かつやまじょう

勝山城

福井県勝山市

別名 : 袋田城
旧国名 : 越前

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柴田勝安 (2024/06/06 訪問)

柴田勝家の一族、勝安が築いたとされる城です。勝山市民会館前に城址碑と説明板があります。遺構はないようです。

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しんちゃん

藩校・成器堂の遺構を巡る (2023/12/08 訪問)

勝山城は初め柴田勝成(勝安)によってこの地に築かれたとされています。柴田氏が滅亡後、成田重政・長谷川秀一が居城し、結城家が入国した後はその支配下に入り、元禄4年(1691)小笠原貞信が2万3千石で入り勝山藩が成立しました。築城は宝永6年(1709)より修築という名目で行われ、現在市役所や市民会館のある場所が本丸で、かつて天守台があった位置に立派な城址碑が建てられています。周囲には堀が巡らされ、二の丸・三の丸が配され、南東には大手門が配され、その先に南馬出が築かれおり小規模ながらも十分に城郭としての体裁を保っていたようです。かつての勝山城の外追手筋に建てられた藩校・成器堂の遺構が市内各所に移築されていて神明神社に移築された講堂の瓦には小笠原家の家門である「三階菱」があり、往時の姿を保っています。

成器堂講堂‥神明神社に移築・勝山市元町1
成器堂演武尞‥集会所に移築・勝山市荒土町布市
成器堂門および土蔵‥宅地に移築・勝山市群町

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ぴーかる

勝山城 (2023/08/19 訪問)

【勝山城】
<駐車場他>勝山市役所駐車場
<交通手段>車

<感想>越前ちょこ城巡りの旅ラストの11城目。勝山城は1580年に柴田勝家の甥(のち養子)の柴田勝安によって築城されます。江戸時代には結城秀康の子らが入封されますが、移封されると廃城になり勝山藩は天領となり陣屋が置かれます。1691年に小笠原氏が2万2千石で入封し築城許可が出て再び築城を開始します。小笠原氏は明治維新まで続き維新後に建造物は取り壊しや払い下げられました。勝山城の位置は現在の勝山市役所の辺りで昭和40年頃まで天守台と石垣が残っていたようで、市民会館建設に伴いその時取り壊されたそうです。
 先に城跡の位置・形状も全く異なる模擬天守のある勝山城博物館に行って御城印購入、入館しようかと思ったら入館料1000円の高さ(重文でもないのに)に驚き止めました。しかし模擬天守の巨大さには驚かされ、お金かかっているなあと感じます。一応一見してもよいかと。
 次に勝山市役所に城跡碑を撮影しに行ったら、なんと満車!?市民会館で荻野目洋子さんのコンサートを開催していたそうで、駐車もできず道路脇に停車しダッシュで撮影して終了しました。帰路は頭の中でダンシングヒーローがグルグル回っていました( ;∀;)。

 これにて今回の旅終了、各御城印の購入(open時間帯)に合わせてちょこ城を北から南下していくルートで巡り、小丸城で終了予定でしたが時間が相当余ったので急遽、伊自良氏館と勝山城を入れ込みました。蓮如の城郭寺院始まりの地である吉崎御坊や府中三人衆という単語も初めて知ったので新鮮でした。631㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

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侍ホリタン

天守閣高さ日本一の名城を訪ねて (2022/04/09 訪問)

訪問した勝山城は平成4年に建てられた博物館で、実際の勝山城は別の場所にあり形も全く別物です。天守閣の高さは名古屋城を抜いて日本一で高さに圧倒されます。天守閣前に無料駐車場あります。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 連立式望楼型[5重6階地下1階/1992年築/RC造模擬]
築城主 柴田勝政
築城年 天正8年(1580)
主な改修者 小笠原長貴
主な城主 柴田氏、長谷川氏(豊臣氏家臣)、松平氏、小笠原氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 消滅
再建造物 模擬天守(勝山城博物館)、石碑、説明板
住所 福井県勝山市元町
問い合わせ先 勝山城博物館
問い合わせ先電話番号 0779-88-6200