栃尾城は別名・舞鶴城と呼ばれ標高227mの城山に築かれています。南北朝の末期に芳賀禅可が守護代として一時的に入り(実際には子のの高貞・高家と思われます)後に長尾氏の城になったそうです。天文12年(1543)長尾景虎(後の謙信)が14歳でこの城に入り城代として本庄実乃が置かれたそうです。若輩の景虎を侮り攻めてくる豪族たちを退け19歳になった景虎は若き守護代として兄春景に代わり春日山城に入ったとされています。まさに長尾景虎飛躍の城であり舞鶴城と名がつくのはもっともだと思います。
実際の縄張りは松ノ丸の下の扁平地を無かったことにすれば鳥が羽根を広げたようにも見えます。一瞬ミジンコかと思いましたが‥
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