が出る事は知りませんでした・・・思いっきり冬眠明けの熊が活動活発になる時期の訪問で、今にして恐ろしく思い・・・しかも後日武田八幡宮で熊遭遇したので、その恐怖は倍増です(汗)

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チェブ

肝試しではありません! (2018/10/27 訪問)

埼玉県の比企城跡郡のお城の中に小倉城があります。

関東では珍しい「石塁」? があるとの事。
お恥ずかしながら私は石塁、知りませんでした。石垣との違いを見てみようと向かったのですが、日が沈む事を忘れてました。
山道なのでUターンできず、ずっと暗い中「怖いよぅ」と言いながらのドライブ。
少し広くなっている所が「小倉城の入口」でした。
今回は石塁見学諦めます。

お城検定の練習問題の「3級」、赤点でした。

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モト

本郭を囲む空堀が見応えがあります。ここ良かったです。 (2018/11/01 訪問)

主郭を囲む空堀が雰囲気があります。
深さなどはそこまでではありませんが、すばらしい空堀を見れば当時の居館の姿が容易に浮かび上がってきます。
空堀にかかる土橋から主郭に行くと土塁が今度はお出迎えです。
主郭の周りの土塁もそこそこあって、これまた縄張りが把握しやすく満足できました。
二重堀も確認でき、城跡としての雰囲気を十分に感じられました。

規模は見学しやすい大きさですし、ちょっと寄ろうなんてことにも対応可能な感じです。
しかしこの空堀、土塁があるなら行って損はないと思います。
近くに行った際は通過してはもったいない城跡だと思います!

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イオ

朝倉義景終焉の地 (2018/11/03 訪問)

現在の日吉神社にあったとされますが、遺構は堀跡などがわずかに残るのみ。
織田軍に追われ落ち延びてきた朝倉義景を裏切り、自害に追い込んだ朝倉景鏡の居城。
徒歩10分くらいのところに、その朝倉義景の墓所があります。越前大野城と併せてどうぞ。

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イオ

名水の城下町 (2018/11/03 訪問)

推定復元の天守も悪くないものの、一番の見どころはやはり本丸の石垣でしょうか。石垣の城最初期の堂々とした野面積みはなかなか見応えがあります。

また、越前大野は名水の町として知られますが、実際、城下町を歩いているとあちこちに清水(しょうず)と呼ばれる湧水地があり、特に味覚が鋭敏でない私でも、一口飲んで違いがわかる(うまく言えませんが口当たりがまるい感じ)ほどでした。そして、その名水の恵みを受けて城下には古くからの酒蔵や味噌・醤油蔵がいくつもあり、「この感じ、飛騨高山を思い出すなぁ…」と思っていましたが、考えてみればどちらも金森長近が開いた城下町なんですね。納得。

城下町では、ご当地グルメの醤油カツ丼とおろしそばを食べ、お土産に伊藤順和堂の芋きんつばを買う…つもりが、昼過ぎには売り切れていました。残念…。

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