かつやまじょう

勝山城

福井県勝山市

別名 : 袋田城
旧国名 : 越前

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侍ホリタン

天守閣高さ日本一の名城を訪ねて (2022/04/09 訪問)

訪問した勝山城は平成4年に建てられた博物館で、実際の勝山城は別の場所にあり形も全く別物です。天守閣の高さは名古屋城を抜いて日本一で高さに圧倒されます。天守閣前に無料駐車場あります。

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TMN97

勝山城 (2022/09/01 訪問)

勝山城展示館臨時休業の為、入れず…

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昌官忠

2022夏の青春18キップ10日目:勝山城 (2022/07/29 訪問)

小山城からの転戦です。勝山市役所駐車場(36.060831、136.499889)に駐車し城碑を確認した後、勝山城博物館(36.044034、136.519991)に向かい模擬天守を確認しました。

1580年(天正8年)柴田勝家の一族である柴田勝安によって築かれました。
柴田氏が羽柴氏によって滅ぼされると成田重政、長谷川秀一と替わりました。
江戸時代に入ると、1601年(慶長6年)福井に封じられた結城秀康の支配となりましたが、1624年(寛永元年)松平直基が30,000石で封じられ、勝山藩の藩庁が置かれました。
その後、松平直良が入りますが、1644年(正保元年)直良が移封されると廃城となり、勝山の地は一時期、天領となりました。 
1691年(元禄4年)美濃国高須から小笠原貞信が22,000石で入封し、以後明治維新まで小笠原氏8代がこの地を治めました。

1709年(宝永6年)2代信辰の時、城址への築城許可が下り、本丸の普請が開始しましたが、財政上普請は中断しました。
60年後の1770年(明和7年)5代信房の時再開され、二ノ丸を築き藩主の御殿をそこに移設し、7代藩主小笠原長貴の代に完成しました。
1822年(文政5年)本丸より出火し、門、高塀、土蔵を残して焼失しましたが、1826年(文政9年)に再建されます。
8代長守の時、明治維新となり1871年(明治4年)廃城となった後、城の建物は取り壊され天守台と堀の一部を残し埋め立てられました。

案内板と石碑は勝山市民会館前の庭にあります。
姫路城に似た日本一の高さの模擬天守を持つ勝山城博物館は、相互タクシーの創業者・多田清氏により平成4年に建てられました。
この模擬天守は歴史上の勝山城とは位置・形式ともに関係はないそうですが、模擬天守前面に水堀が掘られています。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=波多野城に向かいます。

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カズサン

勝山城博物館姫路城天守写し (2010/05/15 訪問)

 一乗谷城朝倉義景館跡復元城下町探訪を終えて12年前の平成22年5月中旬、勝山市に在る、姫路城を写した勝山城博物館を訪ねました、平成4年に勝山市出身の多田氏が財を成し故郷への貢献として勝山城への思い深くRC造模擬天守閣風の博物館を建造した。
 住所:福井県勝山市平泉寺町85-26-1 国道157号線恐竜街道から東側近くによく見えます。
 駐車場は北山麓に専用駐車場が有る。

 5重6階連立式望楼型姫路城写しの模擬天守閣、大天守閣、3重櫓、2重多聞櫓で連立式構造です、コンクリートですが良く出来ています、恐竜街道から眺めると惚れ惚れします。最上階からの眺めも素晴らしい。

 史跡上の勝山城は北北西約3km程の所、勝山市役所が本丸中心地です、市民会館が天守台跡だったようです、縄張り図付の案内板が有り藩校建物など残って居ります。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 連立式望楼型[5重6階地下1階/1992年築/RC造模擬]
築城主 柴田勝政
築城年 天正8年(1580)
主な改修者 小笠原長貴
主な城主 柴田氏、長谷川氏(豊臣氏家臣)、松平氏、小笠原氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 消滅
再建造物 模擬天守(勝山城博物館)、石碑、説明板
住所 福井県勝山市元町
問い合わせ先 勝山城博物館
問い合わせ先電話番号 0779-88-6200