武田○○館なる伝承地を並べてみると上杉禅秀の乱に加担した武田信満の館がはっきりしない。信満の没年とほぼ等しい頃に開基された清白寺は連方屋敷の至近にある。状況証拠的にはここが信満の館なのだろうと思う。
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2026/07/03 20:12
2024/11/26 15:18
堀は面影くらいだが土塁はよく残る (2024/11/22 訪問)
連方屋敷は資料に乏しく、築城者・呼称の由来については定説化したものがない・・・、甲斐国志に蔵前衆頭。古屋氏との関連を推定・・、武田氏時代の直轄領の年貢・銭貨など管理・運営する、云々と説明板に記載されている。於曽屋敷と同じく私有地で、三分の一は民家・果樹・畑になっている。民家側では跡地の南の入口から西に向けて土塁が残り、北から西に向けても民家で入れないが、先に続いている。西の土塁はほぼ残らないが、道路寄りに僅かに残る高さのある土塁が見える。
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2024/02/09 20:52
この手札がなければ「しりとり」は… (2024/01/07 訪問)
この手札がなければ「しりとり」は,光秀の天下よりも短命に終わっていました…。「角牟礼城ブレイキン」を救ったのが,当時にのまるさんが持っていたこの手札でした。その後,47都道府県制覇,日本100名城制覇,続日本100名城制覇とつながり,もはや伝説(?)となってしまった「しりとり」ですが,いまだに「角牟礼城」からリレーできるのはココ以外に見当たりません。
誤って「勝連城」のリレーでココを使用してしまったなら,どうしても「角牟礼城」をラストにもってこなければならないという,重要手札です。
そんな連方屋敷ですが,途中下車でいつでも行けるという立地から,この日のついでの登城になりました…<苦笑>。
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| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 鎌倉時代〜南北朝時代 |
| 主な城主 | 古屋氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 指定文化財 | 県史跡(連方屋敷) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 山梨県山梨市三ヶ所上新町他 |
| 問い合わせ先 | 山梨市教育委員会生涯学習課文化財担当 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0553-22-1111 |