れんぽうやしき

連方屋敷

山梨県山梨市


旧国名 : 甲斐

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北東部角
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イタさん

堀は面影くらいだが土塁はよく残る (2024/11/22 訪問)

連方屋敷は資料に乏しく、築城者・呼称の由来については定説化したものがない・・・、甲斐国志に蔵前衆頭。古屋氏との関連を推定・・、武田氏時代の直轄領の年貢・銭貨など管理・運営する、云々と説明板に記載されている。於曽屋敷と同じく私有地で、三分の一は民家・果樹・畑になっている。民家側では跡地の南の入口から西に向けて土塁が残り、北から西に向けても民家で入れないが、先に続いている。西の土塁はほぼ残らないが、道路寄りに僅かに残る高さのある土塁が見える。

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朝田 辰兵衛

この手札がなければ「しりとり」は… (2024/01/07 訪問)

この手札がなければ「しりとり」は,光秀の天下よりも短命に終わっていました…。「角牟礼城ブレイキン」を救ったのが,当時にのまるさんが持っていたこの手札でした。その後,47都道府県制覇,日本100名城制覇,続日本100名城制覇とつながり,もはや伝説(?)となってしまった「しりとり」ですが,いまだに「角牟礼城」からリレーできるのはココ以外に見当たりません。
誤って「勝連城」のリレーでココを使用してしまったなら,どうしても「角牟礼城」をラストにもってこなければならないという,重要手札です。
そんな連方屋敷ですが,途中下車でいつでも行けるという立地から,この日のついでの登城になりました…<苦笑>。

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くうくう

方形居館の土塁空堀遺構がみごとに整備されている

築城年・築城者についてははっきりわかってない。戦国期武田氏の蔵前の庁所という説もあったが、遺跡発掘から15世紀前半から中頃に使用されていたと考えられている。武田氏が甲斐東部へ勢力を伸ばしていた時期に重なり、その関連性が注目される。それにしても見事な土塁空堀だった。一辺が約130mある不等四辺形の屋敷跡。ただそれだけなのが想像を掻き立てる。

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しんちゃん

かなりの規模の土塁が残る。 (2023/11/26 訪問)

連方屋敷は古屋氏の屋敷跡とも御蔵の庁所とも言われていますが、実際のところ良くわかりません。周囲を巡る土塁はかなりの規模で、土塁の内側は一辺約100mほどの不整四角形の形状をしていて、中に入って見るとかなり広く感じます。西側と南側は私有地になっていて立ち入りは不可能で土塁も途切れているのですが、一部分土塁が残っていて外側から鑑賞が可能です。
屋敷の西側は水路が流れていて堀を彷彿とさせています。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 鎌倉時代〜南北朝時代
主な城主 古屋氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(連方屋敷)
再建造物 石碑、説明板
住所 山梨県山梨市三ヶ所上新町他
問い合わせ先 山梨市教育委員会生涯学習課文化財担当
問い合わせ先電話番号 0553-22-1111